第三十六話 三つ子、雑談する 下
空が落ち着いてきた。
ひとまず、空の肯定感が下がったままにならなかったことに安心し、陸と海の様子を見る。
「陸、海」
「ん?」
「どうしたの、母さん」
「敵討ちはだめよ」
強めに釘を刺す。
陸は視線を明後日に彷徨わせ、海は肩を竦めた。
「あっ、海、電話」
「わー、ほんとだー、もしもーし」
「逃げたわね」
わざとらしい話題の転換に、わたしはジト目を披露した。
中学校入学時に買い与えたスマートフォンは、三人の生活に役に立っているように見える。
特に使いこなしているのは海。
陸は……。部活の連絡に少しだけ使っているのを見たことがある。
二人とは対照的に、空は少なくとも、わたしの目の前では使ったところを見たことがない。
……友達、いるのかしら。
わたしは余計なお世話の余計な心配をした。
「うん、うん。分かった。少し待ってて。すぐに行く」
通話口の相手に相槌を打ちながら、通話を終わらせた海。
彼はスマートフォンをスリープさせ、なんてことのないように軽い調子で告げる。
「ちょっと花に呼ばれたから行ってくる」
メッセージでも返しているのだろう。
スマートフォンから視線を上げず、指をスライドさせて何事かを操作している。
「海ってば、花ちゃんのこと、いつの間に呼び捨てにしてるのよー」
空がこのこの、とちょっかいをかけると、すん、とした表情で、なんの気負いも照れもなく。
当たり前の事実を当たり前に言うかの如く。
海はその言葉を口にした。
「ああ。僕、花と付き合うことになったから」
しばらくの間。静寂。
次いで、悲鳴。
「えっ、ええぇぇぇぇぇっ?!」
「はっ?! おま、いつの間に?!」
陸と空が大層驚いていた。
わたしもかなり驚いている。
無理もない。
好意は丸見えでも、実際そんな素振りは、今まで一度も見ていなかったから。
「いつからだ?」
少しだけ冷静さを取り戻した陸が海に問う。
「この間の卒業式の日。三年生の」
「この間ってか半年前だけど。うん、それで?」
「僕から告白したらオーケーもらえて。で、そこから」
ここに来て、ようやく少しだけ照れが見える海。
だけどその顔は嬉しそうで。
「おめでとう、海」
「ん……。ありがと」
ぶっきらぼうに呟く彼の頬は、ほんの少しニヤけていた。
「へぇー……。で、付き合うって何?」
一同、その場でズッコケた。
昭和のアニメも驚きのズッコケぶりに、空はやはりキョトンと目を見開いている。
「知らずに驚いていたんかい……」
体勢を元に戻す陸が言う。
空はえーへへ、と笑う。
「なんか大切そうなお話だったから……。とりあえず驚いてみた」
天然というかなんというか。
そもそも中学二年生にもなって、付き合うの意味が分からないほど、純粋培養で育てた覚えはないんだけどなぁ。
わたしが首を傾げていると、陸がこほんと咳払い。
「いいか空」
「ハイ」
「付き合うっていうのはなぁ……」
だがここで陸。言葉に詰まる。
うまく説明できなくて、助けを求める顔でこっちを見ている。
「……母ちゃん」
「ハイハイ」
「付き合うって、なに?」
「陸もかい」
「付き合うの意味は分かってるんだよ! うまく説明ができないの!」
力強く熱弁する陸。
わたしは簡潔に説明した。
「付き合うっていうのは、彼氏彼女の関係になるってことよ」
「彼氏……彼女……」
おっと、まさかこの単語の意味も知らなかったりするのか?
身構えると、空は考え込んでいた顔を上げる。
「海、彼氏になったの?」
「そうだよ」
「花ちゃん、海の彼女?」
「うん」
「……花ちゃんは、海に独り占めされちゃう?」
「あー……」
これに関しては海次第だし……。
そう思って言葉を濁すと、見る見るうちに盛り上がる涙は空の目に。
「やだあぁぁぁ! 花ちゃんは空のお姉ちゃんなのー!」
「花ちゃんはよそ様の子よ」
駄々っ子空、再び。
わたしは思わずツッコんだ。
「そもそも花は一人っ子だって」
「うわぁん! 海がゆーえつかんにひったひたに浸っているぅ!!」
「……今度、花が空と陸とも遊びに行きたいって言っていたよ」
「え、行く」
切り替え早。
海が五月蠅そうに顔をしかめて言った花ちゃんの言葉に、空の涙はあっという間に引っ込んだ。
なんて単純。
早速「花ちゃんとお出かけ―」なんて機嫌よさそうに鼻歌まで歌っている。
わたしは呆れ顔の海と顔を見合わせる。
(行ってらっしゃい)
(行ってきます)
アイコンタクトで会話をし、空が花ちゃんとのお出かけを夢想している間に、海はさっさと家を出た。
「む?! 海は?!」
「出かけたわよ」
「しまった! ちょっと目を離している隙に!」
「出かけて三十分は経っているけどね」
どれだけ自分の世界に浸っていたのか。
わたしと陸は空を笑った。
――その日の夜。
わたしは真理藻さんと電話していた。
「……で、花ちゃんと海が付き合い始めたって聞いてねぇ」
「あ、海くん今日言ったんだ!」
「てことは、真理藻さんはそれより前に?」
「当日、当日!」
「えぇっ?!」
ケタケタ笑う声が向こう側から聞こえてくる。
「卒業式の後にすごくソワソワしていたから聞いてみたのよ。そうしたら、とっても嬉しそうに白状してくれたわ」
「海が花ちゃんに懐いていたのは知っていたけど、まさか花ちゃんもとは」
「家では意外とバレバレだったよ?」
電話越しに笑い合う。
夜の空には黒い雲が漂い、月の明かりに照らされている。
静かな夜だった。
穏やかな夜だった。
この夜のように、子供たちの今後の人生が、穏やかなものであるように願った二日後。
「ママ、ごめん。病院連れてって」
一波乱。
我が家に波が荒れ立った。




