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1-8.ユージン


 いったい何が起きたのか、そんなのは把握する余裕もない。


「ぬおおおおおおおおーーーーッ!!!???」


 ズガンと室内にけたたましい物音が炸裂した直後のこと。そんな魂所以の大絶叫をあげ、その場に倒れ込んだのはナオタだった。一見だけすれば、それはまるで彼が凶弾に倒れたかのような陣容にも見える。ただそんな見立てにそぐわないことがあるとすれば、1点。


「ぬ、ぐおおおおおお……っ!」


 これでもかと目を見開き、口先をすぼめて声を振り絞っている。今にも悶絶しかかっている。そんなナオタが身を縮こめるようにして押さえているところ。それがさっきまで自慢げに大きく開いていた股の間――すなわち、自らの局部であることだ。


 いったい、何が起きたのか。そんなことを把握している余裕なんてない。あるものか。なにせ、入ってしまっていたからだ。決して入ってはいけない場所に、許容されてはならないレベルの衝撃が、痛打が。そう、致命的なまでクリティカルに。


 それは持つ者にしか分からない、持たざる者とは決して分かち合うことのできない、苦しみの極地とも呼ぶべきものだった。不用意な身じろぎ1つでさえ、命取りになりかねない。それほどまでの苦痛に悶えるなかで、ナオタの耳にその声は届く。


「ふぅ、やれやれ。危ないところでした」


これで山は越えたと言わんばかりの、すっきりとした満足げなその声が。


「な、に……!?」


途端にナオタは違和感に襲われ、硬直した。その声音が、直前までナオタに接していた彼女のそれにしては、やけに飄々としたものに思えたからだ。健気さや従順さ、畏敬の念までも消え去ってしまっているように感じられる。


 だが一方で、聞き覚えのある抑揚の付き方でもあった。まさかと、果てしなく嫌な予感を覚える。だがそのまさか以外に、こうなる展開など思い当らない。ゴクリと息を呑む。


 それからナオタは意を決して、恐る恐ると振り返った。体勢はそのままに保ちつつ、首だけを巡らせて、ゆっくりと。極力、内股に刺激がいかないように気をつけながら。そして、答え合わせは成った。


「ともあれ、ひとまずはこれで無力化成功ですかね?」


 そこにいたのは何やら見開かれた分厚い本を手に、にっこりと笑顔を綻ばせているククルゥだったのだから。


 表情こそ、笑ってはいる。だがこれで2度目とナオタにはよくわかっていた。にっこりと女の子らしいと言えばらしい明るい表情とは裏腹に、そこには懇意など微塵も込められていないことを。


 加えて今、彼女がナオタのことを誰より明確な敵とみなしていることも。わざわざ確かめずとも肌で感じられた。それほどまでにククルゥがナオタに向けるプレッシャーが、ついさっきまでと今とで甚だしくかけ離れたものだったからだ。すなわち、そのことから導かれる結論は1つしかない。


「ど、どういうことだ!? なんでおまえ、洗脳が溶けて……!」

「あー、なるほど。やっぱり私、そんな感じだったんですね。道理で、ここに来るまでの記憶がすっぽ抜けてるわけですよ」


 それは気が気でないナオタが、思わず口をついて出てしまった疑問だ。だがそんな彼とは対称に、ククルゥはそこから自己解決を得つつ、ため息混じりに独り言ち、うんうんと頷いていた。それから悩ましげにひとしきりこめかみをぐりぐりした後で、答える。


「はい、おっしゃる通りです。あなたが私にかけてくれた暗示はもう解けています。といってもまぁ、ついさっきまではしてやられてましたが。そこは幸い、友人たちが起こしてくれましたので」

「なっ、友人だと!?」


 なんの気も無さそうにククルゥが口にしたその言葉だが、聞き捨てならないとたまらず待ったをかけたのはナオタである。だってそんなのは、まったく寝耳に水の話だ。第三者との接触はナオタが何より警戒していたことだし、現にここに来るまでそんなことは一度もなかった。なかったはずだ。


 なにせナオタは他の誰でもない、ククルゥ自身にその警戒を命じたのだから。ここに来る直前、ナオタはククルゥに2つの命令を下している。


1つ。もし移動中に自分たちの動向を探っているような気配があった場合、いち早く自分にそれを知らせること。そして2つ、もし他の誰かが接触を図ってきた場合、それがたとえどんなに親しい相手だったとしてもその場から離脱し、最優先でナオタのところまで戻ってくること。


 この2つさえ徹底して遵守させていれば、どんなイレギュラーでもおよそ封殺できると踏んでいたのだ。だからこそさっき、部屋を後にするククルゥのことだってナオタは安心して見送ることができたのである。


