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1-7.ここから始まる冒険譚


「――わっ!」


 驚いて振り返ろうとしたところ、耳元にしーっと囁かれた。

 いったい何が起きたのかと思えば。


「大丈夫です、私ですよ。ナオさん」


 その声と、窓ガラスにうっすら映り込んだ自分の姿を見て、ナオタは答え合わせをする。ククルゥだ。いつの間にか帰ってきていたらしい彼女が後ろに立ち、背後から両腕を回すようにして自分を抱きしめていたのである。


 すなわち、ナオタはいまククルゥからバックハグを受けている状態だった。瞬間、ドックンと心臓が跳ね上がる。身体が硬直し、頭も真っ白。今しがた考えていたことも全部、一瞬で吹っ飛んでしまっていた。


 なにせ、初めてのことだった。こんな息もかかるほどの間近に異性がいて、しかも抱きしめられることなんて。しかも、いい匂いがした。シャンプーなのか化粧品なのかはわからないけれど、とにかくいい匂いが。おまけに背中に2か所ほど、ちょっと柔らかいものが当たっている感触がある。


「あ、わわっ!」


 あまりに多すぎる「初めて」の情報量に、ナオタの頭は一瞬でパンク寸前まで追い込まれてしまっていた。


「な、なんだ……ククルゥか。もう帰ってきてたんだね。どうしたんだい、いきなり?」


 しどろもどろになりながら、どうにか平静を取り繕って尋ねる。ひとまずはいったん向き直ろうとしたところで、それを阻んだのがククルゥだった。あろうことかナオタの身体をさらに引き寄せ、ハグを強めたのである。


「ダメですよ、ナオさん。そのまま前を向いていてください。今から、健康チェックを始めますので」

「け、健康チェック……?」

「はい。ですから、動かないでくださいね。呼吸を楽にして」


 するとナオタの背中に触れていた感触が変化する。肩の上から回していた両腕を、そっと下からに切り替えて。どうやらククルゥはナオタの背中に耳をあて、その心臓の鼓動を確かめているようだった。


 気づけば窓から見える街並みは、綺麗な夕暮れに差し掛かってきている。沈んでいく太陽を見送りながら、ナオタはそのやけに長く感じられる聴診が終わるのをただじっと待っていた。


 まるでもう二度と放しはしないと、そう訴えるように。ククルゥの手が、指先が、ナオタの胸元を隅々まで撫で付け、また這わせていくのを感じながら。やがて届いたのは、ほぅと安堵の息遣いだった。


「よかった、大丈夫そうですね。まだ少し早いですが、鼓動は安定しているようです」

「あ、あぁ。そうかい? それならよかったよ」


 たぶん鼓動が早かったのは、また別の理由だとは思うが。


「はい、よかったです。本当に、よかった……」


 よほど心配だったのか、噛み締めるようにそう繰り返した後、背中の感触は消え去った。終わってしまったことを口惜しくも思いながら、肩の力を抜く。そうして振り返ろうとしたところで。


「まだですよ」


と、再びそれを阻んだのはククルゥだった。


「ちょっと、こちらの方も確かめさせていただきたくですね」

「えっ?」

「ほら、こっちの方ですよ~」


 するとそんな意味深な発言とともに、ナオタの胸もとにあったククルゥの手が、まるで上半身を丁寧に撫でつけるようにしながら、スルスルと下半身に向かって降りてくるではないか。


「ええっ、ちょっ……!?」

「ダメですよ、動いちゃ」


 その目指す先がどこなのかをいち早く察し、反射で身じろいでしまうナオタである。なにせこの長時間にわたる密着と上半身への前戯で、そこは今ちょっとすごいことになっているのだ。だがそれも、ククルゥは楽しげに押さえ込んで。


「お邪魔しますね」


 そうして成す術もなく、ククルゥの手はたちまちナオタの履いているズボンのポケットの内側にスルリと滑り込み、納まってしまった。


「ひ、あっ……!」


 あまりの急展開に、思わず変な声を出しながら目を白黒させるナオタである。由々しき事態だった。だって今、まさに触れかかっているのだ。ポケットに侵入してきたククルゥの指先の感触が衣擦れとなって、しっかり届いてしまっている。


 薄い布を介しただけのほとんどダイレクトな刺激が、そう。ナオタの大事なところにまで。


 ともすれば、否が応でも反応してしまうものがあった。いや、もうとっくにしているのだけれど、よりいっそうムクムクと。


 あと少しで触れそうなのに、決して触れない。そんなククルゥの指さばきは絶妙で、際どいギリギリのラインを攻め立てるものだった。それこそあと少し気を抜いたら、そのまま果ててしまいそうになるまでの絶技で。


