第四十話 空、怪我をする 4
翌朝。
いつも通りの時間に起きるわたしは、玄関口から物音が聞こえ、首を傾げる。
「こんな早朝に、だれ……」
まだ寝ぼけ眼が覚めない状態で、早朝、薄暗い家の廊下を手探りで進む。
あくびを噛み殺し玄関に灯りをつける。
玄関口に座り込む人影は、大きく肩を揺らした。
「陸?」
「あ、あぁ、おはよ、母ちゃん……」
ぎこちなく笑みながら片手を上げる陸の格好は、部活動の時の。
「今日部活?」
「そ、そうそう! リレー練習があってさ……」
「でもリレーの選手からは外されたんでしょう?」
昨日聞いた話を再び口に出せば、わかりやすく挙動不審に陥る陸。
「えー……っと、それは……」
「……」
言い訳を探そうと目を右往左往させる陸。
ポツリ、独り言にも聞こえる声量で、わたしは声をこぼす。
「空と一緒が嫌?」
「……」
返答は、無言。
やっぱりそうかと確信し、わたしは肩を竦めた。
「部活に行かないで、どこで時間を潰すつもりだったの?」
「……適当に。その辺走ってれば時間潰せるから……」
バツが悪そうに頬を掻く陸に、苦笑した。
「せめて朝ごはんは食べていきなさい。食べてる間にお弁当作っちゃうから」
「……ありがと」
小さく返されたお礼と共に鳴る靴を脱ぐ音。
それを背中に聞きながら、わたしはリビングへと向かう。
「朝ごはんなに?」
「んー……。卵あるしチーズあるしオムレツどうー?」
「それでいい。パン焼くわ」
フライパンを熱している間、背後で陸がトースターを操作している音が聞こえてくる。
卵を割って溶いてー。
よしフライパンに流すぞと思った段階で。
「!」
陸が慌て出す。
「ん?」
不思議に思って振り返る。
「……なんで机の下にいるの?」
地震でも来るの?
机の下を覗き込むと同時、二階から。バタン!
扉が勢いよく開かれる音が響いた。
「ママーっ! 陸はーっ?!」
ドタバタドタバタ。
喧しく階段を駆け下りてくる空の声。
……もしかして、空が部屋で身動ぎした音でも聞こえていた?
わたしは陸の身体能力の高さに慄いた。
「陸! いた!」
「空……」
「……なんで机に潜ってんの?」
同じ格好で覗き込む空を見上げた陸は、気不味そうに視線を逸らす。
空はそんな様子の陸にお構い無しに、彼の腕を右手で掴んで引っ張り出そうと力を入れている。
「陸! 出かけるよ!」
「えっ、俺……」
「部活無いでしょ! あってもリレー外されたんだから、行く義務無いよ!」
「行く義務はあるだろ……。個人競技はやるんだから」
「空、知ってるよ。陸上部はリレーの練習ばっかり力入れてて、個人競技の人たちは除け者になってるの」
「そうなの?」
部活動の様子を知らなかったから、わたしはその言葉を聞いて驚いた。
空は頷いて、補足する。
「本当だよ。リレーの人たちがコートを使うからって言って、自分の練習のためにハードル出そうとしてた子が怒られてたの、空、見たもん」
「あれは時間配分ってものがあってな」
「でも個人競技の練習はリレーよりも時間短いでしょ。リレーが時間かかれば個人の練習できなかった日もあったじゃん」
「おま、毎日見てたの?」
図星だったようで、空に反論できずに固まる陸。
「お母さん、そんなことになってるの知らなかったよ」
同時に陸上部がそんな環境であることを知らずにいた自身の無知さに嫌気が差す。
「ママは知らなくても仕方ないでしょ。陸、何にも言わないし。学校に毎日来ているわけじゃないんだから」
空がフォローをし、そのまま陸を机の下からようやく引きずり出す。
「陸!」
「はいっ!」
空は陸の名前を呼ぶ。
強めに叩きつけるような語気で呼んだから、陸は反射で背筋を伸ばしている。
「陸が空に悪いって思ってるなら、今日は空に付き合って!」
傲岸不遜にも見える上から目線な態度で、文字通り上から陸を指差す空。
「拒否権無いから」
「……はい」
よし! とやりきった表情を浮かべニッコリ笑う空は、台所にいるわたしに目を付けた。
「あーっ! 美味しそうなの作ってる! チーズ?!」
「チーズのオムレツ。空も食べる?」
「食べる! 陸、空もパン! パン二枚食べる!」
「……へいへい」
床にしゃがんでいた陸は、のっそり起き上がってくる。
その様子は普段と変わらないように見えるけれど、やはり元気はどこかに置いてきてしまっている模様。
「空、陸が先だからね」
「分かってるよーう」
分かっているという割に、まだかなまだかなと足をパタパタ揺らしている。
「チーズッ、チーズッ」
「空、チーズそんなに好きだった?」
「最近ね! 同じクラスの三浦ちゃんからお弁当についてたチーズをもらって、それがすっごい美味しかったの!」
「六個入りのあのチーズかな? 今度お弁当に入れようか?」
「うん!」
空に友達がいないかもしれない、なんていつかの悩みは、杞憂であることを知れてよかった。
ほっとした気持ちを抱えつつ、不安な気持ちはまだ残る。
(陸……)
元気がどこにも見当たらない陸に視線をやりつつ、できたオムレツを皿に盛る。
同時にパンの焼けるにおいが漂い、焼き上がりの音が鳴る。
「ママ!」
「はぁい?」
「お腹すいた!」
親の心配すら無意味と言いたげに、いつも通りの空が笑う。
心なしか、陸の表情も和らいでいる気がした。




