第三十二話 記憶の面影 3
「――着いたぞ」
祖父の声で微睡みから起こされる。
カックンカックン右に左に揺れていた頭が、意識と共に、ハッと固定された。
「荷物持って行くの手伝う?」
「いや、ここまでで大丈夫。送ってくれてありがと」
陸が荷物両手に祖母の提案を断ると、祖母は「……そう」と、寂しそうな了承の言葉を吐いた。
「大きくなってねぇ……」
それは断られて寂しいって感情よりも、流れた月日に思いを馳せた寂寥感を含んだ感情。
「家に来る時はまた連絡してね。迎えに来るから」
「歩いてでも行けるよ。でも連絡はするから大丈夫」
「帰り、気を付けて」
私たちは祖父母が乗った車の背中を、見えなくなるまで見送った。
「……入るか」
「そうだな」
陸を筆頭に、二人が私の分の荷物も持って玄関を開ける。中に入っていく。
「空、早く来いよ」
海が中から声をかける。
一瞬固まった身体を無理やり動かし、詰まる喉から声を出す。
「今行く」
久し振りの家。
帰国してきたあの日から、私たちはこの家に立ち入っていない。
保護者が必要だって名目のもと。多分、私のメンタルを考えて。陸と海が思い出しにくいようにと、大人たちが考えて。
私たちは、士官学校に入学するまで、ずっと祖父母の家にお世話になっていた。
大体、数えて二年くらい。
だから、この家に立ち入るのは本当に久し振り。
身体が強張る。
変わっていたらどうしよう。
思い出が、一切思い出せないくらいに変化していたらどうしよう。
変わっていなかったらどうしよう。
思い出を、鮮明に思い出せるくらいに一切変化が無かったら、どうしよう。
どうしよう。
目を閉じる。
瞼が痛くなるくらいに、ギュッとギュッと引き結ぶ。
目の前に足音が二つ並ぶ。
そっと瞼を開いたら、見慣れた足が二人分。
「行くよ」
海が手を差し伸べる。
「動けないんなら担ぐか?」
陸が抱っこの形をするから、そっと避けた。
「大丈夫。行けるよ」
二人に続いて玄関へ。
僅かな段差を踏み越えることだって、きっと一人じゃできなかった。
玄関に入る。
案外すんなり。
掃除はきっと、入ってないかたまにだけ。
積もったホコリの臭いに紛れて、懐かしい匂いがそこに在る。
「……変わってないねぇ」
「そうだな」
思わず呟いた言葉に、同意する陸。
「なんか、意外」
「何が」
玄関の端に荷物を纏めていた海は、作業の手を止めて顔を上げる。
「もっと、こう、ぐわぁって来るかと思った」
玄関に入った瞬間に、思い出が濁流のように押し寄せてくるかと思っていたから。
「……こんな、静かなんだね」
私が心配していたことは、何ひとつ問題にならなかった。
私が思っていたよりも、随分と呆気なく、思い出は感情に干渉して来なかった。
「そんなもんだろ」
陸が靴を脱ぐ。
荷物をリビングに転がしていく彼の背中を、海は追った。
「空、ご飯の前に掃除するぞ」
埃が大分積もっている。
ボヤく海に動きやすい服に着替えてこいと言われたから、私も足早に二階の自室へ上がっていった。
思ったよりも呆気なく、いとも簡単に、私は自室に足を踏み入れた。
「ホコリすごっ」
踏んだ瞬間沸き上がるホコリ。
私は真っ先に窓を勢いよく開けた。
「ゲッホゲッホ」
思わず咽るホコリのお部屋。
外に空気と共に排出されるホコリは、太陽の光を受けてキラキラ、分不相応に輝いて見えた。
「こーれは骨折れるぞー」
このホコリ、何年ものだろう。
私は着替えながら思考する。
多分、掃除の手が入っていないのは、士官学校へ入学する前の、大人たちの相談が原因。
部屋の掃除も模様替えも、私たちがするべきで、私たちの思い出を大事にしたい心が強くあるかもしれないから、下手に手を出さないでおこう。そんな感じのお話し合い。
(今度は、たまの掃除だったらオッケーって言おうかな)
自分から言うのも、やっといてって言っているような嫌な感じがするから、言わないけど。
「海ー、着替えたー」
「じゃあ雑巾。一旦自分の部屋のホコリ、次に二階物置みんなで。廊下と階段はその後ね」
「アイアイサー」
私は再び部屋に舞い戻っていった。
***
「お……」
「おわっ……!」
「終わったー!!」
三人揃って伸びをする。
予想以上に時間がかかった。疲れた。
「ちょっとトイレ……」
「いってらっしゃー」
怠さを隠すことなく、ダウナーに陸を見送る。
掃除って、こんなに疲れるものだった?
「これ思ったんだけどさ」
「なに? 空」
私が雑巾を洗い投げかける言葉に、ややグロッキーになりながら海が返答する。
「今日はひとまず、自分たちが使うところだけ掃除すれば良かったんじゃないの?」
海は力なく笑った。
「それはそう」
無駄ではないけれど、絶対今日やるべきではなかった無駄な作業に、脱力感を感じてソファーにグッタリ横になる。
「海ー。ご飯作れそ?」
今日一日で、移動と買い物、墓参り。
それに加えて家中の掃除。正直これで料理ができるのは、よっぽどの人だと私は思う。
「正直に言っていいか」
「いーよー」
「無理」
「だよね」
淡々としたリズムで繰り返される会話。
じゃあ。私は続けて聞いた。
「外食に行く気力ある?」
「ない」
「だよね」
私たちの打ち合わせのない大きなため息が、同じタイミングで、同じ長さで吐き切られた。
「もう、出前でいいか?」
「さんせー。陸戻ってきたら電話しよー」
私たちの中で方向が決まる。
ドアの外から、大きな足の規則的な音が聞こえてきた。




