三十話 デスバレーの密談
タナーの元上司で、生体テラマテリアルの医療開発を主研究としていたウラケは、今はデスバレーと呼ばれるメリキュル惑星軍の工場で監督者として勤務していた。タナーの密告により、ウラケは故意にベロボーグ計画に害する行動を取ったとされ、咎人の収容所とも言えるこのデスバレーに3ヶ月前から左遷となっていた。同じ工場では、やはり一年前までは技術主査として有名だったフザカも、降格後に工場作業者として名簿に記されていた。しかしウラケがこの工場に来たときには、フザカの姿はなく、体調不良により入院しているとの事だった。
「そうか、いよいよ太陽系に向かったのか。600年前の屈辱的敗北を忘れられなかったのかな。」
ウラケは誰も居ない部屋で、壁に向かって喋っていた。第四次世界大戦、いや第一次地球圏大戦で敗戦国となり、数ある星群の中で唯一敗北から生まれたアルタイル星群。地球からも追いやられ、他の星群からも流浪者とも敗残兵とも揶揄され、失望のまま600年前に火星から太陽系外に旅立った。30年ほど前に、なんの偶然か、人間が通れない狭い覗き穴を見つけ、そこから太陽系を見てしまったときから何かが狂い始めた。
「まさか、無人航路を無理やり通ろうとするとは、俺も思わなかったですよ」
誰も居ない壁から男の声が返ってくる。
「600年間、燻っていた何かに火が付いたんだろうね。無茶苦茶だよ、無人航路を通るためにあんな非人道的な実験がまかり通るなんて。地球を支配下にしたいという、お偉い方の矜持を満足させるために百人近くの人間を犠牲にした無人機が作られていく。初めてあのパイロットを見た時の衝動は、一生忘れられないよ。」
両目を右手で覆ったウラケは、自分の教え子であるアオリが喜々としてヘラのパイロットを説明した時を思い出す。アオリは「これが無人エーテリオンドライブの常識を超える新しい宇宙船です!」と自慢げだった。彼女のレポートを読みながら、これは夢、それも悪夢ではないかと何度もウラケは疑った。
人間の表皮と臓器を次々取り除きながら、操縦に必要な部分だけを抽出する実験過程に、船と一体化させるために最終的に頭部だけになってしまった人間。アオリと彼女の所属する研究チームは、何人もの人間を材料として使って実験を行っていた。レポートに記載された実験方法や結果の詳細を読み進めたウラケは、正気と狂気の境目を見失ってしまった。
「タナーが開発したパイロットはそれよりまだマシでしたか?」壁に立て掛けられた小さな板から声が聞こえる。いいや、とウラケは首を振る。
「たいして変わらないよ、僕も実験風景を見たからね。実験中にパイロットが、自分の体がどんどんテラマテリアルに交換されていく過程でタナーくんに懇願するんだ。『もう止めてくれ、これ以上、俺の体を削らないでくれ。俺が俺でなくなっちまう』って泣き叫びながらね。」
息を飲み込んだ音が壁から聞こえる。
「大丈夫ですよ、これで貴方は英雄になるんです。大丈夫ですよ、任務が終われば元に戻れますから。大丈夫。ってタナーくんが笑顔でパイロットに言うんだ。周りの宣教師も一緒になってね。僕は叫びたかった。『嘘だ、そんな訳ない。なぜこんな酷い事が出来るんだ』って。ああ、星群の研究室はいつから魔女に乗っ取られてしまったんだろう……」
しばしの間、静寂が流れる。右手を顔から離したウラケが壁に問う。
「君が見たところ、ベロボーグは失敗しそうかい?地球はあの戦闘機に対抗できそうかい?」
「人間の強みは道具を発明した事、そしてそれを活用したところにあります。道具になった人間が、道具を使いこなす人間に勝てるわけがありませんよ。」
それを聞いたウラケにやっと少しだけ笑顔が戻る。
「そうだね。人間は群れを作り協力してこそ力を発揮する生き物だった。脅迫と欺瞞で作った力では勝てないよね。」
「くさいセリフですね。」
「君だって。」
壁の声も苦笑しているようだ。
◇
「さて、そろそろ俺は行きますね。いろいろ情報ありがとうございました。」
