第二十話 VS 長兄 2
迫る靴。鼻が潰れる予感。私はそれに集中しそうになって、一瞬。
「!!」
陸の足首を掴む。
添えた右手で反対側へ押し出す。
勢いのまま左肩スレスレを通して。
陸が転んだ。
尻餅ついた。
目を瞑った。ほんの一瞬。
(今なら!)
頭の中でシミュレーション。
陸の右手を踏むか蹴る。
ナイフを遠くに追いやる。
陸の頭に銃撃一発。
……と、そこまでシミュレーションして、私は。
「!!」
陸から急いで距離を取る。
どうしてそう思ったのか分からないけど、見えた。
あのまま、陸の右手を狙った瞬間、私はきっと負けていた。
「ちっ。バレたか」
のそりと起き上がる陸の手に、小さなトゲのようなもの。
「……それ、なに」
「痺れ薬の付いた撒き菱」
「そんなの武器支給にあったんだ」
「いや、手作り。……翠先輩の」
「トゲが手作りなのも驚いてるけど痺れ薬どこから出てきたの」
陸は肩を竦めて黙秘する。
「何で分かった?」
陸の真似っ子。スカして肩を竦めて「さぁね?」。
「……空にやられるとムカつくな、それ」
「ひっどーい」
軽口を叩く私。
さっき、負けることが見えた瞬間、どういうわけか。
私を取り巻く周囲の景色が見えた気がしたんだ。
瑪瑙先輩はさっきの位置に。
陸以外のチームメイトは、ここには居ない。テントはデコイ。
……それから、崖の上のもう一箇所。
瑪瑙先輩から少し離れた位置に。
(翠先輩)
彼がそこにいる気がした。
今はもう、そんな世界は見えないけれど。
「まだ決着はつかないってことだね」
「そういうことだ」
「せめて撒き菱捨てたら?」
「だが断る!」
ナイフを片手に突進猛進。
イノシシみたいなその勢いに身が竦む。
が、動きが固まることはない。
飛び跳ねて前のめりに転がり込み、直線的に走ってきた陸の横位置を陣取る。
横目に動いた陸の右目と視線が合う。
空の色をした澄んだ瞳に、獣のような光が灯る。
あ、来る。
そう思った瞬間、陸が砂を擦る音が聞こえてきた。
左足に力を入れている音。
軸足が右足の陸は、この後飛び掛かって来ても、右足に力を入れる時より初速が落ちるはず。
一挙一動に集中する。
視線は陸の方向に。
姿勢を低くして飛び掛かる予兆動作がやけにゆっくり見える。
陸の吐息が、陸の鼓動が、陸のナイフを握る音が。
足で地面を踏みしめる音が、衣擦れの音が。
周囲で木の葉が擦れる音も。
息を呑んで見学をしている瑪瑙先輩の吐息も。
面白そうにニヤついた翠先輩の、不気味にぽっかり空いた気配のなさも。
全部、全部、全部。
見える。
陸が注視している、視線を向けている場所が見える。
陸の意識が向いていない死角が見える。
それが常に動いていることも、全部。見える。
不思議な感覚だった。
全能感すら感じた。
今、私、この場のすべてが見えている。
馬鹿の一つ覚えのように突進してくる陸の勢いに怯むことなく、ぎりぎりまで引き付ける。
方向転換が難しくなるくらいまで引き付けて、私は。
「えいっ!」
陸の元へ飛び込んだ。
「!!」
陸が作った隙間に滑り込み、彼の背後に回り込む。
びっくりしたように私の姿を視線で追う陸。
彼の視線が背後に向くまでに、私に見えた彼の死角に立つ。
銃弾は全部で六発。
うち、一発は既に使っている。
五発は使える、だけどチャンスはきっと一発。
私がここで使った手段を、陸は今後、絶対に警戒するから。
その手段はもう、よっぽど相手が隙を見せないと使えなくなってしまう。
でもきっと、陸はそんな隙なんて見せない。
だから、この瞬間を逃してしまえば、きっともう使えなくなる。
(絶対に当てる)
短い時間で覚悟完了を済ませ、照準を合わせる。
陸に遅いと言われた照準を合わせる時間も、彼が振り返るまでの短い時間があれば充分だった。
(今!)
銃弾を放つ。
たった一発。
それは違わず、直線を描いて陸の後頭部を狙っていく。
……はずだった。
「くっそ!」
思わずついて出た悪態。
想定が甘かった。
私の想定よりも何秒も早く、陸は防御体勢を整えてしまった。
驚異的な体幹を駆使して、普通なら崩しそうな体勢をもって、彼は後頭部に飲み込まれる寸前だった銃弾を右手で弾いてしまった。
だけど、いいこともあった。
銃弾が当たった右手。
そこに握られていたナイフが、勢いよく弾かれ、陸から遠く離れた場所へ転がっていった。
カラン。ナイフが転がる音も、新しく耳へ飛び込んでくる。
形勢逆転。
これで陸は丸腰になった。
痺れ薬の撒き菱も、近付かなければ無いも同然。
陸もなんだか、右手を庇っているような動きを見せている。
撒き菱が仕込まれた腕を封じられた様子を見て、ふと、肩の力が抜ける。
油断。
それ以外の何物でもない。
さっきまで張っていた気が肩の力と一緒に急に抜けた。
同時に、さっきまで見えていた周りの空間が見えなくなった。
瑪瑙先輩の息遣いも、翠先輩の気配も、陸の見えている世界、見えていない世界もすべて、見えなくなってしまった。
だから、陸にトドメを刺そうと銃を構えた私の動きは、きっと絶好のカモだったのかもしれない。
陸が何かに気付いた顔を浮かべる。
彼の視線を追う私の世界が、スローモーションに見える。
鋭い発砲の音。
既に弾丸を撃った後のぽっかり小さな暗闇を見せる銃口。
額に、重い衝撃。
続いて電撃を浴びたような、びりびりした痛みが全身に広がって。
私の意識が暗転した。




