第十五話 命を喰らう 2
昨日とは違う野営場所。
何キロ歩いたか分からないけど、随分長い時間歩いて辿り着いた気がするこの場所で、焚き火の音と、煮込んで調理する音が混ざってデュエットを奏でている。
私はと言えば火起こしの当番。
火を起こして調理班に渡したあと、少し離れた隅っこで、こうして三角に座りながら顔を膝に着けて、小さくなっていた。
できるだけ、誰の注意も引かないようにと願うのに、先輩たちは私のことを気に掛ける。
「夏ちゃん、ご飯できたよん。お食べ?」
「……いいです。食欲ないですし」
「うーん、こりゃ重症」
肩を竦めた瑪瑙先輩、呆れた雰囲気。
やがて離れていく彼女に、胸の奥がジクリ痛む。
少し遠くで先輩たちの談笑のような声が聞こえてくる。
食欲はないのに、お腹はくぅ、と音を立てた。
しばらくすると、何の動きもない私に業を煮やしてか、傍らにどっかり腰を下ろす先輩がひとり。
「……日向先輩」
「ん」
差し出される椀から目を逸らす。
なのに、逸らした視線に映すように、彼は椀を司会に割り込ませてくる。
「いりません」
「食え」
「だから」
「拗ねてる時間でやれることあんだろ」
「拗ねてないです」
「なら食え」
渋々ながらゆっくり動き出す。
先輩は、押し付けるように椀を渡した。
「拗ねて飯食わなくなンのは安全な家でやれ。今は飯の一口が命綱になんだよ。お前が拗ねてて迷惑被るどころか、命の危機に晒されるのは、オレたちだ」
渋々。本当に渋々、汁物を口に運ぶ。
私が逃がしたウサギの代わりに、先輩たちが別に採ってきた、野草や魚が入っているスープのような何か。
出汁はないし、味噌汁でもない。
濃いめに味付けされてるわけでもなくて、感じる味覚はほんのり効いた塩味だけ。
普段食べてる料理と比べれば、美味しくはない。
(美味しくない)
なのに、お腹はどんどん受け入れる。
喉を通ってお腹が温まっていくと共に、頬に温度のある水滴が垂れ流される。
「ぐずっ」
椀に流れ落ちていく水分。
塩気が足されたかと思っても、さほど味は変わっていない。
だと言うのに、口に運ぶ腕は止まらないし、流れていく物も止められない。
日向先輩はもっと食えとばかり、もう一皿を押し付けてきた。
「ゔゔゔゔゔ! ゔぐぅぅ!」
きっと私は、涙とか鼻水とかでぐちゃぐちゃになっているひどい顔。
咀嚼しているから口から漏れる音は言葉ではない。
唸り声のような音を鳴らしながら、未だ残っていた怒りのままに、先輩を睨みつける。
「おーおー、威勢いいなぁ」
面白がっている口角。
「ゔゔ!」
「早よ食え」
さらに噛み付くと、頭にチョップをかまされた。痛い。
小突かれながら頑張って食べきったスープ。
空になった椀が二つ、地面に転がる。
お腹が暖かくなると、急に頭が冷えてきた。
「……ごちそうさまでした」
「荒太に言ってやれ。魚捕ったのはアイツだ」
粛々と椀を片付けていく日向先輩。
中腰で立ち上がった彼の背中に、ボソリと呟く言葉は、思わず漏れたもの。
「平気そうに見えました」
「あん?」
「先輩が言ってたやつ。学校で、私みたいな思いしてる人もいるって」
先輩が「ああ、あれか」と記憶を思い出している。
彼は何でもないように、立ち上がる。
背中を向けたまま、当然だと言う。
「んなの、知られたくねぇ奴らだっているだろ」
やけに静かな声だった。
離れた談笑も小さく聞こえてくるような、静かな、静かな。
「ペラペラ話せる奴らもいるけどな。そうじゃねぇ奴らはさ、必死に取り繕って平静保って、いかにも自分は普通の人間です、なんて面して必死になって生きてんだ」
焚き火の爆ぜる音よりもハッキリ聞こえる先輩の声。
それはなんだか。
