閑話 だんまり蕾が花開くとき 下
「卒業証書、授与」
学年主任の声。
普段廊下を走る生徒を注意するその大声は、マイクを通してよく響き渡っている。
一組生徒、苗字あ行から順番に名を呼ばれては壇上へ上がる。
僕らは三組。あ行の苗字は天嶺の前に結構いるから、結果的に真ん中近くの順番。
天嶺の名前順に、僕が呼ばれて、空が呼ばれて、最後に陸。
(あいつら、転ばなきゃいいけど)
心配もそのはず。
卒業式一週間前のリハーサルでは、証書授与で呼ばれた際。
緊張し過ぎた空と陸が場所を入れ替わるとき、足を互いに縺れさせて、派手に転んだ。
その時、陸は空を抱え、前方一回転を決めて壇上から飛び降りた珍事件が発生している。
生徒たちからは拍手喝采だったが、教師たちは頭の痛そうな顔をしていた。
だからか。
天嶺の順番が近付くにつれて、教師たちの緊張感が、より濃く伝わってくるのは。
「三組、十二番。天嶺海」
「はい」
壇上に足をかける。
ひとつ前の生徒と入れ替わる時も、保護者席がざわついているのを感じ取っていた。
それが。
「十三番。天嶺空」
「はーいっ!」
空が元気に立ち上がる。
ざわり。
空気が一等揺れる気配を感じる。
(……やっぱり)
僕たちの見た目が珍しいことは、もうとっくに理解していた。
特に、空はあどけなくも、将来的に美女になると容易に想像ができる見た目に育っているから、色彩も相まって注目を浴びてしまうのだろう。
(でも)
そんな異様な空気の中でも、母さんだけは変わらずにいてくれる。
母さんは気付いていないようだけど、それが僕たちにとって、一体どれほど嬉しいことか。
「十四番。天嶺、陸」
「はいっ!」
少しの時間、壇上に僕ら三つ子が揃う時間ができた。
保護者席は、色彩だけまるで一枚絵のようにグラデーションで連なっている僕たちの姿にざわつき、職員席は、まったく違う種類の緊張感でざわついた。
「――以下同文。おめでとう」
名前と冒頭文以外は同文と纏めた証書は、空の手に渡る。
僕も壇上から降りているし、空も後は陸に場所を譲るだけ……。
僕がホッとしたのと同じくらい、職員席にも安堵の空気が漂い出す。
その時。
(あ、バカ)
空が壇上の入り口。つまり陸の方に向かって歩いていってしまう。
僕には分かる。あれは次にやることは程よい緊張感で覚えていたのに、やることやって緊張が抜けた瞬間、全てを忘れてしまった顔だ。
その証拠に、目の前に陸がいることに理解が追いついていない。
「なんで陸ここにいるの?」じゃないんだよ! 空が逆走してるんだよ!
職員席が頭を抱えている。
すみません、うちの妹が……。
もう、そのまま入り口から戻ればいいから、陸の進行を邪魔するな!
内心でそう思うのも、まるでカバディというスポーツのように、陸の進もうとする方向に立ちはだかってしまっているから。
……うん。嫌な予感がする。
おい、空、だんだんリズムに乗り始めるんじゃない。ノリノリになるんじゃない。
陸も乗るな。バスケットボールの妨害のように抜こうとするな。
生徒! 並びに保護者席! オーディエンスになるな! にわかにざわめき始めるんじゃない! 野次飛ばすな誰の保護者だ!
このままだと卒業式が長引くばかりか、多分後世に語り継がれる痴態を晒すことになりそうだ。
後者に関しては既に手遅れかもしれない。
自業自得だ。悪い例としてたっぷり語り継がれてしまえ。
(……。逃げよ)
命に係わる実害はないし、僕は我が身と我が名誉が大事。
ふたりが強烈に印象に残るなら、うすーく印象にも残らなくなるように、さっさと席に戻るに限る。
そう思って降りた壇の下。
戻り道として、授与式を行っているちょうど真下を通ったその時。
「あ」
「あ」
「……はぁ?!」
空と陸が降ってきた。
……本当になんでだ?!
