第四十二話 頼まれ事は停滞の中 1
「……ってことがあったのねー」
「おいコラ。これ完全に情報漏洩じゃないのか」
次の日放課後。
パック牛乳をちゅーちゅーしながらボヤくと、一緒に会話をしていた陸が、目をひん剥く勢いで止めてきた。
「このくらいなら話してもいいって許可もらってるよー。ねー、瑪瑙先輩ー」
同意を取る先は、私の所属チームのリーダー。瑪瑙先輩。
彼女はゆるーくいちごミルクのパックを揺らしながら肯定する。
「そうよん。だってもうライオンくんたちのところは決まってるっしょ?」
「まぁ」
「なら邪魔はしないはずって目論見ねん」
どこか疲れた様子の瑪瑙先輩。
昨日から走り回っているらしく、寮に帰ってきたのも夕飯の時間はとうに終わり、消灯時間ギリギリの時だった。
「芳しくないですか」
私は下敷きをうちわ代わりに、ぐでぇとしている瑪瑙先輩を扇ぐ。
「んぁー。すずしー」
机に溶けてる。
最早一体化している。
「だめだねん。めぼしい教官はひと通り当たってみたんだけどねん……」
机に両腕を伸ばして、投げやりな態度で先輩が言い放つ。
「夏ちゃんもチャンスがあったらアタックしてみてねん! もうウチだけのお仕事じゃないからよぉ!」
「分かりました」
承知すると満足げな緩い笑み。
次いで渡された書類一枚。
「もし、誰か引き受けてくれそうならこれにサインもらってきてねん」
「了解です」
いそいそファイルにしまう。
その数秒後、瑪瑙先輩を扇いでいた私の手が止まる。
突然の校内放送。
呼ばれたのは私の名前。
「夏ちゃんなんかしたんかぃ?」
「心当たりは何も……」
戸惑ってはみるものの、おずおず椅子から立ち上がる。
「教官指導室って……。行くの、教官に用事があるときか叱られに行く時くらいじゃない?」
海が不安を煽るようなことを言ってくる。
「せめて途中まで着いてきて……」
「甘ったれんな行って来い」
「陸最近厳しい」
不安で陸と海、二人の手を握ると、振りほどかれはしなかったものの陸から厳しいお言葉が。
「まあ、怒られたらなんか奢るくらいはしてあげる」
「海……!」
「陸が」
「海……?」
海の優しい言葉に感激。
だけど陸の奢りって勝手に決めたことに、当の陸から疑問符付きで名前を呼ばれていた。
「……よし。行ってくるね」
「いてらー」
送り出す声は瑪瑙先輩ただ一人。
だけど兄たちは手だけは振ってくれていた。
途中何度も足が竦みそうになりながら、ようやく辿り着いた教官指導室。
普通の扉のはずなのに、目に見えない圧が滲み出ている。そんな錯覚すら起こす。
二回、三回深呼吸。
扉をノックして大きく開くと。
「おお! 天嶺来たか!」
挨拶口上さえ遮られ、安心した風の教官が一人。
ネームプレートを見ると、葦原莧菜と書かれている。
この人が、瑪瑙先輩曰くひゅー教官。
溌溂と受け答えをする彼女の背後に、噂の鬼沢教官が。
「ちょっと悪いんだが、わたしの代わりに鬼沢教官の手伝いをしてくれないか?」
「はい。承知いたしました。具体的に何をすればよろしいでしょうか」
教官からの頼み事は、基本イエスと答えるべし。
瑪瑙先輩からそう教わった時には、思わず唖然としてしまった。
曰く、一生徒に拒否権などあってないようなものらしいので。
「助かる! 詳細は鬼沢教官から聞いてくれ。わたしは頼まれた顧問の仕事をしなくてはならなくてね」
言い残し、足早に去っていく葦原教官。
指導室に残されたのは、私と鬼沢教官の二人。
「鬼沢教官」
振り向いて彼と顔を合わせる。
なるほど、近くで見るとど迫力。
瑪瑙先輩でさえ近寄るのを躊躇う気持ちが分かる、正に鬼の風貌。
「む。一年の」
「はい。一年、天嶺空です」
「荷物を運ぶ」
「はい」
淡々と、要件のみを伝えられる。
私はそれに追従した。
(なるほど。声も怖い)
太くて低くて威圧感のある声。
これに怒鳴られた日には、そりゃぁ、号泣しても仕方がないと思わせるような声質。
あと身体が太い。筋肉の塊。たぶん体脂肪率一桁台。
文字通り、鬼教官。
今までは遠くからしか見たことはなかった上に、声だって数えるほどしか聞いたことはなかったから、先輩たちの言う恐怖が実感できないままでいた。
なるほど、これは。確かに怖い。
私は彼の後を着いて、彼に比べれば鶏ガラのような細腕に、懸命に段ボールをいくつも抱えた。
鬼沢教官は私の三倍くらいは担いでる。すごい。
「ここだ」
足で蹴り上げ開く扉。
扉が凹んでいないか心配になるほど大きな音を立てて開かれたその空間に、のしのし教官が入っていく。
教官が学校に寝泊まりする時に使う部屋。
噂ではそれぞれに一室ずつ宛てがわれていると言われている。真偽の程は定かではない。
入れとは言われていないけれど、教官の背中に着いて入室する。
失礼します! と声を張り上げることも忘れずに。
(すごく整頓されてる部屋だ)
部屋にあるのは机と椅子と本棚。
それから、壁を隔てた先に一口コンロの小さな簡易キッチン。
ちらっと見えたところでは、オーブンまで備え付けられている。
簡易キッチンの規模に似つかわしくない立派なオーブンの違和感に内心首を傾げるも、意識はすぐに教官の方へ。
「ん」
短い一音で渡されたのは空ファイルの束。
「この中の書類を分類別に分ける」
分類は、書類に付けられているシールの色で分けていくと言っている。
「承知いたしました」
是と答え、段ボールを開封する。
わぁ。ギッチリ。
隙間なく大量に詰められた書類の束に喉を鳴らす。
今からこれを捌いていくのだ。
教官がやるのかは分からないけど、下手したら一人で。
夕飯の時間までに終わるかなぁ。なんてことを考えて、私は箱から書類を取り出した。




