閑話 だんまり蕾が花開くとき 上
「みゃー! ママ、待ってぇ!」
「待ちません! だから昨日用意しておきなさいってあれほど言ったじゃない!」
ドッタンバッタン、朝から騒がしい。
呆れで目を細めながら、僕は朝ごはんを完食する。
「ごちそうさま。母さん、僕のブレザー……」
「あれっ? 昨日海の部屋に持っていったはずだけど……」
「大きすぎたやつね。多分陸の」
「あらら、ごめんね、入れ替えちゃってたみたい」
ごめん! と軽く謝る母さん。その後ろの階段から、こちらもドタバタ騒がしい足音が聞こえてきた。
「母ちゃん! このブレザー小さいんだけど! 洗濯失敗した?!」
「下ろし立ての新品よ! そのブレザー多分海の! 入れ替えて置いてたみたい、ごめんね!」
「そっか! そういう時もあるよな! 海、交換!」
「はいはい……」
ひたすら元気な陸に、よくそのテンションを保てるな、と呆れ半分尊敬半分で、大きすぎたブレザーを渡す。
「空はまーた寝坊かー?」
「寝る子は育つって言うじゃない!」
「どれだけ寝てもチビのまんまじゃん」
「むっきー! 空は平均身長です! 陸が大きくなりすぎなのよ、この育ち盛り!」
「空、それは悪口じゃないぞ……?」
険悪になりきれない喧嘩の種は、母さんの一喝で幕を下ろす。
「いい加減にしなさい!! 陸は着替えて荷物持って来る! 空は荷物をすぐまとめる! でないと髪の毛やってあげないよ!」
「はーい!」
慌ただしく再びドタバタし始める兄妹に、本日何度目かの呆れた視線を向ける。
視線を向けながら、僕は沸かしたお湯をマグカップに。そして母さんがしまい込んでいた、インスタントのコーヒー、その粉を入れてかき混ぜる。
「まったく。海……は、あら? いつの間にコーヒー飲めるようになったの?」
母さんが驚いたようにこちらを見る。
「……ついこの間から」
僕の返事を聞いて、母さんは優しく目を細めた。
「いつの間にか大人になったのね。砂糖いる? 牛乳もあるよ?」
「別に、いらないって」
「そう? まあ、牛乳は冷蔵庫に入れておくし、砂糖もここにあるからね。お母さん、ちょっとおばあちゃんたちに連絡してくるから、二人が来たら一緒に待ってて」
「分かった」
母さんはいつまでも僕を子供扱いする。
だから、大人っぽくなるにはどうしたら、と先日花ちゃんに相談した所。
「コーヒー飲めたら大人っぽいよね!」
……だから、今、僕は初めてコーヒーに挑戦している。
(にっ、にっがあぁぁぁっ……!!)
苦すぎて泣きそう。
大人はなんでこれを飲んで平気でいられるんだ。
痩せ我慢? 痩せ我慢をしているの?
大人って大変だね。
僕は母さんが部屋からいなくなった瞬間を見計らって、牛乳と砂糖をドバドバ入れた。
(しばらくコーヒーはいいや)
このくらい甘いコーヒーなら、考えてやらないこともない。
何とか母さんが戻って来る前にコーヒーを飲み切ることができた。
こういう状態を、悪戦苦闘と言うのだろう。
僕はひとつ覚えた。
「母ちゃん、準備完了!」
「寝癖付いてるわ。おいで」
スプレーとクシを手に、母さんは陸の髪を整えていく。
とっくに母さんの身長を追い越した陸は、母さんが髪の毛を触りやすいようにうんとしゃがみ、擽ったそうにはにかんでいる。
「ママ! 空も、空も!」
「順番よ! ……はい、陸、できたよ」
「ありがと」
「次、空の番!」
母さんの膝によじ登った空は、その場を独占できて満足そうに息を吐いている。
「んふー」
「どうする? ポニーテール? お団子?」
「ポニテ! 編み込みも!」
「りょーかい」
いつまで経っても甘えっ子の末っ子が、母さんは可愛いのだろう。
僕らにとっても、空は可愛い妹で、庇護すべき対象に見ているから気持ちはとても良く分かる。
それはそれとして、今日この瞬間までも甘えっ子であるのは、どうなんだと思わないこともない。
(来月から中学生になるんだぞ)
呆れたため息、何回目。
髪の毛をきれいにセットされた空が立ち上がる。
「よし、準備できたね! おじいちゃんもおばあちゃんたちも待っているから、早く行くよ」
「あっ、待ってママ! パパにも、パパにも!」
「あぁぁ、そうね、あんまり時間はないから少しだけね」
揃って足跡を立てて向かう先は仏壇。
ハッキリとは覚えていないけれど、確かにいた記憶に残る父。
彼の笑みが切り取られた遺影に、僕たちは手を合わせる。
僕たちが小さい頃に、交通事故で死んだ父。
それからずっと、女手ひとつ。時々祖父母の手も借りて、僕たちを育て上げた母さん。
尊敬という感情は、母さんのために生まれてきた。
「……挨拶終わり! もう行こう、本当に時間無いよ!」
「待ってー! パパ、行ってきます!」
促されるまま玄関から外へ出る。
「あっ! おばーちゃんたちと、じじたちー!」
玄関前で大きな車が立ち止まっている。
そこから顔を覗かせる、僕たちの祖父母。
「早くー! そろそろ道混んできちゃうわよ!」
母さんの母さん。遠くに住んでいる方の祖母が声を張る。
「今行く!」
負けじと声を張る母さんの頭の上に、広がる空は青く、僕たちの目の色が広がっている。
僕の名前は天嶺海。
天嶺家の三つ子、その次男。
今日は、僕たちの小学校の卒業式。




