序・長食(2)
そこは妖力を封じる強力な結界。さらに壁や天井が妖術によって常に明るい光を放ち、読夜の力まで使えなくさせる特別な独房。
長食にとって闇は闇でない。読夜の鬼は漆黒の闇も昼間の如く明るく見通すことができる。
しかし四方八方から照らされ続け、一切影が生じないようになっているその場所は彼にとって初めて体験する『闇』だった。生まれた時からずっと当たり前に見えていたもの、読夜の鬼にしか見えない世界がそこには存在しない。
最初の数日は気が狂いそうで、その後いくらか落ち着いた後、また不安の波が襲って来た。そんな時間の繰り返し。
そして、それが続くほど里の者たちへの怒りと恨みが膨れ上がっていった。
だがしかし、全員が敵だったわけではない。一人だけ友と呼べる相手がいて、閉じ込められた後も密かに会いに来てくれた。
「逃がしてやれたらいいんだけど、ごめんな……やっぱり、この結界の解き方は見つからなかった」
「気にするな……それより気をつけろ、こんなところへ来ているのがばれたら、お前もひどい目にあう」
「それこそ気にするな。覚悟はとうに決まっている」
長食を閉じ込めた結界は目に見えないが、境界線のこちらと向こう、双方の行き来を遮断する術だ。だから食料などを差し入れることはできない。二人はいつも結界越しに会話するだけ。しかも大人たちに気付かれぬよう短時間しか顔を合わせられない。
それでも、やはり長食にとっては大いに救いになっていた。
「さやはどうしてる……?」
「それも、まだわからない。里のどこかにはいると思うんだが」
「そうか……」
「必ず見つけ出す。だからやけを起こさず待っていてくれ」
「心配いらんさ。どうせ俺は死ねない」
「そういう言い方をするな」
「……すまん」
彼女は長食が自虐的なことを言うのを嫌った。自分自身を悪く言われるよりも嫌っていた。
友としてでなく、男として好かれていたのかもしれない。
長食もまた、彼女を異性として好いていた気がする。
けれど、その逢瀬もやがて途切れた。
◇
ある日、彼女の代わりにやって来たのは長食をここに閉じ込めるよう命じた族長・火奔羅だった。
赤い髪で体格の良い大男。彼は影を作らぬよう境界線から少し離れた位置で立ち止まると、汚いものを見るように長食を見下ろす。その顔に浮かべている感情はあからさまな侮蔑と憎しみ。そして落胆。
「忌々しい、言い伝え通り不死か。光を用いて力を封じてなお、未だに死なぬとはな。知っておるか、あれから一年経っている。なのにお前は飢え死ぬ気配すら無い。やはり、どうやっても殺すことはできんようだ」
だったらと、背中を向けて言い放つ。
「ずっとそこにおれ。けして外へは出させん。呪われた忌み子のいてよい場所なぞそこだけだ。絶対にここから出るな。もし逃げたら必ず見つけてその身を刻み、山に撒いてくれよう。頼むから二度と我らに関わってくれるな」
「あいつは……?」
何日か間が空いている。その時点でここへ来ていたことが明るみになったと察せられた。
案の定、火奔羅は立ち止まり端的に答える。
「二度とここへは来させん」
「……」
来ない、でなく来させない。なら少なくとも殺されてはいない。友の生存を知って小さく安堵の息を吐く長食。
その吐息を聞き取り、ついに火奔羅は振り返った。その顔はさらに凄まじい怒りで歪み、紅潮している。
「あやつを使ってさやの居場所を探ったようだが、無駄だ。あの娘の居る場所は儂しか知らぬ。他の誰にも教えぬ」
「生きているのか!?」
「――チッ」
明かすつもりは無かったらしい。長食の喜ぶ顔を見て失態に気付き、舌打ちする火奔羅。
だが、その直後にニヤリと口角を上げた。
「そうだ、さやは生きておる。生きておるからこそ駒として使える」
「駒……だと?」
「妹を死なせたくはなかろう? ならば絶対ここを動くな。大人しくしておる限り、あやつも死なずに済む」
その一言で長食も気付いた。妹の生存を知ったからこそ、今度は人質として利用されてしまうのだと。
「約定を結べ。妹の身を思うなら、今ここで誓いを立てよ」
「……」
――鬼との『約束』には強制力がある。妖力を持つ彼らは言霊に干渉できるからだ。この妖術を介して結ばれた約束は絶対に破ることができない。
当然迷った。迷ったが、わずかな時間である。選択肢は無く、さやを危険に晒すつもりも無い。
「傷付けることもしないな?」
「貴様がここから逃げぬのならば、そのように計らおう」
「わかった」
長食が頷いた途端、彼と火奔羅、双方の心臓から青い光が放たれ一本の糸となって輝いた。妖術を用いた契約が結ばれた証。
糸はすぐに消えたものの効力は消えない。どちらかが死ぬか、契約に背いて代償を支払うまで永続する。長食は死ねぬ身なので、その代償を支払うことになるのは彼でなく身内だ。おそらくは妹のさやか唯一の友。
身内とは血の繋がりだけを意味しない。信頼を置く相手がいれば、その者もまた含まれる。
「くくっ、思わぬ収穫だ。もはや用は無い……せいぜいここで夢でも見ながら生き続けろ。先は長いぞ」
再び背を向け、歩き出す火奔羅。その足音が遠ざかって行くのを長食は無言で聞き届けた。
奴の言う通り先は長い。自分には永遠の生がある。
だからまだ諦めてはいない。いつかきっと好機は訪れる。必ずさやに会える。一緒に暮らせる。
だって、さやもまた不死なのだろうから。
父は妹に触れた直後に死んだ。あれは多分、命を吸われたからだと思う。
この推察が当たっているなら、さやもやはり呪われた身。そして父の余命を吸い尽くしたことにより読夜の鬼になったかもしれない。
ならば、いつか会える。ここから出て一緒に暮らせる。
ひょっとしたらそこには彼女も、唯一の友もいるのではないか? 火奔羅の助言に従い、長食は未来を夢見て孤独に立ち向かおうと決める。
洞窟の入口は固く閉ざされ、結界を抜ける方法も無い。契約に縛られた彼は約束を違えることすらできない。
◇
――そして長い、長い、長い時が過ぎたと思う。いったいどれだけ経ったかなど、ここにいてわかろうはずもない。
辛うじて正気は保ったままだ。二人目の母との約束、そして憎き火奔羅との契約が彼の心を支えている。
妹を守りたい。守るにはここに居続けねばならない。だから、ずっと眠って耐え続ける。
何年でも、何十年でも、何百年でも。