1-6.Rest Room
それからほどなくして――。
「さぁ、どうぞ! こちらです、ナオさん!」
ククルゥに肩を貸されつつナオタがやってきたのは、近くにあったとあるホテルの一室である。聞けばどうやら、ここはククルゥがあらかじめ今晩のために用意してあった宿とのことらしい。
神様のギルドとやらの一員である彼女は、任務のために各地を回るので、こうして日ごと、街ごとで宿を渡り歩くのが常なのだそうだ。言い換えればそれは、偶然にもこの近くでククルゥの家族や友人に鉢合わせてしまう可能性が低いことを意味していて――。ナオタにとっても、実に好都合なことだった。
そして入ってすぐ目に止まったのは、部屋の片隅に置いてある、シーツのシワまできれいに伸ばされたシングルベッドである。なぜか異様なまでの存在感を放っているそれから、ほとんど目を離すことができないまま、ナオタはゴクリと生唾を飲み込んで。
「下ろしますね」
そんなククルゥの介助も受けつつ、ようやくナオタはそのサイドに腰を落ち着けられた。襟元を緩め、ふぅと息をつく。まだ1人では足元のおぼつかないナオタでは、その移動もやっとのことだった。
「お疲れ様でした。ちょっとここで休んでいてくれますか? お水を買ってきますね」
「ああ、ありがとう。助かるよ」
「はい、待っていてくださいね! すぐに戻ってきますから!」
笑顔でそう言うと、ククルゥは行ってしまった。バタンと扉が閉じられ、タッタと足音が遠ざかる。呆気にとられたように目をパチパチと瞬かせながら、それを見送ること数秒。
「……あれ?」
1人室内に取り残されたナオタは、ベッドに腰掛けたままクリンと首をかしげていた。
「なんか今、ちょっと可愛かった……?」
腕を組み、ハテと天井を見上げながらそんな自問を口にする。いやまぁ、冷静に考えてみれば決して悪い方でもないのだ、ククルゥだって。
顔立ちは普通に整っている方だし、どちらかと言えばスレンダーよりな体型からは女性的な起伏もしっかりと伺える。思い描いたパーフェクトボディーにはほど遠くても、何かと平均値くらいには届いているだろう。
あの桜色のロングヘアだって、嫌いではない。欲を言えば腰に届くくらいまでの長さが欲しかったが、ちゃんと手入れも行き届いているようだし、サラサラしていて綺麗なので合格とする。
そう、見てくれは決して悪くないのだ。さすがにメインヒロインまでは厳しくても、サブヒロインが務まるくらいの見かけ水準であれば、ククルゥは十分に達していると言えた。素材としては悪くない。
では、後は何が足らないというのか。
その答えを、ナオタはすでに知っていた。
ヒロインを名乗る者には欠かせない、それは絶対の素養。
すなわち、包容力である。
包容力こそククルゥに致命的に欠けているものだった。あるいは母性とも言い換えられるかもしれないそれが、残念なことにあれからは微塵も感じられないのだ。なにせククルゥに対するナオタの印象は、出会いがしらからすでに最悪である。
耳元で、いきなり大声を張り上げられ、この世界に来て最初に話しかけてきた異世界人のくせにチュートリアルとしての役割も何一つとして果たさず、挙句には仕事に対する愚痴をあらん限りぶちまけたうえ、もとの世界に強制送還されかかる始末である。
いま思い返しても、あのときは本当に恐ろしかった。何を言ってもガンとして聞く耳を持とうとしないククルゥは、あのときのナオタにとってはそれこそ閻魔か魔王のような存在にも等しくて。
もしあのままナオタが何の力にも目覚めなければ、今ごろどうなっていたのか。そんなのは考えたくもなかった。だからナオタとってククルゥは、もはや包容力だとか母性がどうだとか言ってられる次元にないのだ。
この世界に来てからものの五分でしかと刻みつけられた、れっきとしたトラウマの対象である。大人しそうな外見をしているくせに、中身はとんだジャジャウマ。お淑やかさや奥ゆかしさなんてものは欠片も持ち合わせてはいない。
