第十三話 虫もまだ眠らない頃に 3
「同性愛」
「そー。ウチ、女の子が恋愛対象なんよね。もちろん、手当たり次第に好きってわけじゃないけど」
焚き火の薪がカランと落ちる。
火花が天に向けて昇る。
極小の蛍のような、明るくてか細い光を見送って、昇る火花と天を見た。
「……変だと思うかい?」
三角に折った膝に、腕と顎を乗せて上目遣いにこちらを窺う。
私は言葉を選ぼうとした。
だけど。
「変じゃないと思います」
「ほんとぉ? 今、言葉選んだっしょ?」
「はい。選ぼうとしました。だけど」
私は瑪瑙先輩の目を見つめる。
「選んだ言葉で、瑪瑙先輩に届くと思わなかったから」
目が瞬き二回。
やがてそれが、ふ、と細められ、微笑まれた。
「……夏ちゃん、変な子」
「変?!」
なんだと。ショック受けるぞ、私。
内心でショックを受ける私を、瑪瑙先輩はニコニコ微笑みながら、ずっと見ていた。
「あの子も、変な子だったなぁ」
瑪瑙先輩の目が、遠い、遠い届かない場所にある一点を見ているように、細く細く、細められた。
「……犬飼先輩が恋敵になったお話ですか?」
「ん。そ」
覗く瑪瑙先輩の目。まさに恋する乙女。
……いや、恋してた乙女。
「あの子はねぇ。ウチのライバルでもあった子なんよ」
懐かしそうに昔のことを話す先輩は、もう自分の中で区切りが付いているようにも見える。
……だけど、翠先輩への態度を見る限り、まだ完全に決着は付いていないようにも感じる。
「入学して、ルームメイトから始まって。テストの点数も、実技試験も。張り合ってたなぁ」
ポツリ、ポツリ語っていく先輩の言葉に呼応するように、火花はパチパチ音を立てて、小さく静かに囃し立てる。
「結局好きだって言えなかったけどね。……だけど、翠。アイツだけは許せない」
懐かしさに穏やかだった先輩の表情が、一気に険しくなる。
「好き合ってくれていれば良かった。ウチだって、それなら諦められた。あの子はノーマルで、普通に男の子を好きになれる女の子だって、思い込むことができた。……それなのに」
瑪瑙先輩が、膝の上で拳を握る。
固く握りしめられた手の皮膚が、力が入って白くなる。
「アイツ、言ったんだよ」
彼女の背後に見えた気がした。
悔恨に塗れた、当時の映像。
『瑪瑙が好きそうな子だったから、ちょっかいかけたら取っちゃった』
優男の笑みで穏やかに笑いながら、目の奥は深い闇で、覗き込むことさえ恐怖で億劫になりそうな、翠先輩の姿が。
「あの子の想いなんて、関係無かった。アイツは、ただウチに嫌がらせをするためだけに、あの子を弄んだ」
手が、これ以上ないほどに握られている。
放っておけば血でも流れそうにキツく握りしめられているそれを両手で包む。
思わずといった様子で緩められた力。
すかさず、その手を開かせた。
血は流れてはいないものの、やはりと言うべきか、爪の跡が深く刻まれていた。
「……その人は、今」
「……もう、いないよ。アイツが、辞めさせた。何を言ったか知らないけど、いつの間にか部屋が空っぽになっていて……」
落とした空っぽの感情で先輩は笑う。
「置き手紙だけがあった」
たった一文が、たき火の音さえ掻き消して、やけに大きく空虚に響く。
「書いてたよ。アイツに、翠に言われたから辞めるって。それだけ」
ぽつりぽつり。小雨にも似た後悔の言葉は、土砂降りの前兆にも感じた。
「才能あふれる子だった。あのまま二年次に上がっていれば、ウチの今の順位は、あの子のものだったかもしれない」
瑪瑙先輩から笑顔が消える。
「それを、アイツが、潰した」
その目の奥は真っ暗だった。
カラン。もひとつ薪が落ちる。
小さな蛍は消えかけて、薪は澱火となっていく。
「……ウチがアイツのことが嫌いなのは、ただの私怨ってこと、分かってる。何を言おうがしようが、あの子はもう戻ってこないんだから」
独白のような独り言。
薪は静かな赤みを持って、澱火に落ち着いた。
「……湿っぽい話、おーわり! いんや、センチメンタルになっちゃうねん、焚き火があると!」
お話に付き合ってくれてありがとう。そう言う瑪瑙先輩の明るさが、どうも空元気に見えて私は。
「一泡吹かしてやりましょう!」
……なんて、思わず口に出してしまった言葉で、瑪瑙先輩の動きを固まらせてしまった。
突拍子もない話に驚いた風の瑪瑙先輩は、やがて緩く首を振る。
「……んーん。そりゃ無理だ」
「なんでですか」
「……アイツ、目がすごいんよ」
瑪瑙先輩は語る。
翠先輩の厄介さを。
「さっきからも何度か話題に出てるけどねん。アイツ、ターゲットがどこに隠れていようと見つけられる、視界の良さがあってねぇ。不意を突こうが何をしようが、今までで一回もぶん殴れたことがないんよ」
見つかって対策取られちゃうから。
そう呟いた瑪瑙先輩の諦観した目。
きっと今まで、何度も挑んできたのだろう。
その度に敗れて来たのだろう。
……たった一人で。
私は瑪瑙先輩の両手を握る。
不意の行動に顔を上げた彼女の目を見て、私の考えをはっきり告げる。
「犬飼翠先輩の、目が厄介なんですよね? でも、目が厄介でも身体は一つだけのはずです」
私の作戦なんて、先輩にしてみればなんてお粗末で、拙い物だと思われるだろう。
けれど、これが今の私にできる精一杯。
チームメイトでルームメイトで、きっと順位を度外視している作戦を私のために立ててくれた、音成瑪瑙という先輩へ返せる、小さな恩返し。
「だから、私が犬飼翠先輩の注意を引きます。その間に瑪瑙先輩は……」
拳を作って、空気を殴る真似をした。
「ぶん殴っちゃってください。一発と言わず、二発でも三発でも」
しばらくの無言。
あっけにとられた様子の先輩は、やがて。
「あっはははは!」
心底面白そうに、手まで叩いて笑い出した。
「いいねぇ、それ! できたら最高だねん」
「できますよ」
夢物語として片付けようとした先輩に、私は言葉を強く告げる。
「瑪瑙先輩だけじゃなくて、私もいれば、きっとできます」
瑪瑙先輩は、固まった。
イエスもノーも聞こえなかった。
ただ、夜の闇に、澱火のジワジワした音だけが残っていた。