「じょ、上手だね……」

「え、何がでしょうか?」

「あぁ、いや。何でもないよ。続けてくれるかな、健康チェック」

「…………」


 慣れないなりに誉め言葉のつもりで言ったのだが、すぐに失態に気づいて訂正する。いけない、いけない。うっかり女の子に恥をかかせるところだった、と。


その詫びというわけではなかったが、ナオタは別の形で応えることにする。足をズラし、より大きく股を開いたのだ。するとモゾモゾしていた、ククルゥの手がふいに止められる。


「あの、ナオさん……?」

「うん、なんだい?」

「どうして今、脚を開いたのでしょうか?」

「え、だってその方が君もやりやすいだろう? 健康チェック」

「あー。なるほど……なるほどですね」


 そんなやり取りを経てグッと、ことさら大きく股を開くナオタである。それから腕を組んで目を閉じ、胸も反らした。もういい加減、頃合いだと思った。いつまでもオドオドしていないで、堂々と胸を張っていよう。


 なにせもう、自分はククルゥにとって主君とも呼ぶべき立場の人間なのだ。ともすればこの構図だって、何らおかしいことは無い。


 いやむしろ、さっきまでこっちからそうさせてやる気ですらいたのだ。それが向こうから仕掛けられたくらいで、何を及び腰になっているのか。


 そう。つまりはこれで、検証の手間が1つ省けたというだけのことである。もはや命令を下すまでもない。わざわざそんなことをせずとも向こうから擦り寄ってくるほどに、今のククルゥはすっかりナオタに心酔しているのだ。身も心も、完全にナオタの手中に落ちていた。


 そうしてナオタは改めて、この上ない実感を得る。自分が手にしたこの力はなんて有用で、夢のような権能なのかと。だんだん思考も冴えてきて、ナオタの脳内にはいつしか盛大なファンファーレが鳴り響いていた。


 ナオタは今や、確信していた。この能力は必ずや自分を、約束された栄えある未来に導いてくれるものだと。加えて、同じくらいの納得感も得ていた。いつかこんな展開が訪れるのではないかと、ずっとどこかに予感は覚えていたのだ。


 結論、それは正しかったというわけだ。だってつまりは、こういうことだったわけなのだから。これでようやく、長年の疑問は晴らされた。やっぱり自分はこうなる星のもとに生まれてきた、特別な存在だったのだと。


 それはナオタがこれまでずっと抱えてきた苦悩が、モヤモヤが、ある種のカタルシスをもって氷解した瞬間だった。そんな万感の思いとともに、心の中でガッツポーズをする。そうして夕陽に向かって大股を開いた体勢のまま、ナオタはまだ見ぬ未来に想いを馳せた。


 それは今しがたまたもククルゥに中断されてしまった、ナオタが思い描くこの先の未来予想図である。だって、この能力があればなんだって思いのままだ。


 美女も、野獣も、王族も、たとえそれが神の手勢だったとしても、たったひと睨みをくれてやるだけで軒並みナオタの下僕にくだる。異世界ハーレムなんて目じゃない。遠からず、この世界の全土を統べることになるだろう、覇王たる存在こそが自分なのだ。


 ともすれば未来は、見るも鮮やかなバラ色に染まりきっていた。そうだ、どこぞの「開き直った」なんてもういない。あんなクソみたいにつまらない人生とは、もうオサラバだ。


 ――そう、今ここから始まるのだ。

 新しく生まれ変わったこの僕、ナオの冒険譚が!!!

 ワーッハッハッハッハ!!!


 心の中でナオタは盛大に高笑いをしていた。なればこそ、次のククルゥの言葉が意外なものとなる。


「あっでも、もう大丈夫ですよ。終りましたから、健康チェック」

「えっ?」


 ふいにそんなことを言われたものだから、思わず聞き返す。気づけばククルゥはナオタのポケットをまさぐることをやめていた。その死角となる真後ろに鎮座し、にっこり笑顔を浮かべて彼を見上げていて。


 しかし、そうとはまったく気づかれていないのをいいことに、ククルゥはマイペースに続ける。


「でもまぁ、せっかくなので足はそのまま開いておきましょうか。その方が狙いやすいですしね」

「狙いやすい? うん……? ククルゥ、さっきからいったい何の話を……?」

「というわけで、そろそろ痛い目見ておきましょうか。やっちゃってください、隊長さん」

「はいなー!」


 瞬間、ズガンと下から凄まじい衝撃に見舞われる。何かがナオタの金的を、ものの見事なまでに打ち抜いて――。




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