この短い付き合いのなかでそれが、ナオタがククルゥに下した総評だった。
――だが。だからこそ、今のは意表を突かれた。あのククルゥがあんなに笑いかけて、「ちょっと待っていてくださいね!」だなんて。不覚にもまるで、子犬を見ているかのような愛らしさを覚えてしまったほどだ。そこで今一度、ナオタは思い返してみることにする。
確かに第一印象こそひどいものだが、洗脳が成功してからというものはどうだろう。いくらかマシになったとは思うのだ。少なくとも今のククルゥは従順だし、少なからず自分に好意を抱いていることも、すでに口頭で確認済みのことである。
それに何より、今のククルゥがナオタと接するときの態度からは、尊敬や畏敬の念がよく滲んでいた。反動で身動きの取れないナオタへのサポートも、実に献身的で配慮の行き届いたものだったし。
『――僕の友達になってくれないかなぁ!?』
そういえば、そうだ。あのときは咄嗟に友達と言ってしまったが、実際の関係はそれ以上に親しいものとなっているようなのである。どちらかと言えばたぶん、上司と部下の関係といった方が近そうだった。しかも、恋愛感情付きの。
「にひっ」
そこまで考えたところで、ナオタは表情筋をいっぱいに駆使した笑みを吊り上げる。思慕と、尊敬の眼差し。そのどちらもがまったく、ナオタが異性から向けられることを願って止まない理想のものだったからだ。
それに加え、今しがた見せた、あの花の咲くような笑顔である。はっきり言って、今のはかなり可愛かった。何より健気だった。もし妹がいたらこんな感じが良いと、かねてよりナオタが抱いていた理想の妹像が、あるいは完璧に再現されていたかもしれない。
しかもさらに面白いのは、それら振る舞いを向けてきているのが、ついさっきまで畏怖の対象だったククルゥであるという他ならぬ事実である。暗示をかける前と後でのギャップをよく知っているからこそ、支配している感じがたまらなかった。この欣快さといったらない。
「くぅ~!」
グッと身体を伸ばすついでに喉を鳴らし、ナオタはそのまま大の字となってベッドに倒れ込む。最高の気分だった。だってあのククルゥでさえ、たったのひと睨みでこれなのだ。健気な妹キャラに大変身である。
ともすれば、この先ナオタのまえにどんな権力者や美少女が現れたとしても、軒並み意のまま、思いのままに操れるということではないか。仮に、それがまた神の差し向けてきた手勢だったとしても、恐れることはない。
ククルゥを使えば何とか出し抜くことは可能だろうし、それどころかさらに上手くすれば、こちらの手駒を増やすことだってできるかもしれないときている。
「はは……あははっ!」
思わず笑いがこみあげた。完璧だ。
こんなの非の打ちどころがないではないか。
向かうところ敵なしだった。
だが――。
そこで一度冷静となり、ナオタは考えを打ち切る。
油断は禁物だった。
なにせまだ、この能力の全容はほとんど明らかになっていないのだから。恐らくは精神操作系か、記憶や認識を上書ける力といったところだろうが。とりわけ気になるのは、この力を使った後の反動の方だった。
今でこそようやく落ち着いてきてはいるが、力を使った直後のナオタは、それこそ一時は自力で立ち上がることもできないまでの激しい疲弊感に襲われている。これほど有用で強力なスキルなのだから、それもある程度は仕方がないことだろう。
でもきっと、まだ何かあるはずなのだ。まだナオタが気づいていない、この能力に隠された大きなリスクが。それをなんとか、今夜までに見極めるのである。
本音を言えば、今日はもうゆっくり休みたい。何せまだ異世界に来てから半刻と少しだというのに、能力を開花させ、ククルゥを飼いならし、こうして寝食まで確保したのだ。初日としては、もう充分すぎるほどの収穫を得ている。
だが、こればかりは先送りにすることはできなかった。さもなくば次にまたピンチに陥ったときに、対処を誤るかもしれないからだ。ゆくゆくも含めれば、この能力について検証すべき事は山ほどある。
