第五十七話 ミッション 4
「は……?」
隣の星羅ちゃんが、訝しんだ声で一歩前へ出る。
「やるやらないは自由だって、空ちゃんが言っているのは、わたしも同じ意見だけどさ。この期に及んで規則とか、普通言う?」
怒気が僅かに含まれた声。
怯むことなく、桔梗院くんは声を張り上げる。
「桔梗院の男として! ルールを破ることはあってはならぬこと! 小官は断固として反対し続ける所存であります!」
「はあぁっ?! 石頭すぎない?!」
「なんとでも言ってくれて構いません! ですがこれだけは譲れないのです!」
まるで石壁にガルガル唸る子犬のような星羅ちゃんをどうどう宥め、私は桔梗院くんへ向き直る。
「教えてくれてありがとう。桔梗院くんは、そう考えているんだね」
「そのとおりであります!」
「分かった。さっきも言った通り、無理強いさせるつもりは私、全く無いの。だけど、私たちがやることも、見逃してくれると嬉しい」
彼の目を見てそう言えば、彼は目を瞑ってしまった。
さっきの言葉の通り、規則を重んじている様子の彼は、これから規則というものを破るに等しい私たちの行動は、看過できない事柄のひとつになってしまうのだろう。
祈るような心地で彼を見ていると、しばらくして、目を瞑ったまま、彼は口を開く。
「……それは、できません!」
「アンタねぇ!」
掴みかからん勢いで身を乗り出す星羅ちゃんの目の前に、片腕を出すことしか咄嗟にはできなかった。
「桔梗院くん。お願い」
「できません」
「見ないフリしてくれるだけでいいの。自分がちょっとそっぽ向いているときに、いつの間にかやってましたって、そういうフリをしていてほしいの」
自分の両手を組み、まるで祈るように彼の顔を見上げる。
彼は唇を噛んで固く目を瞑っている。
「……しばし、考えさせていただけますか」
「あ……」
沈痛な面持ちを携え、私たちの返事を聞くこともなく、彼は教室から出て行ってしまった。
「何アイツ! ここで空ちゃんが動かなきゃ、自分まで退学になるかもしれないくせに!」
星羅ちゃんの怒りは未だ収まらない。
私は彼の去り際に浮かべていた表情を思い出す。
「……もしかしたら、桔梗院君にとって規則やルールって、彼自身のポリシーだったり、存在意義だったりするのかも」
「でもっ!」
言い足りないとばかりに言い募ろうとする星羅ちゃんは、一瞬唇を噛んで言葉を留める。
やがて選び抜いた語彙で固めた言葉を、激昂しないよう静かに、しかし怒りはそのままにして吐き出す。
「……でも、それでも周りを巻き込むポリシーなんて、ただの迷惑行為と変わんないじゃない」
拳を握り締めて俯く彼女の右手を取る。
驚いたように上げられた顔と、私の目が合った。
「そんなに強く握ってると、血が出ちゃうよ」
開いた手の平には爪の跡。
その跡をもにもに指で優しく揉み解し、その手に空のペットボトルを握らせた。
「はい。これでよし」
突然手に握らされたペットボトルと私の顔を何度も往復させながら、これは何? 彼女の視線が問いかける。
「もし、これから怒って手を握りしめそうになった時は、遠慮なくそのボトル、握り潰しちゃっていいからね」
そうすればきっと、彼女が自身の手を傷つけることはないだろう、と思う。
「空ちゃん……」
片手に握らせていたそれは、いつの間にか両手に。
祈りを捧げるような手の組み方をして、彼女は恍惚と溜息を吐く。
「優しい……。好き」
「星羅ちゃんって面白い子だよね」
今までこんな距離感で接してくるお友達はいなかったから、中々どうして新鮮な気持ち。
「さて、どうしたらいいかな」
考える、とは言ってくれたものの、その場で答えをもらえていないから、結局足踏みをするしかなくなった。
「もう無視してやっちゃえばよくない?」
星羅ちゃんの言うことも一理ある。
時間を優先するのなら、それが正しい行動なんだと思う。
だけど。
「も、もし、作戦が漏れてたら、ま、真っ先にう、う、疑うべきは」
「桔梗院……」
小鳥遊くんの懸念。私が一番心配していること。
「私、桔梗院くんを疑うことはしたくない」
この段階でリークされていたら、もう、諦めるしかないけれど。
「あ、天嶺、サンって」
「なぁに?」
おどおどしながら、どこかに小馬鹿にしたような空気を含んだ小鳥遊くん。
ヘラヘラ笑いながら、私を指さしてくる。
「あ、甘い、ッスよね」
「甘い……?」
片眉を上げて聞き返す。
私の声色には、訝しむ色が乗っていた。
「や、優しいって、お、思われ、たい、人間って、それ、優しさじゃなくって、あ、甘さって、言うんッスよ」
どもりながらの言葉は聞き取りづらい。
だけど、私はそれに、図星を突かれた心地になった。
「アンタも大概失礼だよね!」
「フヒヒッ。じ、事実言って、なにが悪いんッス?」
空気が悪くなる。
肌で感じる。ギスギスしている。
どうしよう。どう収めよう。
頭の中でなんとか光明を探そうと頑張っていると、ひとつ、鋭い開手を打つ音。
発生源は伊賀くん。
ギスギスした空気は、その一音で霧散した。
俯いて無言の間を少し開け、彼はニッコリ顔を上げる。
「拙者、少々話をしてくるでござる」
きっと、相手は桔梗院くん。
「荒っぽい感じのお話し合い?」
あんまり喧嘩とか、しないでほしいな。なんて、不安に思いながら聞く。
伊賀くんはふ、と微笑みながら、大丈夫。なんて言う。
「拙者の学びを話しに行くだけでござるよ」
桔梗院くんが出て行って僅か数分。
きっと、まだ校舎内にいるであろう彼の背中を追って、伊賀くんも教室から出て行ってしまう。
伊賀くんが戻ってきたのはそれから三十分後。
暇を持て余して、小鳥遊くんがこっそり忍ばせて持ってきていたトランプで、大富豪の三戦目を始めたころに、教室の扉を開いた。
彼の隣には、桔梗院くんも一緒にいた。
思いつめたような、あるいは覚悟を決めたような。
複雑な表情を浮かべた桔梗院くんと、一緒にいた。




