三十二話 ベロボーグ(2)
惑星ヘリオスが発するエーテル振動の終端波形を確認していた星群技術部は、最初に送った無人宇宙船がエーテリオンドライブ航路に乗った瞬間に発する特異周波数を確認した。
「1号機、無事にドライブ空間に突入しました。2号機、突入します」
惑星ヘリオスから火星に向けた無人エーテリオンドライブの所要時間は、最短1年と設定されていた。ヘラやヘカーテは2年かかったが、それを更に短縮したのがベロボーグ計画の目玉であった。早ければ早いほど、ドライブ中の負荷は当然大きくなるが、星群ではウェアラブルマテリアルに絶大な自信を持っていたため、無謀とも思える速度が設定された。
また地球工作員と思われるアオリが、星群に確保された事が地球側に伝わって対策される事も考慮し、最速の侵攻作戦が実行された。カムラはタナーとエミーを中心とした多大な支援と協力を元に、机上では完璧な太陽系侵攻計画をここに開始したのである。
2号機に続けて3号機が惑星内の発射口に装填されるのを見ながら、カムラは程よい緊張感と高揚感に満足していた。計画は順調にここまで来た。タナーの協力で地球側の情報を存外に入手する事もできた。ヘラとヘカーテの消失は計画外であり痛かったが、地球側の対応を想定せず対応できなかったフザカの責任である。その失敗から逆に地球工作員の逮捕や計画修正を行った自分こそ、もっとも優れた存在である……。
増長ここに極まれり人間、それが今のカムラだった。
地球側の待ち伏せに対抗するための無人戦闘機30機が無事に出立し、いよいよ有人戦闘機テルースの1機目がエーテリオンドライブ射出口にスタンバイとなった。惑星ヘリオスの地表100mの位置に浮く形状で直径10km、高さ3kmの円柱構造体、これがエーテリオンドライブの発射台だった。そしてヘリオス内部がエーテル振動による加速器であり、ヘリオスと発射台とを空間カップリングで瞬時的に連結することで、発射台内部の空間をドライブ加速するシステムとなっていた。
発射台内部の然るべき位置にテルースが侵入し、スタンバイ状態となる。あと60秒ほどでヘリオス内部のエーテル振動が発射台と同期し、テルースが射出される。それをカムラたちプロジェクトメンバーや、2号機以降のテルースパイロットが見守っていた。
すでに無人戦闘機は30機も発射されており、特に問題は出ていない。いよいよ自分の研究成果であるテルースが発進する。タナーは興奮のさなかにあった。
「テルース1号機、あと10秒で発射となります。・・・・3,2,1,ゼロ!」
厚い鉄板を叩いたようなグワンという共鳴振動が周囲一体に響く。白い閃光が走り、ヘリオス地表と発射台の間に居たテルースは一瞬でいなくなる。
「やった、成功だわ!」
発射台を管制塔のモニタで見ていたタナーが喜色満面で右手を軽く握り込んだ瞬間だった。
先程の共鳴音より遙かに大きい炸裂音が当たり一面に響いた。そのあまりに大きい音と衝撃は発射口周囲に均一に音と圧力波となって広がり、地上に居た作業者を数メートルほど吹き飛ばし、搬送車の強化窓ガラスをすべて割り、次に飛び出す予定だったテルース2号機の位置さえずらしてしまった。
管制塔から見ていたタナーや重鎮にまで振動は一瞬で伝わり、安全なはずの室内にいた人間が立っていられなくなるほどの衝撃だった。実際にタナーは衝撃でよろけて尻もちを付いてしまったが、それよりも目の前に起きた現象を理解できず、呆然としていた。管制塔内のモニタは十数台あったが、一部は破損してしまったようで何も映っていない状態だった。辺りから五月蝿いくらいに警報音やアラームメッセージが飛び交う大惨事であった。
その惨事の発生源である発射台近辺では、異常な振動は止まる事なくビリビリとその後も連続して発生し、本来ならば微動だにしない巨大な発射台が、芯の出ていない旋盤のように不快な音を鳴らし続けていた。その振動と音は一向に消えず、さらに間を置かずに台を支えていた巨大な柱に亀裂が入った。またいくつもの大きな金属がぶつかるような音が発射口の内部から聞こえ始め、そして発射口の下に煙を吹き出した物体が地響きを立てながら落下するのが見えた。
物体は複雑に折れ曲がった何かのようだったが、次第にその色や一部の特徴的な形状の残骸から、先ほど飛び立ったはずのテルースのようだった。しかしテルースは全長60mクラスの宇宙船のはずだが、落下してきた物体は圧壊により高さ10mにも満たない状態だった。
「エーテリオンドライブの失敗? でも先発した30機は問題なく発射して、有人機になった途端に失敗?有人機に問題があった?」
「あれ、あの残骸、まさかテルース1号では……」
「発射口がまだ揺れてる。支持柱にもヒビが入ったようだし、あのままだと崩れ落ちてくるのでは?」
「最初に吹き飛ばされた作業員から応答なし、急ぎ救急車両とドローンを現場に……」
「避難は?まず避難を。」
「発射準備中のテルースについて、指示を!避難指示を!誰か!」
管制塔の中では警報と悲鳴と指示が交錯する。管制塔は発射口から数百メートルの位置にあり、先程からの異常振動や共鳴音で塔自体もビリビリと小刻みに震えていた。一部の混乱した人間は避難口に殺到したりと、あまりに想定外の事故に、右往左往していた。