 盤石とはいかないまでも最低限の防衛ラインは引いていたはずだ。それなのに、いったいどうして……? いつどのタイミングでククルゥの洗脳は溶けてしまったというのか。ナオタは必死になってその答えを模索する。


 あるいは最初からか? いや、それはないはずだ。ありえない。だってもしそうならば、こうしてククルゥが自分を返り討ちにできるタイミングなんてここに来るまでいくらでもあったはずだ。ならばもっとずっと早くにこうなっていただろう。


 だから洗脳が解けたタイミングがあるとすれば、どう考えてもここに来てからよりも後のことのはずなのだ。つまり命令を下したあの時点で、ククルゥの意識は確かにナオタの掌握下にあったと言える。


 だが、それではいよいよおかしくなってくるではないか。あの従順だったククルゥにとって、ナオタの命令は絶対のものだったはずだ。目を離していたこの数分間にしろ、彼女はそれを守って動いていたことだろう。


 ともすれば、そんな友人とやらの割り込む隙なんて、もうどこにも残されていないではないか。

説明がつかない。見落としだってどこにもない。ナオタの頭になぜが溢れ、錯綜する。いよいよ考えが行き詰まりかけた、そのときだった。


「ねんねー、ひめたまー」


 どこからともなく、そんな声が鼓膜に触れたのは。ハッと、ナオタは反射的に顔をあげる。だっていま、確かに聞いた気がしたのだ。どこかふわりとしていて舌足らずな、たぶんまだ小さな子どものものと思しき声を。


 だが室内をひとしきり見回しても、それらしき人影の姿なんてどこにもなかった。今この場に居合わせているのは、どこまでもナオタとククルゥの2人きりで。あるいは空耳だったかと、そう思いかけるも。


「んねー、ひめたまってばー! 聞こえてゆー?」


 続く、その第二声が決定打となった。やっぱり、誰かいる。今度こそそんな確信をもって、しきりに視線を行き来させるナオタである。


 どこだ? いったい、この声はどこから聞こえて……!? 目を凝らした視索の範囲は自然と、声のしたククルゥの周囲に限定された。だがいくら見回しても、見つからない。それらしき第三者の姿なんて、どこにも。いったい、何がどうなっているのか。いよいよ自分の方ががおかしくなってしまったのかと、そう思いかけたときだった。


「はい、ちゃんと聞こえていますよ」


 はぁとため息混じりに、ククルゥがその声に応じたのは。


「あやまー」


 それにまた腰の入らない返答があり、そして――。そしてようやく、ナオタの視点は一か所に留まる。ククルゥのさくら色の髪のかかった左の肩口。風も無いはずなのに、そこが小さくモゾモゾと揺れていたのだ。


 それを見て、ナオタの思考は停滞する。何かいるというのか。あそこに。いや、あんなところに。いったい、なにが……? その何かが何なのか、まったく見当も付けられないまま。


「そいつは一本、取られましたなー」


 凝然とナオタが見つめる前で、それはククルゥの髪をかき分けるようにして姿を表す。端的に言えば、それはヒトだった。ただし、いわゆるただの人ではない。小人だ。


 サイズで言えばちょうど手のひらに乗るくらいの、ハムスターサイズの人間。おまけに二頭身。そんな珍妙生物が、ククルゥの肩口にちょこんと乗っかり。


「んもー、思わせぶりなんだからー」


 腹話術人形か何かのように四肢を動かして、口までも利いていたのだ。ククルゥの髪を遊具代わりに、ぶらぶらとぶら下がって遊びながら。


 開いた口が塞がらないまま、ナオタは唖然とする。それはナオタにとって、童話のなかだけにしかいないはずの幻の種族を生まれて初めて目にした瞬間だった。あるいは先ほど度肝を抜かれたリクガメよりも、ことさらにファンタスティックな存在との邂逅に他ならなくて。


 焦燥と感動が入り混じり、自分でもよく分からない感情になってくる。そんなナオタをよそに、ククルゥと小人のやりとりは続けられていた。


「あの、それで何でしょうか? 一応いま、取り込み中なんですけれど」

「あやー、さようでしたか。これは失敬、失敬。いやねー、でも心配でね? またまた姫たまが、テンプテーションされちゃってないかと」

「あぁ、それなら大丈夫ですよ。ほら、見ての通り、いまちょうど追い詰めているところですから」


 言いながらククルゥが指さした方向へ、小人もまた素直に視線を追従させる。そこにいたのは言わずもがな、いまだ床に転がり、自分の股間を抑えているナオタだった。じぃっと、小人はしばらくナオタのことを食い入るように見つめてから、何やら合点がいったようにほぅほぅと頷いて。


