第十四話 命を喰らう 1
「ごらぁぁあ! 一年!!」
「すみません!」
「ごめんで済むなら今こうなってねぇだろ!!」
「すみません!!」
必死に頭を下げる私の手には鋭く光るナイフが一つ。
視線の先には逃げ去る茶色の毛皮のウサギが一匹。
「いいか一年! オレらの飯は補給食だけで賄えるわけがねぇ! だから狩るんだ。それをお前は……!」
「すみませんでしたぁ!!」
一段深く下げた頭の上から大きくこれ見よがしなため息。
日向先輩が捕らえた活きのいいウサギを、私は絞められずに逃がした。モタモタしている間に、逃がしてしまった。
今日の食料になるはずだったウサギの姿はもう見えない。
その代わり、空腹で過ごすことになる可能性だけが残された。
手間取ろうなんて思っていたわけがない。
ちゃんと説明を受けた瞬間からイメージトレーニングだってした。
日向先輩が生け捕りにする。私が頸動脈をナイフで切って宙吊りにして血を抜いて――。
だけど、いざ首にナイフを当てた瞬間、肉に僅かに食い込む感覚を手に感じた瞬間、どうしようもなく思い出してしまう。
ママが死んだ、あの光景を。
血が出てた。全身の姿を見たのはそれが最後になった。戻ってきたのは手だけだった。それも片方。
ママは死んでしまった。
死んでしまった、死んでしまった、死んでしまった、死んでしまった! 死んでしまった!!
口元を手で抑える。
腹の奥底からせり上がってくる胃液や食べ物が、せめて出ないように抵抗する。
なのに日向先輩は、関係ないとばかりに髪の毛を鷲掴む。
「ゔ、ぇ」
鷲掴まれた髪の毛は引っ張られ、体は引き倒される。
前のめりに倒れる。その衝撃で、堪えていた胃の内容物が、口から外に逆流した。
「吐くなら吐いちまえ。フラッフラの状態でいられても迷惑なだけだ、一年」
両肘を地面に着け、四つん這いにもなれない体勢で無様に這いつくばりながら。
私は吐いた。胃の中が空っぽになったと思えるくらいまで吐いた。
吐いて、吐いて、吐ききって。
そうして何も出なくなった頃、這いつくばる私の隣に、日向先輩がしゃがみ込む。
僅かに視線を横にずらすと、ヤンキー座りの脚が見えた。
「お前、誰か死んだんか? 目の前で」
吐くものがなくなっても、襲い来る吐き気と闘い、地面に這いつくばる私に、日向先輩が問いかける。
「マ……お母……えっと」
「母ちゃんな。それで?」
早く言えと続きを促す。
戸惑いながら、当時の状況を思い出す。
思い出したくないけれど、説明のために、仕方なく。
「母が、死んだ時、その、私たちは海外に行ってたんです。みんなで。母も一緒に」
教授のアルバイトを承諾して、折角だから家族みんなで行こうってことになったんだ。
「それで、私、大学の教授と一緒に出かけてて。戻ってきたときになんか、国境付近の戦闘が、その、激化? したって聞いて……」
記憶を辿りながらだからなのか、それともあまり思い出したくない気持ちがストップをかけているのか。
実に要領を得ない、言い淀んだ説明をしている自覚はある。
「次の日帰ろうって、なったんです。それで、夜中寝てたら、陸と海。あ、私の兄たちなんですけど」
「長え。要点まとめて言え」
「すみません。泊まっていたヴィラに隠し空間があって、私たちはそこに隠れました。だけど母だけが入れる空間がなくて」
自然と姿勢は正座の形に。
膝の上で握られた拳の色が白く変わっていく。
「母は私たちを隠す方を選びました。その空間のすき間から見えたんです。母が撃ち殺される姿。それで、その後、私、気を失っていたのか覚えてなくて」
声が震える。嗚咽で震える。
せめて涙だけは零さないよう、必死で目元に力を込める。
「カフウに帰ってきて、お葬式があって、それで、戻ってきたのは母の片手一本のみで……」
私の話を聞いた日向先輩は、長い沈黙の後、ポツリと。
「そうかい。大変だったな。……んで?」
……で?
正直、何を言っているのだろうと思った。
辛い思い出を話していたのに。それをたった一言で切り捨てる先輩に、怒りすら湧いてきた。
「……なんですか」
「あん?」
「なんでですか。母が、死んだこと、そんな一言で、なんで、片付けられるんですか、なんで」
怒りを抑えつけ、必死に言葉を絞り出す。
少しでも気を緩めてしまえば、怒鳴り散らしてしまいそうだ。
怒りに顔を歪めた私の顔が映し出されている先輩の目は、厭味ったらしく三日月に歪む。
「はん」
鼻で嗤った。
「んな思いしてるやつなんざ、この学校にだって見かける。ヨソの国行きゃもっといる」
つまらない話を聞いた観客みたいに、気怠く立ち上がった日向先輩。
上から見下ろす彼を見上げる。
ひどく、無表情だった。
「ぬりぃんだよ。軍は人を殺すかもしれない場所だぞ?」
上から降ってくる声には苛立ちすら感じない。
見放された。そう、本能的に感じることのできる色の無さ。
「ウサギ一匹チンタラ逃がすお前に人を殺せるとは思えねぇな」
彼は私を突き放す言葉を放り投げた。
「殺せるようになれ。できなきゃ辞めろ」