本来ならば事故発生時には救助や然るべき対応処置を行う消防隊や、初動対応や連携体制が組まれている。しかし政治色が強く出たこのべロボーグ計画では、事故時に最高指揮を取る将官が、現場指揮よりもルイ議長を始めとした政府高官を助ける事を優先してしまった。そのため現場に対する指揮系統が浮いた状態となり、本来想定されていた事故対応が出来なくなっていた。
ルイ議長やプロジェクト上層部の一部は、安全を最優先とした貴賓用の宇宙船で見学していたため、不足の事故が発生した瞬間から現地を離れ始めた。しかしカムラやタナーといった指揮官クラスや各部責任者クラスは惑星ヘリオスの発射台に近い管制塔に居たため、事故の衝撃と混乱の渦中にいた。
そして本来ならば、この混乱を治める責任者たちでもあったが、ベロボーグ計画の大失敗という事実を受け入れられない状態にあった。当然、本来すべき避難や二次被害の拡大防止などの指揮は取れず、また配下に指揮権を与えて代理させる事にも頭が回らなかった。
現場が自己責任で動くほど柔軟性がない上、最高指揮は自分の業務よりも政府高官の安全を第一に動くトップ至上主義により、被害を食い止めるどころかますます拡大の一途となっていった。発射口に近い地表で作業していた軍人や作業員の大半はほぼ吹き飛ばされており、また作業車や発射口施設の中にいた人員から救難信号が出されていた。
◇
『なあ、本当に事故っちまったぞ……。あれじゃあ生きてはいないよな。』
『発射台も今すぐにでも倒れてきそうだ。俺等は脱出していいのか?』
『許可なき脱出は重大な責任放棄として厳しく罰せられるはず。脱出指示が降りない限り、俺等はこの中で待機するしかない。』
『脱出指示を頂けるようにタナー女史かエミー女史に通話を申告しているが、一向に繋がらない』
『おい、発射台がまだ振動してる。崩れ落ちて来たら俺たち全員潰れておしゃかだろ。』
テルースのパイロット達が、特別波長帯を使って連絡を取り合っていた。眼の前には圧砕されたテルース1号の残骸、そして今にも崩れ落ちそうなドライブ発射台。今回発射保定のテルースは発射台近辺に順番に待機しており、エンジン点火状態のままだった。
またテルースや今回発射予定の宇宙船は、直径5kmの巨大な発射台の下にすべてスタンバイ状態となっており、台が崩れれば一巻の終わりなのは目に見えていた。発射台はまだ多少は持ちこたえそうだが、自分たちを完全に覆うほどの巨体である。崩れ始める前に脱出すべきなのは皆がわかっていた。
『許可が貰えないで脱出したらどうなるかな?たとえ無事だったとしても、後で処罰されるかな?』
『この機体が計画でいちばん重要なんだろ?俺等が生き延びても機体が潰れたら死刑だろうな。』
『ならこの機体ごと離脱すれば、かえって評価されるんでは?』
『でも政府のお偉い様達が集まっている中、勝手にこの機体を操作して大丈夫か?』
エミーら精神ケアチームのマインドコントロールで、命令と作戦に従順であるように教育されているテルースパイロットだが、あまりに衝撃的な事故と無惨な一号機の躯を目の前にして、精神的不安で揺さぶられていた。そこに外部から放送が入る。
『君たちテルースパイロットは何も悪くない。なのに君たちの体は改造され、元には戻らない』
本人たちが考えないようにしていた、思考から外されていた一番つらいポイントを、その声はえぐった。
う、うう、ううう、、、、、、パイロットにとって切り離されていた精神的苦痛が蘇り始めた。
『君たちパイロットは何も罪はない。しかし今、最初に飛びだったテルースは砕け散ってしまった』
『君たちは何も悪くない。なのにこの侵攻の失敗はすべて君たちに押し付けられるだろう』
『君たちに何も罪はない。しかし君たちの体では、もう愛する人を抱きしめる事はできない』
『君たちは何も悪くはない。悪いのは、君たちをそんな体にして、こんな死ぬ作戦にあてがい、失敗を君たちのせいにしようとする、一部の人間だけだ』
『君たちの敵は、管制塔にいる。君たちを罰する人間は逃げ出してここには居ない。管制塔だ。管制塔に攻撃を。大丈夫だ。管制塔さえ破壊すれば、すべてそこに居た人間が罪を償ってくれる。君たちの体を改造した人間は管制塔にいる。……』
何度も何度もその内容が繰り返される。多くのパイロットには無視されたが、ある一人のパイロットにその言葉が届いた。そのパイロットはテルースを起動し、管制塔に向かって砲口を向け始めた。そのパイロットを止めようとする者もいたし、呆然と考えを放棄する者もいた。
しかし結局そのまま、管制塔を攻撃対象に定めたテルースはレーザプラズマ砲を目標に向け発射した。パイロットは何度も叫びながら、プラズマ砲を撃ち続け、そこは瓦礫の山となった。
◇
発射台の振動は次第に収まっていき、幸運にも台が崩れる事は避けられた。しかし突然、ヒビの入っていた支持柱が爆砕され、再び発射台が崩れ始めた。
2本目の支持柱からも爆発が生じ、更に崩れるスピードが早まった。巨大な発射台は10数本のこれまた巨大な支持柱で支えられていたが、数本がその機能を失ったことで残る柱もまた、全て崩壊が始まってしまった。テルース本体とそのパイロットは何一つ脱出する事は出来ず、そのまま巨大な発射台を墓標として潰れていった。




