28. サンダー爺
夜二人が寝静まった後、俺は静かに寝床を抜けだした。気配を消しつつツリーハウスを降り、そのまま身体強化をつかって駆け出す。
夜の雪山を駆けてしばらく、たどり着いた場所は、里のはずれに建っている古ぼけた小屋だった。
サンダー爺の住処だ。
閉じた木窓を数回たたくと奥で物音がし、しばらくしてクロスボウを持ちながらサンダー爺が怪訝な顔で扉を開けた。よかった。まだ寝てはいなかったらしい。起きなかったらもう少し大きい音を立てなければならなかったところだ。
「こんな夜更けにどこのどいつだ…?な!おまえは」
「夜遅くにすまない、家に入れてくれないか」
夜ふけの訪問を詫びながら伺いを立てると、サンダー爺は無礼人を探す目をうごめかせた後、背の低い俺が扉の前に立っているのを見つけ、驚愕に顔を染めた。
怪訝な顔のまま、それでもサンダー爺は家に招き入れてくれた。村の人間は全員知り合いみたいなもんだから、俺のこともおそらく知っていたのだろう。
薄暗い小屋の中に入ると、目を凝らすと煩雑だが壁のそこら中に年季の入った狩具が所狭しとかけられている。
ベット脇の古びたランプに爺さんは火を灯した後、深いため息をつきながら顎髭をゆっくりなでて椅子に座った。
「まったくジャンは番犬の癖して何やっとるんだか」
サンダー爺が椅子に体を預けながら番犬に文句を言う。ジャンはサンダー爺の飼っている猟犬だ。茶毛でたれ耳の中型犬で、玄関の前に鎖でつながれていた。
「干肉やったらしっぽ振ってた。爺さんも食うか?」
「あいつ…」
懐に入れていたおやつの干肉を投げてやると老いてもさすが元狩人といったところか、サンダー爺はしっかり空中でキャッチした。
そのまま深かった眉間の皺をさらに深くしながらサンダー爺は背もたれにもたれかかる。
寡黙なのか、そのまま会話をするでもなくくすぶっていた暖炉にも薪を足し、二人だけの部屋が少し暖かくなった。俺も話すのがそんなに得意ではないのでそこらへんにあった木箱に座っていると、爺さんは沸かした湯をカップで渡してくれた。
湯気の立つそれをちびちび飲んでいると、ぽつりと爺さんが質問をかけた。やべ久しぶりの文明に浸ってつい話すの忘れてた。
「お前は、ドロマイトのところの長男坊であっているか」
やはりサンダー爺は俺のことを知っていたらしい。改めて自己紹介をしとくか。
「ああ、アウルっていう。父さんはドロマイト、母さんはセレネ、弟と妹がいる」
「そうか、その様子ではダラスの言っていたことは本当か」
「!あんたダラスのおじさんの知り合いか」
「知り合いも何も、あいつは儂の愚息だ」
ダラスは乳母のメアリーの旦那ダリルの従弟だったはず。村は大体全員親戚みたいなもんだ。でも爺さんはいつも一人で暮らしてるイメージが強かったから、知り合いにつながっているとは思わなかった。
それはともかくとして、サンダー爺はそのまま話を進めた。
「しかしまさか生きているとはな」
「ああ、まあいろいろあってな、今は森で暮らしてる」
「ふん、そうか」
村ではどうやら俺たちはもうこの世にいないことになっているらしい。俺たちを森に置いていった父さんは村のまとめ役みたいなもんだから、里から離れたサンダー爺のところでも話が伝わるのはすぐだろう。サンダー爺は物憂げに納得をしていたが、俺はそろそろ本題に入った。
「爺さん、ゆうべ日が暮れる前、森にいるのを見た。この季節、森の奥に入ってくるやつは初めてだ。
爺さんは足も悪いだろ。なんでだ?」
「ああ、あれを見てみろ」
サンダー爺が顎をやる方を見ると、机の端にしなびたドライフルーツがいくつか置かれていた。秋に実るミツカという果実を日干しにした、冬の保存食の定番だ。これがどうしたのだろう。
「ライアンの小僧があれを持って頼みごとをしてきおった。自分の幼馴染を探してくれとな」
「…」
「秋の実りが悪くて皆ひもじい冬になった。雪が積もってから交流も途絶えてな、家同士で行きかうこともない。ライアンはドロマイトの息子が迷い子になったという母親の言葉を信じておる。それで今日の昼間、儂のところに来おった」
迷い子は森で迷子になって帰れなくなった子供のことだ。そして飢饉のときには森へ置き去りにした口減らしの隠語にもなる。
今までの人生で幼馴染のライアンは、俺がいなくなってから探してほしいと人に頼むなんてしたことはなかった。俺が今回身体強化を教えたりしたからだろうか。理由はわからなかった。
「ライアンにはなんて伝えたんだ」
「お前はなんというか…ライアンより年が下ときいていたんだが、随分話の呑み込みが早いな…まあいい。
ドロマイトの阿呆が何を決めたんか、村の世話役の間では話にあがっておった。馬鹿な決断じゃ、儂みたいな穀潰しを先に切ればよかろうにあの偏屈頭ではできることもできん。だいたい村のやつらもやつらじゃ、あんなきまりごとに…昔は…俺の時なら…」
ぶつぶつ言っているが、もしかしなくても父さんを罵倒しているのだろうか。当の息子の目の前で。ひとしきり爺さんがじゃべり終わるのを待っていると、俺の存在を思い出したサンダー爺は咳ばらいをして話をやっと戻した。
「…お前らのことはもう駄目だと思っておった。
だがライアンに頼まれてはの。一度山に入って見つからんかったと言うつもりじゃったんじゃが…」
また深いため息をつくとサンダー爺は頭を抱えながらこちらを見上げた。
そうなのだ、村の大人たちの予想に反して俺は、俺たち兄弟はまだ生きている。
「なあ、爺さんに頼み事がしたい」
「なんじゃお前さんもか。ライアンといい、こんな不自由な体の儂にできることは少ないぞ」
確かに。爺さんの左足は昔獣に襲われた傷で、引きずるように突っ張ったままだ。でもその足で親戚の子供に頼まれただけなのに、俺たちを探しにわざわざ冬の雪山をかき分けて歩いていたのだ。見つかるわけもないとわかっていたのに関わらず。
俺はなんとなく、サンダー爺を信じようと思った。




