第三十八話 夏の夜の空、散る花に 3
「空ちゃん、ご機嫌だね」
七時手前。
花火がもうすぐ見られるということもあって、空は隣にいた遥を放って、駆け出していってしまった。
海はそんな空を、仕方ないな、なんて言いながら追いかけて行ってしまった。
一番いい席を取るぞ! なんて張り切って叫んでいたから、まあまあいい席を取るって信じている。
「どの席取っていても、海と空は目立つから見つけやすいよな」
「言えてる」
遥と肩を並べてのんびり歩く。
右手に持った金魚の袋が、チャポチャポ音を立てて揺れる。
「その子、どうするの?」
遥は金魚を指差して言う。
「あー……。じいちゃんとばあちゃんに預かってもらうかなぁ……」
何も考えていなかったから、ひとまず頭に思い浮かんだことを、そのまま口に出してみる。
寮では飼えない。かと言ってそのまま川とかに流すのは絶対に駄目なこと。
悩む俺。すると遥が、俺の右手にそっと手を重ねた。
「それならさ、その子、あたしがもらってもいい?」
金魚の袋が、一際大きく揺れた。
「……空がどう言うかな」
「空ちゃんも、飼えないって分かっているなら、きっといいよって言ってくれるよ」
しばらく悩む。
空の文句もありありと思い浮かんでしまうけど。
「……しゃーねーな」
金魚のは入った袋は、遥の手に渡っていく。
袋を眺め、その中に泳ぐ真っ白な金魚を見て、遥の顔が綻んだ。
「ふふ。かーわい」
来た時よりも増えている気がする人々の中、カップルの男女がよく目立つ。
「……あたし達も、恋人って思われているのかな?」
ふざけたように、でも声音に真剣味を足した遥。
気付かないフリをして、鼻で笑う。
「そりゃ、光栄だな」
虚空に消える前に拾われた声。
イタズラっぽい声音で、遥が尋ねる。
「ね、それ、どういう意味?」
一歩先に進んで、くるっと振り返る遥。
まとめ髪から垂れた横髪が、勢いに合わせてふわりと揺れる。
「あー。そりゃ? こんな美人と恋人に見られるのは、男冥利に尽きるってもんだろ?」
「……ふふ。嬉しい。ね、陸って、学校でもこんな感じで女の子を口説いているの?」
「まさか。口説く女なんていやしねぇよ」
知らん内に巻き込まれていることはあるけど。
それは言わぬが仏と喉奥に引っ込める。
「なら、あたしにもチャンスはあるかな」
完全に動きが止まる。
立ち止まった場所は屋台の外れ。人があんまり来ない場所。
一歩先を行く遥と挟む俺らの間には、夏の夜の熱気が揺蕩って。
まるで蜃気楼のように、ぐんにゃり揺れる心地がする。
「その話、中学の頃に終わったはずだろ」
「それがさ。とんでもないことに、今日までずーっと忘れられないままでいるわけ」
心底困った風にくしゃりと顔を歪めて笑う遥。
俺だって髪を掻き毟りたい衝動に駆られる。
「どうした遥。やけに急いでんな」
だけど、中学からは考えられない余裕の無さ。
どこか切羽詰まったようにも見える顔に、遥は「バレちゃった」。なんて舌を出す。
「実はね。あたし、告白されてんの」
「目出度いじゃないか」
「……陸に言われるの、なんか複雑なんだけど」
今告白してるの、こっちだよ。
むくれた様に言う遥に、悪い悪いと続きを促す。
「ほんとに聞こうと思ってるー?」
「聞きたくなかったら、とっとと先に行ってるよ」
「もう。ほんと、そういうとこ……」
遥の吐くため息には疲れが滲んでいるように感じた。
「まぁ、言葉の通りで、近くの医大の男の人があたしを好きだって言ってくれてんの」
「医者か」
「まだ卵」
遥は言う。「でも、優しい人」。と。
「へぇ。そいつ、俺より顔いいのか?」
くしゃっと楽しそうに、でもどこか寂しそうに笑った遥は否定する。
「ぜーんぜん。……でも」
視線は俺に。
まるで、大丈夫。と告げているかのよう。
「きっと、あたしを大切にしてくれる人だよ」
軽やかにくるくるその場で回る。
楽しそうなステップに、下駄がカラコロ振り回される。
「将来お金持ちになるかもしれないし。こーんな、女の子に期待だけさせて、どっか行っちゃうような、しょうがない男と違って、きっといい男なんだよ」
カラコロ音が立ち止まる。
背中を見せた遥は、前だけ見て話している。
「でも、しょうがないじゃん。そのしょうがない男のこと、ずっと、ずーっと好きなんだから」
体の横で拳を握る。
顔を背けたいのに、彼女から視線が逸らせない。
振り返った彼女は、花火よりも儚い笑みを浮かべて言った。
「だから、もう期待は持たせないで。この気持ちが日の目を見ることがないなら、潔くここで振って」
決意を宿した遥の目。
ギュッと固く瞑った目を開くと、変わらない遥の顔。
その目には悟り。答えが分かっていると言いたげな。
「……ごめん。遥と恋人にはなれない」
理由なんて色々ある。
軍に入れば、全国各地飛び回る可能性だってある。
災害が起これば、我が身を省みず救助に行かなければならない。
上に登れば登るほど、周辺の身辺調査だって厳しくなると聞くし、巻き込む可能性だってある。
遥との時間が全く取れない期間だって、きっと出てきてしまう。
そんな諸々の理由を論っても、結局結論はひとつだけ。
「俺じゃ、遥を幸せにできない」
いきなり死ぬことだってある世界で、俺を好きだと言ってくれるこの子を、どう幸せにしてやれる?
不幸な未来しか見えない。
遥には、俺に時間を使うなら、普通の人生を送って、普通に幸せを掴んで欲しい。
そのためには、俺にかかずらう必要なんて、これっぽっちもない。
「……その気持ちって、ずっと変わらない?」
笑顔が崩れる。
必死に笑おうとする顔が痛々しい。
釣られて、俺の顔も歪んでしまう。
「もしも陸が学校を辞めることになっても。将来退任して、その時にあたしが、そこらの女優なんかと比べものにならないくらい爆美女になっていたとしても、揺らがない?」
ああ。なんて後ろ髪引く口説き文句だ。
歪んだ顔を無理やり笑みの形に戻して、ニッと歯を見せ笑ってみせる。
「揺らがない。きっと、思い出すことくらいはしても、後悔もないと思う」
笑い声。
小さな笑い声が湿っていく。
涙に濡れた顔で笑う遥は、それを自分で拭いながら、震える声で必死に伝えてくる。
「……ありがと。振ってくれて、ありがとう」
花火が上がる。
色とりどりの光が、遥の横顔を照らし出す。
感嘆の声。
さっきまでの泣き笑いはどこへやら。
はしゃぐ遥に夏の匂いを感じ取る。
夜空を彩る硝煙の匂い。夏が終わる音がする。




