第六十七話 祭りの前の静寂 2
セットされた椅子に座り、机の上で頬杖をつく。
裏方作業も落ち着いてきたのか、僅かなカトラリーが擦れる音しか聞こえてこない、静寂の空間。
ぼんやり眺める時計の針が、九時四十五分を指した。
「暇ですねぇ」
同じく椅子に座り、スカートからこぼれる脚も気にせずに足を組み、腕組みをして目を閉じていた瑪瑙先輩が、その閉じた目を片目だけ開けた。
「そりゃ、一般の人が来ないうちは、みぃんな自分のとこの準備に忙しいからねん」
「この時間って、生徒たちのお祭りの時間じゃないんですか」
「敵情視察にしても、一般ウケとかまだ全然分からないからねん。来ても意味ないのよん」
「暇ですー」
両手足を前方にまっすぐ伸ばして、猫の背伸び。
星羅ちゃんなんて、机の上に頭放り投げている。
「この状態を生徒と言えどお客さんに見られたらアウトですよねー」
星羅ちゃん、虚ろな目をしてボヤいている。
「十時半の、一般入場が始まってから忙しくなるんだから、今はゆっくり休んでおくのよん」
「よし。私敵情視察行ってきます!」
「夏ちゃんはマグロなん? 動いていないと死ぬ病なん?」
話聞いてたー? なんて、頬杖をついた瑪瑙先輩。呆れた調子の口調で私の姿を見上げている。
「暇すぎて暇すぎて。ちょっと遊びに行ってきまーす」
「もはや敵情視察の言い訳ですらないねん」
いってらー。と緩く手を振られて送り出された。
廊下から見える教室には、普段では見ない装飾で彩られ、非日常感に胸が高鳴る。
駆け足気味に歩む後に、揺れるスカートの気配が残る。
非日常感の中では、今、私が着ているメイド服だって、当たり前に馴染んでいるような気がして、足取りは軽くなる。
赤青緑。カラフルな装飾。
黄色と紫、ハロウィンカラー。
白黒モノトーン。カッコいい。
(陸と海はどこで店出してるんだろう)
兄二人。
彼らの気配を探して歩く。
「あ? 一年?」
てってけ廊下を歩いていると、色とりどりの教室の中から何やってんだと声をかけられた。
「日向先輩!」
「お前んとこは……。メイド?」
「そうなんですよー。メイド喫茶です。可愛いでしょ」
「へーへー」
適当にあしらわれて頬が膨れる。
「ちょっと待ってろ」
「?」
日向先輩が奥へ引っ込んだ。
かと思えば、その手に幅が大きくて深めの紙カップを持って戻ってきた。
「ん。やる」
「アイス?」
結構肌寒いですよ、今。
なんてジト目で問えば、彼は笑う。
「んなの百も承知だっての」
彼の片手に保温ボトル。
何をするのだろうと見ていれば、手に持った紙カップから、温もりの温度。
鼻腔をくすぐる香ばしい香り。
「コーヒーだぁ……!」
「はいよ。アフォガード」
「え、オシャレ。日向先輩オシャレ。意外」
「意外ってなんだコノヤロウ」
意外な一面に何度も視線を往復させていると、こめかみぐりぐりされた。
「いだだだだだ。暴力反対、暴力反対!」
体の前で大きくバッテンを作って拒否の姿勢。
コーヒーが零れそうになった。危ない。
「日向ぁ。何やってんだよ」
「悪ぃ。すぐ戻る」
教室の中から男の人の声。
多分先輩のチームメイト。
「あ、じゃあそろそろ……」
「ん」
これ以上いても邪魔になるだろうしと、退散しますと告げれば差し出される手。
「……? なんですか?」
「三百円」
「金取るんかい」
金取るんかい。
ちゃんと払った。
***
「おかえり夏ちゃぁぁぁぁ?」
「うわ、めいっぱい両手に荷物」
「たすけて……たすけて……」
私タイのメイド喫茶に戻った瞬間、出迎えられた疑問の声と、私の様相に対する驚きの声。
出店の偵察という名前の文化祭見学を楽しみながら行く先々で、いろんな人からあれもこれもと渡されたお土産品。
「アイスのコーヒーがけ。どこのん?」
「アフォガードです。日向先輩のとこです」
「お花ちゃんとこ?! オッシャレぇ」
まだアイスの姿が残っているアフォガードは、帰り道に人数分、改めて買ったもの。
出来立てほやほや、あったかつめたなデザートです。
アフォガードを手に取る瑪瑙先輩の横で、きれいに個包装されたキャベツを手に、訝し気な声を上げるのは星羅ちゃん。
「野菜?」
「荒太先輩のとこでした。ご実家の農家とその近隣の農家さんから、売り物にできない規格外品を送ってもらって、格安で売るっていう」
「実家アドバンテージを存分に活用しておるなぁ」
実家が農家をやっていることを知っている先輩は、しみじみと野菜の数々を見て嘆息していた。
「でも、陸と海……。兄二人の出店は見当たらなかったんですよね」
「およ? 夏ちゃん、パンフレットは見てないんかい?」
「……ぱんふれっと?」
「あーあー」
先輩が、呆れたように、伸ばしている。
「夏ちゃん」
「はい」
「真面目にお説教」
「……すみませんでした」
時間にして五分くらい。
普段の緩さが口調からも消え失せた瑪瑙先輩が、淡々と詰めてくる温度感は、それはもう恐怖しかなかった。
「すみませんでしたぁ!」
「あのね、さっきも言ったけど、メールの確認は社会人の基本よ? 軍に入ってからもそうだし……。重要なお知らせが、口頭じゃなくてメールで来ることだって珍しくないの」
重要な集まりの確認もできずに、それをすっぽかしてしまうことは非常にまずいと、当たり前の、至極当たり前の常識を淡々と説いていく瑪瑙先輩。
私がいかに常識知らずだったかを、認識した時間だった。
(メール、ちゃんと確認しよう)
明日から。
言葉に漏らせば怒られてしまいそうな誓いを、私はこっそり決意した。




