12、王妃カルミアについて
王妃カルミアという人物は、人形のように愛らしい顔立ちをしていた。
無垢な少女のように、穢れなど一切知らない、あどけない少女のようだった。
カルミアが『アイバンが愛人を置いた』という知らせを受けたのは、観光地としても、貴族たちの療養地としても栄えていた、王家所有の別荘での茶会の最中だった。突然の知らせにカルミアは目を見開いて、手にしていたティーカップを落とした。
カシャンと音を立てて割れた高価なティーカップを心配する者はおらず、その場の人間はカルミアを気遣って声を上げた。
「カルミア様、お怪我はありませんかっ」
「ぼんやりしてないで、早く確認をなさい!」
「カルミア様……!」
「え、ああ……大丈夫よ、少しだけお手紙の内容で驚いてしまったの」
うるり、と涙を浮かべたその顔は三十を超えた女の顔には見えない。まだ二十そこそこの顔付きに見える。
件の手紙の内容を読み上げたのは、公爵家からずっとカルミアに仕えていた侍女の二人のうちの一人だった。名はベラといった。
「ベラ……」
「失礼いたします……『療養先では大変気が楽になっていると聞く。連絡もなく、すでに一年と九か月、以前より手紙と使者を送っていたが、返信がないことを了承と取る。ローレル公爵家のカトレア嬢をこの度正式に愛人とする』とのことです」
「まあ! なんということですか!? 陛下は何をお考えなのですか!」
その一人の夫人の怒りの声に、茶会の賑やかな空気は一瞬にして静まり返る。何事かと皆気になっているようだったが、誰も声をかけることができなかった。カルミアの目の前の席に座っていた夫人が震える手で、ベラが持っていた手紙を奪い取った。
「……愛人とする……ですって?」
「カルミア様がいらっしゃるというのに! 陛下はなぜ今頃になって!」
「しかもローレル公爵家ですって!? ナイトシード公爵家となんの関わりもない家を……! このようなこと公爵様が黙っておられませんわっ」
「ベラ。お義父様からお手紙は?」
カルミアがベラに向かい問いかける。ベラが首を横に振った。
―――手紙を寄越していた? そんなものは受け取っていないわ。確かに手紙は送らなかったけれど、普通ならば王妃であり、妻である私を気にかけて送ってくるのはそちらでしょ!? 今まで何も言ってこなかったのに、急に愛人だなんて……! 一年と九か月も確かに気にかけなかった。だって、疲れてたんだもの、当然のことでしょ。
それはカルミアの率直な感想だった。
十年の間、子ができなかったため、一年間と少し―実際は二年に近いが―カルミアは療養と称して王家が所有している別荘で過ごしていた。
当初、長くなる療養に人々は噂した。
『薬を盛られていたのではないか』
『前王妃から虐げられていたのではないか』
『国王に何か問題があったのではないか』
カルミアはその噂、すべてを否定も肯定もしなかった。
愛らしい少女のような顔に美しい涙を浮かべ、悲しそうに微笑むだけだった。
しかし、実際はすべての噂が嘘だった。カルミアの実家は国の政に大きな影響力を持っているナイトシード公爵家だ。誰がそんな家の娘に、何かすることができるというのだろうか。
―――薬を盛られている? 子を孕むために薬を用意していたのはナイトシード公爵家よ。
―――前王妃から虐げられている? 結婚してすぐに前国王夫妻は退位したから、関わりもそんなに持ったこともないわ。
―――国王に問題があった? こちらの要望通りに種馬のようによくやってくれていたわよ。
カルミアは扇を持つ手に力を込めた。王都を出て療養に入り一年九か月。嫌な予感がするのだ。早く帰らなければいけないと頭の中で警鐘が鳴り響く。
「サーラは今どこにいるのかしら、最近見かけないけれど……私に連絡が来ていないのはおかしいわ」
消え入りそうな声でカルミアは言った。
ベラが気まずそうに口を開く。
「サーラは先日より公爵家に呼び戻されております」
「そうなのね……帰る手筈を急いで整えてくれるかしら。私はまだ不安でたまらないけれど、一度陛下とお話ししなくてはいけないわ。だってお手紙は一度も受け取っていないのだから」
手紙も使者も確かに見ていない。アイバンが嘘を付いているのか、それとも違う思惑がこの中でうごめいているのか。カルミアはそんなことを考える余裕もなかった。
「そうですわ、カルミア様に許可なく愛人を持つなどありえないですもの!」
「ええ、ええ、その通りよ。私たちも一緒に戻りますわ」
「皆様はまだゆっくりしてくださっていいのよ。私を元気付けるために来てくださって、観光もできませんでしたでしょう?」
「いいえ、カルミア様を差し置いて遊び歩くなどできません! ご一緒に戻って生意気な小娘をしかり躾けてあげますわ!」
「ああ、そのような……では、私は一度これで……」
カルミアは涙を流しながらその場を後にした。
「陛下は一体何を考えているのかしら」
「ええ、ナイトシード公爵家を敵に回すなど……」
「しかも、カトレアですって? 信じられないわ……聡明な娘ということは知っているけれど、中立を保っている家の娘よ? それならいいとでも思ったのかしらね」
「陛下も男だったのね。でも……公爵様はきっとお怒りになるはずよ」
夫人たちはその場でカルミアの姿を見送ると、ナイトシード公爵を敵に回すアイバンへの冷たい言葉を囁く。自分たちも他者に遅れを取らないように、急ぎ滞在している部屋に戻っていった。