「海、どけー!」
「無理だろこれふざけんなぁ!」
「うわー」
どたばた。コメディ映像のように落ちてきた二人。
保護者達が漏らした小さな悲鳴が収まった頃。
「むん!」
僕は陸に踏まれ、陸は空を肩に乗せ支え、空はむん! と荒ぶる鷹のポーズを決めていた。
***
「散々な目にあった」
「許してってば、ねぇ?」
上目遣いで許せと言ってくるが、生憎僕はその顔に弱くはない。
「いいじゃない。忘れられない卒業式になったでしょ?」
「母さん……。そう思うならそのにやけ顔抑えたらどう?」
「んふっ、いやぁ、ごめん、みんな可愛くって……んふふ」
あの後、笑いの波がさざめいた保護者席。
頭痛が痛いと二重表現を使ってきそうな職員席。
その中で一人母さんは。
無言で写真を撮っていた。
「消してよ、後で」
「えー?」
これは消してくれないな。
察した僕は肩を竦めて溜息を吐いた。
「海ー! こっちー!」
「はいはい……。ちょっと行ってくるね」
「はい、行ってらっしゃい」
空に呼ばれて向かった先では、クラスメイト達が色紙交換とかいうイベントを開いていた。
「海のメッセージ欲しがってる子たち、たくさんいるよ!」
「えぇー……? 面倒くさい」
「こらっ」
ぼそっと呟いた言葉拾われて、小さな叱責と頭を小突かれた。
「はぁ……。陸は?」
「あそこ」
見ると、陸は人に囲まれて頭しか見えない。
クラスの女子をほぼ持って行っているのではないだろうか。
……足が速い男子はモテるってことだな。僕は納得した。
「……そういえばさぁ」
「なぁに?」
「四年生だった? 初めて海外旅行行ったの」
「そうだよー。ヒデ語なんとなく分かるって言ったら、あれから毎年、どこかの国に行くようになったよね」
「……で、その度に何かしらの言語を覚えてくるんだよな、空は。今いくつしゃべれるの」
「去年と今年の二ヶ国とー、トランジットの二ヶ国でー。ヒデ語も合わせて五ヶ国語!」
「そのうちギネス挑戦できそうな勢い」
思わず遠い目をする。
陸の身体能力は言わずもがなだけれど、多分僕たち兄妹の中で一番飛び抜けて異質なの、空だろ。
「それで、最初のトゥラム諸島で迷子になったの覚えてる?」
「……ん!」
「誤魔化すな。あれ、なんで迷子になったの。また陸の暴走?」
空はあー、とか、うー、とか言いながら視線を明後日、明々後日。
やがて観念したのか、ランドセルから小さな紙袋に包まれた何かを取り出してきた。
「これ、なに?」
全部で五袋。
そのうちの一つを手渡してきたから躊躇せずに開けると、中からブレスレットが転がり出てきた。
「これ……」
「今まで行った国で手に入れた珍しいものを使って作ったの」
もじもじ言葉を吐き出す空。
教室の蛍光灯に照らしたそれは、色とりどりの光を放つ。
「このガラス玉、今年行った国の工芸品だ」
「柄がいっぱいあってキレイだったから、入れてみた」
「こっちの鳥の羽は、去年トランジットで寄った国のバザールに出てたものだね」
「国鳥から抜け落ちた羽だって」
あれは、これは、どこの国の、どこにあったもので。
まるで旅の記録を綴る日記のようなブレスレットの真ん中に、ひときわ目立つ貝殻が。
「本当はあのときね、ママに綺麗な貝殻を渡したかったの。それで、ご飯食べた後に行こうとしたら陸も一緒に着いてきてくれて」
「それで迷子になったわけ?」
「んぐむ」
だって、とモゴモゴする空に、呆れ笑いを零す。
「あんまり母さんを泣かすんじゃないぞ」
「これ渡したら泣いちゃうかもよ?」
「へぇ。なんて言って泣かせるんだ?」
「んー……」
顎を空に突き出し、悩む素振りを見せる空。
やがて、にぱっと笑い顔。
「元気に育ててくれてありがとう。これからもよろしくね!」
とかかなぁ?
空は照れたようにはにかんだ。
「母さん泣いちゃうな」
「んふふ。ハンカチ二枚持ってきてるからだいじょーぶ!」
「……一枚玄関に置かれているのを見たけど?」
「えっ? ……あっ!」
「忘れてきたな」
しっかりしろよ。なんて、じゃれ合いながら僕たちは歩き出した。




