五話 星群のヘラ(2)
何百年も前の地球に関するデータが集められ、地球探索船ヘラから送られてくる画像データと照らし合わされ、その違いを各専門家が羅列する。すぐに比較できる地形、表面温度、自転周期といった表層的なデータがまとめられる。それを余所目に今回のヘラ計画における技術責任者フザカが発言した。
「今の地球は我々が旅立ったときとは異なり、美しく、希望と未来に満ち溢れている。これは非常に有意な情報であり、この計画が大成功であることを意味する」
おお!といたる所から賛同と感動の声が聞こえ、拍手が鳴り響く。フザカは20代から様々なプロジェクトに参画し成功させ、40歳という若さで主幹という地位にまで上り詰めた男である。顔は年齢よりも若々しく、自信に満ち溢れていた。そしてこの地球探索もまた、彼の履歴書に大きく成果として記載されるであろうと自身も周囲の人間も捉えていた。
そして更にフザカは言葉を続ける。
「ヘラはこの後も衛星軌道を保ち、地球全体の映像を24時間に渡って送ってくる計画である。そして次に大気圏内にエーテルディテクタを突入させ、より詳細な測定と撮影を行うフェイズに移る。さてタオ君、ディテクタ発射はいつ開始するのかね?」
フザカの懐刀であり技術主任でもあり、そして太鼓持ちでもあるタオが、30代半ばなのにハゲ始めた頭頂をハンカチで拭いながら返答をする。
「えー、ディテクタ発射は予定通りであれば20時間後、地球の標準時間でいえばちょうど午前8時に発射となります。えー、ちょうど今、ヘラが送ってきた球面観察のデータが整いましたので、3次元ディスプレイを隣に映します」
会議室の中央にあった8枚の映像モニタが脇に追いやられ、代わりに地球そのもののホロビジョンが映し出された。
「えー、これは地球表面を2秒おきに撮影したものになります。」
少し甲高い声でタオが説明を続けるが、見入っていた渡り鳥の映像が遠くに追いやられてしまったタナーは意気消沈気味となった。しかし二人とも、次第に3次元ディスプレイされた地球から目を離せなくなった。
「教科書どおりの大陸形状なんだ……」
プロジェクトに参画が決まってから、過去の遺跡とも言える地球のデータが掘り起こされた。それをほぼ毎日見ていた技術スタッフにとって、数百年前のデータとほぼ同じ地球の大陸形状が確認できたのは一種の感動であった。太陽に照射されている部分は青い海と茶色い大地と白い雲が確認でき、その反対側は暗闇と所々に僅かな光点が確認できた。
「夜の大陸に点灯しているのは電気の光?やはりまだ地球には人類が残っているの?」
星群が現在使用している光源は全体照射がほとんどであり、電気による点光源はすでに過去のものであった。しかし3次元ディスプレイに映る夜の地表には、失われた電気技術によるものであろう光が到るところに見られ、地球上に電気を使う人間がいることの証左と思えた。
地球から離れて600年、その間一度も自然に触れることも、自分の足で大地を歩くこともできなかった人類にとって、今の地球の姿はあまりに尊かった。
しかし星群の中央星域から地球までは、無人宇宙船の理論的最速ならば2年だが、有人の場合は最短でも30年を要する。地球に帰るのは不可能に近い。そうわかっているはずなのに、この映像を見た多くの人間は地球に戻りたいという想いに取って変えられた。
理論的に物事を考えるのが常であるタナーでさえ、地球に帰りたいという考えてはならない事に心を支配されていた。
「俺たちはゆりかごに戻れないほど体は大きくなり、母さんに顔向けできないほど暴力を奮ってきた。思い出はアルバムと心の中に残すだけで、今は第二の地球を探すのに戻るべきだ」
丹下は冷静に真実を述べる。タナーもそれはわかる、わかっている。わかっているはずなのに、でも、しかし。
「地球に帰りたい……」
言ってしまった。零してしまった。禁断の果実をもぎ取ってしまった。
いや、それはタナーの声ではない。この会議室にいた他の誰かだ。しかし、声となって表れてしまった。多くの人が自分の声だと思ったはずだ。