「ではこれが噂の、姫たまを射止めたという?」

「言っておきますけど、ロマンチックな要素はありませんからね。洗脳です」

「んもー照屋さんなんだからー。そんなこと言って、きっちり射止め返しちゃってるくせに」

「はい?」

「金的」

「あぁ、はい。まぁ……」


 いろんな意味で、ふざけているとしか思えない会話の中身だった。まるでテンポの悪いコントでも見せられているような気分になる。そんなやり取りが、なおも続けられる。


「ええと、それで本題は?」

「え、本題?」

「何か用事があったから話しかけてきたのでしょう?」

「おー、そだったそだった! それがその、気になっちゃって」

「何がです?」

「だから、その」


 すると、そこで口ごもってしまったのは小人の方だった。どうも何か言い出しにくいことがあるといった様子に、ククルゥははてと眉根を寄せる。


「なんです?」


 だがその沈黙も、長くは続かなかった。

 程なくして意を決したか、小人はおずおずと答える。


「いま言ってた『ユージンタチ』って、もしかして。もしかしなくても、誰のことかなーって」


 顔を赤らめ、モジモジしながら、そんなことを。たちまち、ククルゥはため息をついた。やけに勿体ぶるからもっとよほど重要なことかと思えば、まったくそんなことかと。


「はいはい、そうですよ」


 やれやれ手間のかかることだと思いながら、ククルゥは答える。


「私が今言った友人たちというのは、正しくあなた方のこと」

「「「いやったああああーっ!」」」


だが最後まで言い終えるのを待たずして、たちまちその場に溢れたのは七色の歓声だった。いったい何事かと驚き、びくりと身を震わせるナオタである。だがそれも、一瞬のことだ。それ以上に次の瞬間、視界に溢れかえった変事の方がよほど甚大で衝撃的なものだったのだから。


 たとえるならばそう、クラッカーだ。まるで紐を引いたクラッカーからテープや紙片がわっと飛び出すように、ククルゥがずっと手にしていた本の見開きから、色とりどりの何かが突如として飛散し、弾けたのである。


 ポポポポンと、空気の弾けるような景気の良い音をもって。

 問題はその何かが、いったい何なのかだが。


「やったー!ユージン、ユージン!」

「ボクたちみんな、姫たまのユージン!」

「まぁ、わりと知ってたけどね」

「夢みたいな話」「光栄極まる」「恐れ多いなー」

「やっと認めてもらえたか」「永年の苦労がようやく」

「いやしかし、面と向かって言われると照れる」

「生涯友だちパスポート、取得ってこと?」

「とりま輪になって踊っとく?」

「今宵はお赤飯ですなぁ」


 そんな何とも腰の据わらない掛け合いが、右から、左から、足元から、耳元から、背後から、正面から、頭上から。まるでナオタを取り囲むように、方々から聞こえてくるのである。つまるところ、それが答えだった。


 ククルゥの本から飛び出し、飛散した色とりどりの光の正体。そのすべてがいま、ナオタの視界のあちこちで見え隠れしている無数の小人たちに他ならなくて。室内の至る場所に、彼らはいた。机やベッドといったあらゆる家具の上や床にはもちろんのこと、中空もその例外ではない。


 パラシュート、ハングライダー、凧に気球、飛行船が。飛んでいる。あるいは空を、渡っていく。彼らを乗せて、優雅に。そしてどこまでも自由に。なかには体いっぱいに風船を括り付けて、ゆっくりと空へ昇っていく小人の姿もあった。


 そして、中でもより一層、彼らの分布密度が高くなっているのは。キャイキャイとお祭り騒ぎの中心、何とも言えない表情でずっとその場に佇んでいるククルゥである。同じ体勢のままずっと動かずにいる彼女は、今や彼らにとって恰好のアスレチックとなっていた。


「わーい!」


ボタンや髪や袖口といった、全身のあらゆるところにぶら下がられ。


「おちつくー!」「ごくらくー!」


カマクラ代わりとされたポケットはどこもかしこも、彼らの袋詰め状態。いい角度で曲がった二の腕は滑り台にされ、見開かれた本の上ではピクニックが始まり、腰から頭上にかけては団体さまがロッククライミングを楽しんでいる。


 そんな風に全身の至るところに彼らを引っ付けたククルゥは、もはや彼らの宿り木状態となっていた。そんなわけだから、ナオタの視界はいま、上から下まで小人たちでいっぱいとなっている。いったい全部で何匹いるのかなんて、検討もつかない。


 少なくとも、まともにカウントできる数でないことだけは確かだった。挙句にはポンポコと空砲が上がり、ブルーインパルスさながらのジェット機が、旋回しながら空に五色のアーチを描いて飛び去っていく。


