第四十三話 林間学校 2 〘海の世界〙
「林間学校だっ! 林間学校だね、海!」
「聞いてる聞いてる。もう何度も聞いてる。昨日からどれだけ言うんだよ、それ」
バスの最後尾、五つほど連なった席に並んで座る僕たち。
隣から、僕と陸に挟まれる空がテンションも高めに小声で話しかけてくる。
小学生。下手したら幼稚園児にまで精神退行していると言われても納得してしまう中身の幼い妹。
空は昨日からワクワクしっぱなしで、夜中の寝落ちする瞬間まで、空の部屋からは物音がずっとしていた。
(ちゃんと寝たのか? 空)
はしゃぎすぎて今日の行程で眠いとか言い出したらどうしよう。
尚、挟まれたもうひとつの部屋は陸の自室だが、こちらは早々に高いびきが聞こえてきていた。
それなのに大あくびをかましているのは何故だ。陸。
「ねえねえ陸!」
「あんだよ」
テンションも高めに、小声で陸へ話しかける空。
陸は寝不足もかくやとやや不機嫌そう。
構わずに話しかけられるの、すごいと思うよ、僕。
「もし眞鳥さんから告白されたら付き合うの?」
からかいを全面に出して、ニマニマ笑いながら空が陸に問う。
今出す話題か? それ。
僕には分かる。
これは、空気を読めていないんじゃなくて、気持ちはハイになっているけど体は眠くて、脊髄反射で思ったことを放出している時の空だ。
(先に空を眠らせるか……)
一日目、着いた瞬間から沢登りがある。
途中で眠くなっても、水辺だから登り続けるしかない。
空、と呼ぶために口を開く。
しかし少し早く、陸が口を開いた。
「付き合わねえよ」
紡ぎ出されたのは先ほどの、眞鳥さんと付き合うかどうか。その答えだった。
空はキョトンと理解ができない様子。
「なんで? 眞鳥さんいい子だよ? 見た目も可愛いし、性格も良かったし」
話したことあるのか。
空の作り出す交友関係の手広さに驚く。
絶対空と合わないだろうってジャンルの人とも、聞いてみれば友達だったり、そうじゃなくとも話したことがある知人だったり、いつの間にか友人の輪を広げている。
(どこから出てくるんだよ、そのコミュ力)
感心半分呆れ半分。それから羨ましさをひとつまみ。
多分、空のコミュ力があれば世界は幾分生きやすい。なんて。
(無い物ねだりはほどほどに)
反省をしている横で、眞鳥さんとは付き合わないと言った陸。
自嘲気味に陸は笑う。
「触れたら怪我させるかもしれないだろ」
……陸は、空を怪我させてから、人に触れることを極端に怖がるようになった。
いっとき、空や僕や、母さんですら怯えていた時期もあったのだが、今はその怯えは無くなった。
……と、思っていた。
陸の怯えは、内だけで解決され、外に向けては未だに怖がっている。
友人たちのボディタッチもさり気なく避けているし、女子たちのアピールも、困ったように躱すだけ。
体育のマイムマイムの練習は、いつも僕と空に挟まれてやり過ごしていた。
他の人、特に陸を狙っている肉食系の女子からのブーイングは、主に空に向かっていた。
陸は存外モテる。
運動ができること、スタイルのいいこと、それから顔がいいことが重なれば、多少の欠点はあってないようなもの。
そう女子たちが話しているのを聞いたことがある。
(それに運動を続けてもらっていれば、将来確実にオリンピックでメダリストになる可能性も高い……か)
打算ありきの将来展望を、甲高く語っていた女子もいたな。
(さて、この林間学校をどう乗り切ればいいことやら)
キャンプファイヤーで踊るマイムマイム。
この林間学校で告白すると意気込んでいた女子たち。
触れることに怯える陸を、どうやって囲えるか。
僕はシミュレーションをし始めた。
それと同時に。
「ねぇねぇ陸ぅ」
空が甘えた声で陸に擦り寄る。
なんだと振り向く陸。
「酔った」
顔色が青い。
今にもリバースしそうな空を前に、陸。
「ここで吐くなぁ!」
「うぇぷ」
車内はいっとき騒然とした。
***
「やっと着いたねー!」
「俺らは行きだけで疲れたわ」
「袋間に合って良かった……」
元気にツヤッツヤと顔を輝かせる空。
反対に、その後ろに控える僕たちは、疲れ切っていた。
「一歩間違えていたら、俺の股間にリバースだったぞ……」
「袋間に合った僕に感謝してよね」
「サンキュー。だけど海、いいのか?」
「何が?」
「使った袋って、下着入れ……」
陸から大きく視線を逸らした。
「汚れ物、陸の方で持ってってくれない?」
「……まあ、仕方ないか」
陸は肩を竦めて了承する。
「ただのビニール袋ならそこまで惜しくなかったんだけどね……」
「絶対百円単位じゃなかったよな、あの袋」
母さんが持たせてくれた、汚れ物を隔離する袋。
水着を入れる袋のような、防水の袋が、空のゲロにより、使い物にならなくなったどころか、ゴミ箱にサヨナラしてしまった。
「まあ、空もなし崩しに睡眠取れたみたいだし、いいか……」
「俺の膝枕な。硬いって文句言われたぞ」
いつまで経っても甘えっ子な僕たちの妹は、今日も今日とてワガママお姫様だ。
「陸ー! 海ー! 三人一組だって! 組も!」
それでも、あの笑顔を見れば、誰だって仕方がないと思ってしまえるのだから、すごい女だ。
(ズルいなぁ)
天性の人誑し。
それが空という、僕の妹。
「……だって」
「仕方ないやつだな」
そんなことを言いながら、それでも満更でも無さそうな陸と一緒に、ぴょこぴょこ跳ねる空の元へ向かっていった。




