第六十三話 ミッション 10
私がさっきまでいた教室のほか、この廊下一帯の教室が、髪染めについての話題で持ちきりになった頃。
廊下の陰に潜みながら、購買部もどきの演出をしていた痕跡を消し去る伊賀くん。
彼が、私の顔を見上げて小首をかしげる。
「思った以上にうまくいったでござるな」
私はにんまりと口角を上げて、表情で答える。
彼はそれに、分からないと言う。
「どうやってトップの三名に協力を取り付けたのでござるか?」
瑪瑙先輩はともかく、他の二人が分からないと彼は言う。
「うーんとね……」
私は昨日、寮の自室でのことを思い出した。
***
「夏ちゃん」
「はい、どうしましたか、瑪瑙先輩?」
寮へ帰るや否や、仁王立ちをした瑪瑙先輩に捕まった。
その顔は険しく、激怒というほどではないが、怒っている。
お説教の一つ、二つをその口から零してしまいそうな雰囲気を感じ取る。
「何か隠してることあるでしょぉ?」
のんびりした口調に怒りが滲む。
中々器用なことをしている瑪瑙先輩に、わざとらしく視線を斜め上に反らして、「なんのことでしょう」なんて嘯くと、両こめかみに潰れそうな圧迫感と激痛を感じた。
「とぼけんじゃないよぅ。証拠は上がってんだぃ」
「いだだだだだ、アイアンクロー、アイアンクロー!!」
その細腕のどこに人体を持ち上げるだけの力を秘めていたのだろう。
ぼてっと落とされる。
解放されたのは、クッションを敷いて柔らかい床だった。優しさは残っていた。
「いいかい、夏ちゃん」
瑪瑙先輩はしゃがみ込み、こめかみを痛い痛いと摩る私と目を合わせる。
「夏ちゃんが何を思ってやっているのかは分からない」
だけど。俯く彼女の声は寂しそうな響きを伴って、ふわふわ飛んでは耳元で弾ける。
「だけどな、ウチは、チームリーダなんよ」
チームをまとめて、チームを率いて、チームの問題ごとの責任を、その背中に背負う役割があると彼女は言う。
「ウチは、リーダーとして頼りないかい」
そんなことはあり得ない。
瑪瑙先輩は、ふわふわしたクラゲみたいな人だけど。
話せば話すほど見えてくる。
後輩思いで、誰かを守ることできる強さって名前の芯を持っている人。
たまに得たいの知れなさを感じることもあるけれど、それらもひっくるめて瑪瑙先輩だってこと、私は知っている。
「瑪瑙先輩」
ごめんなさい。
素直に謝った私を見て、先輩は少しだけ目を見開く。
「瑪瑙先輩が頼りないってことは、絶対にありえないです。これは、私が勝手に推し進めた、自分勝手な作戦です」
「……どうしてウチを巻き込もうと思わなかったん? 反対されると思ったん?」
先輩はサイドテーブル前の椅子に腰かけて、頬杖をついて見下ろしている。
「いいえ。……いえ、ちょっとは思っていたかもしれません」
「素直ー」
からかいの響きを伴って発された言葉に、笑いの類は籠っていない。
「だけど、瑪瑙先輩はほかのチームと話し合いをするってアプローチでこの問題を解決しようとしてくれていました」
「……そーね」
「だから、私は違う方向からアプローチしようと考えたんです」
瑪瑙先輩が行っていたのが政務的な立ち回りと言うのであれば、私が行おうとしているのは、きっと実務的な立ち回り。
随分荒っぽいと、我ながら思うような。
「もう既に動いている瑪瑙先輩を、私の自己判断に巻き込んで負担を増やすことは、なんか違うって感じたので、私は一年生のみに声をかけました」
私の考えを伝えると、先輩は大きく天井を仰ぎ、低く唸り始めた。
まるで葛藤でもしているような。
「……夏ちゃんの考えは分かった。ウチのことを考えてのことだってことも、分かったよ。だけどな、だけどな、夏ちゃん」
先輩は、天井を見上げたまま、ぽつりと小さく呟きを零す。
「それでもウチは、巻き込んでほしかったよ」
面倒を逐一報告して、それを背負わせてほしかった。それがチームリーダーの責任だから。
そう、彼女は言う。
「……ごめんなさい」
先輩が小さく萎んでしまっている姿を見て、謝ることしか私はできなかった。
「……ん。もう、いいよ」
許されたのか、それとも先輩自身が納得するための言葉なのか。判断はつかない。
だけど彼女は、勢いよく椅子から立ち上がり、大きく伸びをして私へ笑みを向ける。
「そしたらさぁ。今からでもウチができること。なんかあるぅ?」
切り替えた。
自分の機嫌を自分で取って、彼女はあっという間に前を向いた。
(すごいなぁ)
この切り替えの早さは、瑪瑙先輩の強さの一つ。
私は眩しく思い、つい目を細めた。
「それなら……」
私は先輩へお願いをする。
髪を白く染めてほしい。と。
「んー? おそろっちってこと?」
「そうです」
「なんのためにぃ?」
「私、この日に白髪を増やしたいんです」
カレンダーで指さした日付は、作戦決行予定日。
先輩は、「ほほーん?」と目を細めてにんまり顔。
「プロパガンダは影響力のない人からは広がらない。影響力のある人が、通常ならあり得ない行動をとることで、その下には影響が広がる。真似をしてもらいやすくなる」
「なるほどねん」
考えたね。
瑪瑙先輩は、この考えを褒めてくれた。
私は胸を張る。
「先輩が教えてくれたんですよ」
いつかの日の瑪瑙先輩の、その表情を思い出し。
口調も声音も真似をして、にんまり笑った。
「『戦争はね、情報掌握から始まるんですよ』」
***
「何を笑っているでござるか?」
伊賀くんが訝し気に目を細める。
思い出しているうちに、つい笑みが零れてしまったらしい。
「いや……。私って、結構いろんな人に助けられているんだなって思って」
あの後、瑪瑙先輩は上位三名のうちのもう一人、リオちゃん先輩にも速攻で連絡を取った。
作戦の概要を掻い摘んで伝え、そうして作戦主犯が私であると開示すると、リオちゃん先輩は非常に面白がってくれた。
面白がってくれたうえで、否定もなく、今日までにはなんとかすると約束をしてくれた。
『このまま手をこまねいていても、最悪なことになるかもしれないなら、部の悪い賭けでも乗ってみるものよねん』とは、リオちゃん先輩の言葉。
「空殿は、なんと言えばよろしいか……。助けたくなるお人柄をしているでござる」
もはや才能。
そう評した彼に、私は微笑みを返す。
そうして私は、キッと表情を引き締めた。
「さぁ、やろう」
伊賀くんが頷き立ち上がる。
私は未来へ宣言する。
「作戦、開始」