「「「「「ふぅぅぅぅぅぅーーーー!!!!!」」」」」


 そこで最高潮へと達した彼らの賑わいは、まるで国家をあげての祝賀会か祭典でも見ているかのような様相を呈していた。とはいえ、そのすべてが彼ら大の、ミニチュアサイズではあったけれど。


 圧巻と言えば、圧巻。そんな光景をまえに、しばし目を奪われているナオタである。一方で、ハァとため息をついたのはククルゥだった。そうやって肩を撫で下ろしただけで、小人たちが何人も落ちていくが構いやしない。パンパンと手を軽く叩いて、呼びかけた。


「はいはい、皆さん。もう分かりましたから、戻ってください」


 しかし、彼らは気づかない。近くの者同士で抱き合い、小躍りし、歓声とともに飛び去るジェット機に手を振っているからだ。


「みなさーん、聞こえてますかー? 嬉しかったのはもうよく分かりましたので、そろそろ戻ってくださいねー」


 さらに声を張るが、結果は同じだ。ククルゥの呼びかけなんてそっちのけで、彼らはひたすら今この瞬間に歓喜していた。それはさながら、園児に手を焼かされる新米保育士の構図で。だがそんな彼らの賑わいも、次の瞬間までだった。


「スト――――ップ!!!!!」


と、よく通る大声をククルゥが張り上げたのだ。瞬間、すべてがピタリと止まる。いや、停止する。わちゃわちゃと戯れていた小人たちはもちろんのこと、猛スピードで空を滑空していたはずのジェット機も、空に打ち上げられ破裂する寸前だった花火も含めて、すべてだ。


 故に、無音だった。ククルゥの一喝がもたらしたそれは、あらゆる物理現象も無視した停滞だ。それこそ、まるで時間ごと止まってしまったかのような。誰一人として、微動だにしない。そんな水を打ったような静寂のなかで、彼らの視線はあまねくククルゥ一人に向けられている。


 やべぇだとかまずいだとか、全員がそんな感じの強張った顔つきになりながら。そして――。沈黙をもって彼らの注意を十分に引きつけたところで、ククルゥは言った。もうぶちぎれる寸前ですよと、そう言わんばかりの笑顔でにっこりと。


「早く戻らないと、明日のおやつは抜きですよ?」


 その宣告を突きつける。シンと辺りにより一層の沈黙が落ちて、果たして――。


「ひっ・・!」


 引きつったその声を最初にあげたのは、果たしてどの小人だったのか。それからのことは、あっという間だった。近くの者同士で顔を見合わせるなり、小人たちはいっせいに動き出す。


「ひぃやああああああああーっ!???」

「やだ、そんなの嫌だ―!」「お助け、おっかー!」

「堪忍、それだけは堪忍!」「死んでまうやろー!?」

「そんなご無体な!」「おらたちに粟とひえ食って暮らせというだか!?」

「緊急事態過ぎるんですけどー!?」「敗走せよ、敗走せよ!」

「武器を捨てて投降あるのみ!」「1人でも多く生き残れ―!」


 そんな燦々たる悲鳴をあげながら、彼らが向かう先はこぞって、ククルゥが手元で広げている本の見開きだった。出てきたときもそうだが、いったい何がどういう仕掛けになっているのか。ナオタは目を見張る。彼らはそこへ向かって次々とダイブし、チャポチャポと水音と波紋を残してはページのなかに消えていくのである。


「はいはーい、その調子ですよー。最後の1人は誰でしょうねー?」


 またククルゥも慣れたものなのか、そんな掛け声とともに焦らすように少しずつ本を閉じていけば、小人たちの足はさらに早まり、みるみるうちにその数を減らしていった。


 そうして、最後の一人。自身に括り付けた大量の風船を外すのに手間取った小人が、窮地に駆けつけたブルーインパルスとともに寸でのところでページの隙間へと滑り込む。それで、おしまいだった。


 ほぼ同時にパタンと本が閉じられて、気づけばつい今しがたまで展開されていたはずのドンチャン騒ぎはその形跡も残さず、嘘のように消え去っている。あれだけいた小人たちとともに、もはや跡形もなくなっていた。ともすれば、必然――。


「というわけで、今のがその友人たちです。お騒がせしました」


 部屋に残されたのも元通り、ククルゥとナオタの2人だけだった。そうして盤面が振り出しに戻ったところで、ようやくナオタの答え合わせは成る。自分が見落とし、ククルゥが友人と称したあれらがなんだったのか。その存在値に、もっとも近しい言葉があるとすれば。


「ちっ、使い魔か……!」

「そんなに高尚なものではありませんけどね」


 忌々しげに吐き捨てたナオタに、見下ろすククルゥは冷ややかに告げる。


「この子たちは精霊です。すみませんね。こう見えて精霊術師なんですよ、私」

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