第三十六話 夏の夜の空、散る花に 1
「この浴衣可愛いねぇ!」
祖父母宅。
開けられたタンスの中身に嘆息、上げる感嘆の声。
「おばあちゃんの若い頃に着ていた浴衣なのよ」
流石にもう若すぎるから。と、照れたような祖母。
「えっ、これ借りていいの?」
大花が描かれた紺地の浴衣。
花の色も明るいから、祖母が若い浴衣だと言うことも理解できる。
とはいえ、見た感じ決して安物ではない。
ショッピングモールの衣服売り場で売られている、一着数千円の浴衣と比べても、生地の質感が全然違う。
それに、柄もプリント感が全くない。たぶん手描き。
借りて汚すと申し訳ないと、恐る恐る問いかけると、優しい笑みの祖母は。
「あげるわ」
「手入れ絶対難しいやつ!」
私は悲鳴を上げた。
浴衣の着付け? 全然分からん。
私は祖母の手を借りて、浴衣を着付けてもらっていた。
「空、支度できた?」
襖から着流し一人。
我らが和服担当と言えるくらいに、バッチリキマっている。
一学期の間でさらに伸びた髪は、青い組紐によって結われている。
「似合うねぇ、海」
「そ? ありがと」
照れも謙遜も一切ない。
それなりに自信を持っているらしい。この姿に。
「私は見てわかる通りー」
「着付け途中だったんだ」
「女の子の着替え見ちゃってぇ。このスケベ」
ニヤニヤ笑って言ってやると、心底面倒臭そうに「はいはい」ってあしらわれた。
「空ー? 着替え終わったかー?」
スパァン! と豪快に開く襖、着流し二人目。
元気よく現れた陸。もう既に着崩れている。
「陸。着付け直せるの?」
胸がはだけて立派な胸筋がこんにちは。
あ。って言いながら胸元を見下ろしているから、多分着付けはできない側。
ようこそこちら側へ。
「ちょっと直してもらってくるわ……」
しょんぼりしながら、すごすご退散。
遠くから祖父の声と陸の会話する声が聞こえてきた。
「陸くんは相変わらず元気ねぇ」
「学校にいた時はもう少し大人しかったんだけど」
海が呆れたように言う。
私は学校での陸を思い出す。
色恋沙汰に巻き込まれて一方的に絡まれている姿。
翠先輩のお気に入り認定されている姿。
私たちの誰よりもたくさんご飯を食べる大食らいの姿……。
「……大人しい?」
どこが? って、言外に聞いてみる。
海も言っていて、そこまで大人しくないなって思ったのか、視線が斜め上に上がっていた。
「でもこっちに戻って来ている今ほど、テンションは上がってない」
「それはそう」
こっちに戻ってきてからなんか、陸は高校生か、下手したら中学生くらいにまで精神が退化している気がする。
図体はデカいままなのに。
私の着付けが終わって、髪飾りを取ってくると退室した祖母。
私は海を見上げた。
「海は浴衣着れたんだ?」
先程から少しだけ緩くなっているところを、ちょいちょい直して着直している海に言う。
どれだけ牛乳を飲もうが、どれだけ懸垂を頑張ろうが、一生縮まらない身長差。
陸はもとより、海も一般的な男性よりも身長が伸びているのは、学校での食生活と消費量の激しい運動が原因のような気がする。
「着れなかったけど」
「え?」
「おじいちゃんが着付けている動きを見て覚えた」
なんと。
海は一回、着付けの姿だけ見て着方を覚えたらしい。
「日に日に育ってない?」
「何が」
「記憶力」
海の武器って、瞬間的な記憶力とそれを調理できる論理的な思考。それから飽くなき好奇心だと思っている。
「今日のお祭りさ」
「うん」
「花ちゃんも来れたら良かったのにね」
花ちゃんはどうやら、この夏は大学に入り浸ると言っていたらしい。
花ちゃんのお母さんが、祖父母宅に来ていた時に聞いた。
「なんでも、進みたい進路があるから、アピールポイントを増やすための実績作りに忙しいんだってさ」
「へー」
「へー。って。自分の彼女のことなのに、随分無関心じゃない」
花ちゃんかわいそーって、同情の気持ち。
すると海。驚きの言葉。
「花はもう彼女じゃないよ」
「え?」
「別れた。随分前に」
え?
一音しか出せなかった。
なんで、どうして。あんなに順調に見えていたのに?
「なに、それ」
「言うほどのことでもないでしょ」
「知らなかったんだけど?! しかも結構重大な話!」
言ってほしかったんだけど!!
悲鳴のような叫び声に、海が耳を塞いだ。
「なんで? どうして別れたの? あれだけ仲良かったじゃない」
「……」
しばらくのだんまり。
やがて海は、重い口を渋々開いた。
「士官学校入ってさ、無事に卒業できるとするでしょ」
「うん」
「そうしたら僕たちは晴れて軍人で、全国のどこかに配属される」
「そうだね」
「異動も多いって聞くし、災害や防衛なんかで出動だって多い。付き合う人間だって、審査が入るって聞くし。なにより……花に何かあった時、傍にいてやることができない」
段々しおらしくなっていく海。
段々、呆れてくる私。
「花がやりたいことができるかもしれないのに、僕がいるっていうだけで制限されてしまう。着いてきてなんて言えぶっ?!」
「まぁ、よく回る口だこと」
ペラペラ、ペラペラ。ウジウジ、ウジウジ。鬱陶しいったらありゃしない。
「それ、決めるのは本当は花ちゃんだったんじゃないの?」
潰された頬でモゴモゴ何か話しているけど、それが言葉として耳に届いては来ない。
「ちゃんと言ったの? その上で、それは無理だって振られたの?」
解放する頬。項垂れる海。察する私。
「それってね、独り善がりって言うんだよ」
「……知ってるよ」
他の方法を思い付かなかった。
弱々しく呟く海に、大きなため息をかけてやる。
「まだ好きなの」
コクリ。弱い肯定。
「それなら、ちゃんと話しなよ。それで振られるならちゃんと振られてこい」
「……会うことができたらね」
大きなため息。二回目。
「知らないよ。次に会ったとき花ちゃんの隣に違う男の人がいても」
海、固まった。やがて身動ぎ。
「そうだよ。こっちが停滞していても、花ちゃんには花ちゃんの時間の流れがあるんだから。二個上なんて、もうとっくに成人もしてるでしょ? 花ちゃん、素敵な女性になってるに違いないんだから」
海の口から唸り声。
やがてスパァン! と元気よく襖が開く。開き方がデジャブ。
「直してもらってきた!」
「良かったね」
「海どうした?」
「花ちゃんと実は別れてましたって話聞いてた」
「とうとう振られたんか」
振られてねえわ!!
本日初めて、海の大声。
叫んだ彼の声には、元気が戻ってきているように感じた。




