07. 弟誕生
季節が一回りして、俺は1歳になった。俺の生まれた村では誕生日を祝う習慣はない。でもいつもの生まれ変わりでなんとなく自分が夏に生まれたことはわかっている。
赤ん坊なのは変わらないが、体は大きくなりつい数週間前には立って歩けるようになった。
行動範囲の広がった俺は、ここぞとばかりに部屋を抜け出し、大人に脱走を発見されては運動もかねて全力で逃げている。
そんな毎日をおくっていたが、今日は特別な日だ。なんと、新しい家族が増えるのだ。
つまり弟の誕生である。
両親は生まれてくる子が男の子か女の子かと話しているが、俺にはわかる。俺の一つ下の初めての兄弟は、毎回弟だった。
毎回森に必ず一緒に置いていかれるのは、今から生まれるはずの下の兄弟だった。兄弟の数はやり直しのたびに違うのだが、この一つ下の弟はいつの人生でも変わらない。
ただ子供だったこともあって、これまでの人生で弟の誕生に接したことはなかった。しかし今回の人生の目標は「大事な人をコミュニケーションをとる!」だ。
その一歩としてこれから多くの時間を過ごす今世で初めての兄弟の誕生だ。生まれる瞬間、つまりファーストコンタクトは大事だろう。
その夜深夜に母さんが産気づいたあと村の産婆と乳母メアリーが慌ただしく家に呼ばれて、右往左往する親父は産婆とメアリーにに俺の世話を押し付けられて部屋からも追い出された。
いつもの人生では弟が生まれた夜は寝ている時間だが、今日は気合で起きている。長男坊こと俺を抱きながら、普段落ち着きのある父ドロマイトが珍しくうろうろと締め出された扉の前を往復している。
扉の向こうから聞こえる音を聞きながら待機すること数時間、ようやく元気な赤ん坊の産声が聞こえてきた。無事産まれたらしい。
父さんも気づいて、扉の前の往復が止まった。親父よ、そんなに強く腕の中の俺を抱きしめないでくれ。苦しい。
抗議を込めて腕を押すとようやく親父は力を緩めた。ほどなくしてしわ顔の産婆に招き入れられる。自然に親父の腕の中の自分も入室が許可された。
ベッドの上の母の顔には汗と疲労が滲んでいたが、笑顔で俺たちを迎えてくれた。その隣には産湯で洗われ、白い布に包まれた小さな赤ん坊が眠っている。
「セレナ。よくやってくれた。今はゆっくり休んでくれ」
「あなた、男の子よ」
「ああ、ああ」
かがんだ父と母が互いに声を掛け合う。その間に挟まれながら、おのずと距離の近づいた弟に俺はつい手を伸ばした。むずがる顔でよじった産まれたばかりの弟の手が偶然俺の手に当たり、反射的に握られる。弟の手は一歳児の小さな俺の手よりもさらに小さく、その小さな手はそれでも確かな力で握り返してきた。
その時、俺の脳裏にある記憶があふれてきた。
『にいに…』
冷たい森の朝、眼前の魔獣を前にする俺の後ろで小さな掌が裾を握りしめていた。覚えたばかりの拙い言葉で、兄の俺にぴったりと体をよせてすがってきたあの日。
そんな一番初めの、この異世界で最も旧い記憶が鮮やかに思い出される。
いま俺の手を握った小さな手もあの日と同じだった。あのときと変わらない小さくて頼りない力だ。そうだ。俺はこの小さな、それでも俺を頼みにしたこの小さな兄弟のために、面前のモンスターに立ち向かう覚悟を決めたのだ。
そんな単純なきっかけも、擦り切れた俺は忘れていたのか。
産まれたばかりの握られた手を手繰り寄せると、小さな弟の布がはだけて寒がるように泣き出す。おれは親父の腕から抜け出して、泣いている弟を両手で抱きしめた。子供の抱き合いに気づいた大人たちが慌てだしたが、それは無視して安心するようにあやす。大丈夫。これからは俺がお前をのそばにいるからな。
「だいじょうぶ。おれがぜったいにがまもるから。」
常日頃あまり言葉を発しない、いや言葉をまともに話す年でもない長男坊こと俺の様子に両親は少し慌てていたが、抱きしられた弟はおとなしくなった。そのあと俺の腕の中で寝息をたてる。
産まれたばかりの弟はすぐ俺の腕から取り上げられ、揺り籠の中に収められた。
そうして弟は無事誕生した。
俺は今世での決意を新たに、将来のための準備を心の中で誓いながら徹夜あけの眠りについた。