「可哀想なんて思われたいわけじゃねぇ。何かの償いが欲しいわけでもねぇ。ただ平穏に暮らしてぇだけなんだよ」
やけに真に迫っているように感じて。
「そのために、浮かべたくもねぇ笑顔浮かべて、必死に普通の人間演じてんだ」
まるで、日向先輩が実体験を話しているような、現実味があった。
「……先輩も、そうなんですか」
だから、その問いが出てきたのは、私の中では必然だった。
肯定はない。
……否定も。
代わりに返ってきたのは、彼自身の話。
「オレ、人、殺してんだ」
「……え」
「お前ンとこみたく旅先で戦争に巻き込まれてなぁ」
立ちっぱなしの彼の背中が、焚き火の逆光で暗く見える。
「運も悪くてなぁ。すぐに保護もされなかったから、飢えを満たすためにさぁ」
椀を持った手に、力が籠もるのが見て分かる。
「弟、食った」
音が消える。
衝撃で、周りの音が一気に聞こえなくなる。
ただ、耳鳴りのような頭の後ろからジーンと響くノイズと、日向先輩の話し声だけが聴き取れる。
「信じられるか? 昨日まで弱弱しながら生きてたやつが、次の日死んでんだ。隣で寝てただけなのに。それで、腹減って限界ンなって、最後まで守ってたそいつの死体を食う経験なんて、信じられるか?」
声はハッキリ聴こえてくるのに、ハウリングが酷い。
ボヤンとぼやけた輪郭の無い声が、ノイズみたいに直接脳に届くような、不思議な心地。
「まずいかうまいかもわからなかったなぁ。必死だった」
私は日向先輩の理解ができなくなった。
「親は存命。連れ出してたのは叔父夫婦。そっちは死んだけど」
だって、私より断然ひどい経験なのに。
「だけど親は年離れた弟が可愛くってなァ。弟いなくなってから、壊れちまったンだ」
想像だけで泣きそうになるくらいなのに。
「オレぁ居ないものとして扱われた。居心地悪くて、高校卒業した後に家出同然にここ来たんだよ」
痛みがずっと続いていたのに。
「オレがここに来るって一応報告したときもさ。なんて言ったと思う?」
どうして彼は。
「父親は〝金は出さん〟。母親なんて見えてないし聞こえてないように振る舞ってたよ。なーんも言ってこなかった」
そんなに平気でいられるの?
「まあ、そんなこと平気だったけどな」
日向先輩は、普通の人間みたいな笑顔で笑った。
「……腹が減ってんのに、食うものがないこと以上に、辛いことはきっと無いからさ」
***
頭が真っ白になるくらいの衝撃が、私をいまだに襲っているのに、当事者である日向先輩は、そんなことどこ吹く風でお皿を洗っている。
そんな彼の背中をぼんやり見ていると、コソコソした動きで瑪瑙先輩が隣に腰を下ろす。
しゃがんだ膝に両肘を。
頬杖をついた彼女は、ニコニコ楽しそうにこっそりと。
「お花ちゃん、優しいっしょ?」
一瞬、理解が追いつかなかった。
「……どこがですか」
だって怒鳴るし。ずっと小突くし。
髪の毛引っ張られたし、なんか怖いし。
そんな個人の感情に、ぐるぐる、ぐるぐる振り回されている。
だけども、瑪瑙先輩がスタンスを一切崩さずに、発した言葉に、私の動きはピタリと止まる。
「だって、ウチもお花ちゃんの過去なんて、今初めて知ったもんな」
「な、んで」
動揺して声が震えた。
瑪瑙先輩はキョトンと一言。
「夏ちゃんのためでしょ?」
当たり前の事を当たり前に教える瑪瑙先輩。
その態度はいつも通り。緩くて、掴みどころがなくて……。
「言いたくないことを、夏ちゃんのために言ってくれたんよ?」
クラゲのようだった先輩が、その時は確かに人だった。
〝んなの、知られたくねぇ奴らだっているだろ〟
まだ濡れている顔を袖で拭い、私は走る。
洗い物をしている先輩の、その背中に追いつくために。
「……日向先輩!」
「あん?」
振り向いた彼に、宣言ひとつ。
「私、頑張りますから!」