能力の持続時間、人数制限、それに伴うリスクや解除方法、効き目に個人差はあるのか。さすがに今夜だけですべてを確かめることは難しいかもしれない。でもまぁ、そこは頑張るとしようではないか。
だってその中には、今夜のメインイベント――ナオタにとって何よりの「お楽しみ」も含まれているのだから。――そう、ナオタが下した命令に、ククルゥがいったいどこまで従順に従うのかである。
一口に命令といっても、その系統は様々だ。踊れと言ったら踊るのか、眠れと言ったら眠るのか。たとえば記憶や経験にないことを、それでもやれと言ったらできるのか。そして究極、死ねと命令したなら、本当にその場で命を絶つのか。真面目にやるなら、その辺りもゆくゆくは観点に含めていくべきだろう。
だが――。
ムフリと、そこでナオタは満面の笑みを釣り上げる。そんなのは、いずれでいいのだ。もっとずっと後回しのことだった。だって差し当たって手をつけるべきは、もっと手近で実用的な部分なのだから。
なにせ年頃の女を、自分の意のままに操れるというのである。こんなに楽しみな検証はなかった。今夜一晩をかけてでも、その辺りの仕様はじっくりと確かめていくとしようではないか。
あぁ、本当に今から楽しみでならない。ククルゥのあの様子なら、きっと最後までだって余裕だろう。すなわち今宵がナオタの、いわゆる卒業記念日となるわけだ。先刻、恐怖のどん底に突き落としてくれた礼も込めて、たっぷりと可愛がってやろうではないか。
たちまちナオタの脳内には、ククルゥを素材としたマニアックな想像が広がっていく。あのツッケンドンだったククルゥが果たして、今夜どんな声で鳴くのか。どんな顔してナオタを求めるのか、今から想像してみるだけでも楽しかった。
「今夜は楽しくなりそうだなぁ」
そんなことを考えているうちにいつしか、足腰も少しは立つようになっていて。見ればまだ、ククルゥが帰ってきそうな様子もない。
「よっと」
足で反動をつけてベッドから立ち上がると、ナオタが向かったのは部屋の奥の窓側だ。さすがに神の息がかかっているというだけあって資金事情も潤沢なのか、そこに広がっていたのは全面窓から望めるスイートルームさながらな街の眺めである。
それは、今のナオタの心持ちにも正しくピッタリな見晴らしと展望だった。そしてナオタは、ようやくと実感を得る。ついに自分は、やったのだと。
夢にまで見た異世界に、本当に来てしまったのだと。
もろもろトラブルはあったが、それらもすべて退けた。
だからついに、ここから始まるのだ。
平木直太の異世界冒険譚が、今この場所から。
そう考えるともう、居ても立ってもいられなかった。
それからまたナオタの脳内に展開されたのは、先刻ククルゥに出会う直前まで思い描いていた、この後に辿ることになるストーリーの炊き直しである。だが、まったく同じではない。得た能力が能力なだけに、その未来予想図はさらなる拡大を見せていた。
さて、さしあたって明日はどうするか。まぁ冒険者ギルドあたりを尋ねるのが順当だろう。あるはずだ。だってさっき街で、あからさまにそういう格好した連中を見かけたのだから。待てよ……? そういえばこの能力は人間だけに通じるものなのか? あるいは魔獣とかにも通じるのではないか。だとすれば……よし、そこもゆくゆくは確かめることにしよう。それからメインヒロインも、ちゃんとしたのを探さなければ。待っていても主人公補正でそのうち向こうから来るのだろうが。そうだ、いっそ王女なんかを狙ってみるのはどうだろう? 可能なはずだ。この能力があれば、そんな大それたことだって。いやそれどころか、いっそ自分が王になることだって……。なんてことだ。そうなればいずれ、この世界のすべてが自分のものに……!
ブツブツと独り言を唱えながらナオタは一人、そんな思索に耽っていた。ゆえに、ナオタはまたも意表を突かれることとなる。
トン、と。
そんな柔らかな感触とともに、そっと優しい温もりがナオタを包み込んで――。




