第五十話 空の模様 1
今日は朝から憂鬱だ。
特段頭が痛いわけでもない。体調不良なわけでもない。
ただ、頭が痛くなりそうな出来事が、目の前で展開されているわけで。
「天嶺殿! お荷物お持ちいたします!」
登校直後。
待ち構えていた伊賀くんが、頭を下げてその両手を差し出してくる。
私は必死に頭を振って、肩にかけていたカバンを胸の前で抱えた。
「いい、いい、荷物自分で持つからいいって」
「では十歩後方よりお守りいたします!」
「普通に隣歩けばいいよ?! なにその恥ずかしがりムーブ?!」
忍者ムーブをしたい伊賀くんと、普通にしてほしい私の攻防。
呆れを全面に押し出して、海が私に纏わりつく忍者、もとい伊賀くんを見ている。
「空、妙なのに好かれたね」
「そう思うなら代わってくれない?」
げんなり肩を落とす私の腕から重みが消える。
ぱっと顔を上げると、私のカバンと陸のカバンを、まとめて肩に引っ掛けるようにして担いでいる陸の姿。
「おら、さっさと行くぞ。そこの奴も! 早く来ないと遅刻するぞ!」
つかつか歩いて十歩後ろ。
文字通り後方に控えていた伊賀くんと肩を組み、半ば引きずるように隣へ連れてきた陸。
伊賀くんのリズムを一切無視した引きずりに、慌てているような声音は、戸惑っているようにも聞こえた。
「二人の間でどういう話があったかは知らんけど。相手困らせてまでやるようなもん? それ」
私と海を背中に、一番前まで引きずっていった陸がボヤいた言葉に、伊賀くんが何を思ったのかはわからない。
だけど肩は揺れていたから、何か思うところはあったのだと思う。
「ほい、空」
「ありがと、陸」
教室の前でカバンを受け取り、扉を少しだけ開く。
「じゃ、またお昼に。伊賀くんも、またね」
手を振って入り込んだ私の背中に聞こえてくる三人の声が、段々と遠ざかっていく。
「お前、どこのクラス?」
「ここです」
「あれ? 同じクラスだったの? 見たことないけど」
「普段は気配を忍んでいるゆえ」
「忍者じゃん!」
テンション上が陸、諌め海。戸惑伊賀くん、仲良くなれそう。にっこり私。
朝から憂鬱だった気持ちが吹き飛ばされ、清々しい気持ちで席に着く。
「おはよう。天嶺さん」
「おはよっ! 福岡さん!」
席の机に指を突いて、腰を屈めて顔を覗く福岡さん。
何を隠そう、福岡星羅さんとは、同じクラスであったのだ。
「黒澤先輩から伝言。今日の集合は無し。代わりに明日、調理室横の空き教室前集合」
「ありがとう、助かるよ」
今日の伝言係は福岡さんだった。
黒澤先輩は、よくこういう手法をとる。
私たち後輩に対しての伝言がある場合、誰か一人を代表に上げて、その人から伝わるように指示を出す。
たまたま目についた人なのか、本人なりに何かを決めているのかは分からないけれど、毎回違う人が指名されている。
私はまだ指名を受けていないから、多分そろそろ当番が来ると思うのだけど。
メッセージアプリを使わない、下手をすれば伝え忘れさえあり得る不正確な手法。
(同じチームの先輩だから、こんなこと思いたくないけど)
彼は、翠先輩のことを翠様と言って慕っていた。
邪推をしてしまう。
もしかして、翠先輩を有利にするために――?
(ない、ない)
そんなこと、きっとない。
穿った見方をし過ぎている。
だけど、一旦そうかも知れないと思ってしまうと、黒澤先輩が何か行動を起こす度、裏があるかもしれないと勘ぐってしまう。
一旦思考をリセットしよう。
ぐっと唇を噛み締めだした私の表情に、何を見たのか。
彼女は苦笑気味に、でもどこか面白がって言い出した。
「伊賀くん、まるで下僕みたいだったね」
「下僕じゃないよー?!」
聞き捨てならぬと叫んで返す。
同時に、黒澤先輩への疑いの思考も、一旦はどこかへその身を潜めた。
「そうなの? なんだか随分懐かれて、と言うか……。命令に従う飼い犬みたいって思ってたんだけど」
「忠犬わん公と化したのは認めよう」
なおも面白そうに笑い続ける彼女を恨めしく見上げる。
「他人事だと思って」
「他人事だもん」
そりゃそうだと肯定したくなる簡潔な文を一文。
吐き出した彼女は、突如自分のカバンを漁る。
「そうだ」
「なぁに?」
「これ。明日返してくれればいいから」
手渡されたものは、一本の折りたたみ傘。
首を傾げて、窓の外を見る。
こんなに天高く、馬も肥え太って喜びそうなほどの快晴なのに。
「晴れてるよ?」
彼女は困ったように眉を下げ、しかしその口元は口角を上げ、笑っている。
その唇から、確信を持った言葉がひとつ。
「降るよ」
やけに自信満々に言うものだから、相槌は「そうなんだ」って思わず言ってしまう。
(こんなに晴れているのに)
釈然としない思いを抱えながら、福岡さんの善意をカバンにしまう。
同時。
「え? 今日って晴れの予報だったよね?」
「やだ、傘なんて持ってきてないんだけど」
クラスメイトの女の子たちが、にわかにざわめきだす。
彼女たちに倣い、窓の外へ視線を向ける。
さっきまで、空はあれだけ澄んで晴れていたのに。
雲一つも見当たりはしなかったのに。
目の前で起きた出来事を信じられず、福岡さんの背中を見て、一言呟くことしかできない。
「……降ってきた」




