第二十六話 甘い誘惑に毒は隠れ 5
「瑪瑙が同性愛者だと言うことは、聞いている?」
先輩の問いかけ。私は答える。はい。
「そう。だから、士官学校に入ってから、瑪瑙に彼氏がいたことはない」
彼女もだけど、と先輩が皮肉めいた笑みを浮かべて、そう揶揄する。
「それは犬飼先輩が邪魔をしているからでは?」
もしも瑪瑙先輩の恋心を知りながら、意図的に行っているのなら、とんだクズと言わざるを得ない。
彼は小さな笑い声を吹く。
「……瑪瑙は、素敵な人だろう?」
先輩は手付かずのデザートにフォークを突き刺す。
弄ぶようにフォークを回し、真ん中に小さな穴を空けていく先輩に、行儀が悪いと眉を顰める。
「雰囲気があるのに、本人はフレンドリー。掴み所がないのに、相手に自分を知ったと錯覚させるのがうまい。……入学当時から、男女問わずモテていたよ」
それに、成績だって優秀だった。
「この学校において、人が寄りつかない理由がない女性だったよ、瑪瑙は」
お行儀悪くケーキに穴を空けていた先輩のフォークが、ピタッと止まる。
「……君は、この学校のカースト制、並びに、上位陣にオトモダチが増えていく意味を知っている?」
私は正直に首を振る。
彼から苦笑交じりの笑い声。
「そうだよね。まだ瑪瑙はそこまで教えていないか」
「瑪瑙先輩が? なぜですか」
「先輩として、気に入った後輩ができた時、世話をしながらカースト制の意味を教えるんだよ」
首を傾げる。
先輩は、何故ならと前置きをする。
「目を掛けるということは、大半に実力の片鱗を見るからね」
「……どういうことですか」
「伸びるって思える子を見付けて、傍においておくんだよ。上位に登る可能性がある子を」
青田買いって言えるのかな。
先輩は呟く。
「この学校で上位にまで登ることができるということは、軍に入った後、昇進の可能性が高いっていうのは……。知ってるね。知ってる顔だ」
話は早いとばかり、先輩は続けて話す。
「だが、軍の中にも派閥がある。他者を蹴落とそうと目論む者がいる。知識もなく、度胸もなく、丸腰でそんな魑魅魍魎の世界へ放り出されれば、格好の餌食だ」
手に持ったフォークに力を入れる。
先輩のケーキが真っ二つに割れた。
「だから、ボク達は武装する。頼ることができる味方を、一人でも多く作る。そのための青田買い」
割ったケーキを、さらに一口サイズに切り分けて、上品に口へ運んでいる。
先程までケーキの真ん中をほじくっていた人とは別人のような仕草。
「ボク達は、目を掛けた子たちの面倒を見て、ありとあらゆる物事を教え込み、教育をする。恩義を売る」
もう一口切り分ける。もう一口。
細々と切り分けられたケーキ。
それがあった皿上は、バラバラの惨殺現場になっていく。
「代わりに、その子が軍へ入ってきたときに、味方になってもらう。自分が偉い立場に立つことができているのなら、取り立ててあげることもできる」
赤いソースが余計に現場らしく彩りを与えている。
妙なマッチを見せる皿を、ため息をつきたい気持ちで眺める。
「自身の右腕として、頼れる有能な味方は、一人でも多いほうが良い」
可哀想な惨殺現場を見ていると、彼はニヒルに笑っていた。
「……脈々と受け継がれる伝統で、一人でも多くの卒業生を守るための、ボク達の武器だ」
学校の、ひどく面倒くさい伝統と思っていたそれには、予想以上に殺伐とした理由があった。
あまりのシリアスさにそろそろ耐えきれなくなった私は。
「……それより、そのデザート、可哀想なので早く食べてもらってもいいですか」
「あ、ごめん」
素直。
予想もしていなかった台詞を吐かれると、人は中々対応できずに素直になる。私、覚えた。
「食後のお飲み物は」
「ボクは紅茶で」
「私、コーヒーお願いします」
「ミルクやレモンなどはいかがいたしましょう」
「ボクは砂糖とミルクを。……君は?」
「私はいらないです。ブラックで」
「かしこまりました」
ウェイターの男性が、しずしず下がっていく。
「意外だな」
「何がですか」
「もっと甘いものが好きだと思った」
私は目を細める。
「よく言われます」
嘘。実の兄弟でも知らないこと。
届いたコーヒーの湯気が揺れる。
翠先輩は紅茶のカップを持ち上げる。
その指は取っ手を摘んでいる。輪に通してはいない。
「……で。どこまで話したかな」
「カースト制の意味までです」
「そうだったね。ボクが何を言いたいかっていうと、逆にそれを利用する弱者もいたって言うことだ」
眉を上げる。
全貌が掴めるような、掴めないような、曖昧な境界線。
「それこそ、ハニートラップでも何でも使って、将来的な自身の立場を盤石にしようとする、強かな女の子とか、ね?」
「もしかして……」
何かに辿り着いた気がした。
それを口にする前に、翠先輩の人差し指が口元に当たる。
「しー」
彼の笑みは、あの日見た瑪瑙先輩の横顔と重なって見えた。
「……それ、言ったんですか」
「ん? なんのこと?」
「瑪瑙先輩に」
彼は肩を竦める。
何も言わない。それが答え。
「素直になればいいのに」
「ボクはこれ以上ないくらい、素直に接しているつもりなんだけど」
「素直が屈折してる」
呆れた。
目をうんと細め、ありとあらゆる表情筋を動員し、阿呆らしいと思っています。と全力で伝える。
「そんなのやってたら、いつか本当に嫌われますよ」
余計なお世話かも知れないけれど、私は善意の忠告をした。
彼は、瑪瑙先輩と重なる寂しそうな笑顔で一言。
「嫌われているくらいでちょうどいいんだよ」
「キモ」
ノータイムだった。
何かを考えるよりも先に、脊髄で返答していた。
「自己陶酔型ナルシズムの極みみたいで本当に気持ち悪いですね」
「ナルシっ?!」
先輩は今までの比では無いくらい、大きく目を見開いて驚いている。
まるで、そんなことを言われるとは露ほども思っていないと言いたげに。
「自己犠牲被る自分がカッコいいとか思ってるんです? 本当に?」
最早先輩への敬意や最低限のマナーなど、取り繕いって名前の仮面とともに、どこかへ放り投げた。
「先輩がそう思うのは自由ですけど、瑪瑙先輩の気持ちも考えてあげてください」
対人運が無かっただけの瑪瑙先輩が、思った以上に人間だった翠先輩の言動で哀しくさせられたことに、多分、私は怒りを感じている。
「誰だって、屈折した愛情を向けられるより、素直な愛情表現をする人のほうが好きになるんですよ」
最後の一口を飲み干したコーヒーカップの底には、黒い液体がほんの少し、揺蕩っていた。