「ああ、お互い生きてまた会いたいものだね。とにかく、あの呪われた研究は葬ってほしい。それだけは頼むよ。」
「ええ、全力を尽くします。あとウラケさんはベロボーグ失敗後、晴れてセントラルに復帰しますよ。危ないのは俺だけです。」
「戻れるかなぁ。一度デスバレーに落ちたらダメのような気がするけど」
「それはフザカみたいな作業者にまで落とされた人間ですよ。ウラケさんは監督者だから大丈夫ですって」
「そうか、じゃあその言葉を信じて頑張ってみるかな。また会えることを祈って」
「ええ、次も敵じゃなく味方として会える事を期待します。では。」
壁からの声が聞こえなくなっても、しばらくウラケはその場に留まっていた。そしてふと、部屋に備えられていたモニタを点ける。モニタは惑星ヘリオスに集められた宇宙船の勇姿が次々に映されていき、最後に作戦司令本部の広報担当員が自信たっぷりに今後の計画を説明していた。ウラケはふと、とある会議の事を思い出していた。
「エーテリオンドライブで連続して輸送する際のインターバルは最短でも約400秒です。もし地球側が星群の宇宙船を400秒以内に破壊可能であった場合、ベロボーグ計画の船は逐次破壊されてしまうおそれがあるのでは?」
ウラケも出席していた会議でそう質問した若い男性研究者は、その場で退室を命じられ、そしてそれ以降見ていない。都合の悪い質問に答えようとしないカムラはすでに学者ではなく、地位と権力と成功のみを求める卑劣な存在となっていた。疑問や問題を解決しようとしないカムラに、ウラケはベロボーグ計画の失敗を感じ取っていた。
◇
「カムラ、そしてタナー。地位と権力はどれだけ優れた学者も狂わせてしまう毒酒なんだな……」
惑星ヘリオス近辺で星群に対する準備を進めている丹下は、ウラケとの会話を終えてつくづくそう思った。ヘラ消失事件でタナーの叡智に舌を巻き、そして地球側につくと宣言したタナーを、丹下は信用しきれなかった。
案の定、自分の立場を脅かし始めたアオリを蹴落としつつカムラやルイ議長に自分を売り込むチャンスだと気づいた瞬間、タナーはあっさり前言を翻し、星群側に付く事に決めた。そして棚からこぼれ落ちてきたそのチャンスを自分のために最大限活用した。結果、上層部から絶大な信頼を得てベロボーグ計画の中枢に上り詰めると、ほんの数ヶ月で暫定ではあるがタナー研究室の建立に莫大な予算を獲得してしまった。
また無人エーテリオンドライブの有人操作宇宙船について、アオリが属していた研究派閥のヘラ・ヘカーテ方式と、ウェアラブルマテリアル方式を検討会にて最終決議する計画だった。それを今回の件で、ヘラ・ヘカーテ方式を追い落とし、ウェアラブルマテリアルの正式採用に繋げた。
丹下はあまりに想定通りに行動してくれるタナーに、笑いが止まらなかった。あの女は自分ではまだ気づいていないようだが承認要求が異常だ。特に本人は無意識らしいが、自分が優秀だと思いすぎている事と、自分より注目されていた同性の後輩アオリに対する嫉妬は客観的に見て滑稽だった。そこを利用してこちらが用意した罠に、タナーは完璧なまでに引っ掛かった。
そしてアオリもまた、同性で近い年齢なのに能力では圧倒的に上のタナーに対して、自分の方が上にいようと躍起になっていた。自分の所属派閥がカムラ派閥に負けている事もまた、焦りだったのだろう。丹下はアオリの自己顕示を刺激し、地球側の偽情報を握らせた。そして計画通り、アオリはタナーにその地球側の情報を持っている事を使って、自分の方が上だと見せつけるように動いた。
アオリとタナー、2人が正しい方法で刺激し合って正しい評価をされていれば、星群の技術革新はより正しく確実に発展したであろう。しかし相手を蹴落とす成果主義が基本の星群では、ライバルの実績は軽蔑侮蔑し、自分の実績は針小棒大に見せる事が基本である。カムラの弟子であるタナーもまた、カムラと同じやり方で同じ方向に歩き始めた。
非人道的なパイロットを開発していたアオリとタナーを、丹下はベロボーグ計画ごと地に落とすと決めていた。




