5-11.第三者
それが遡ることおよそひと月ほどまえの事となる、勇者クラリスの興りである。
差し伸べられた手の温かみをよく覚えていたからこそ、いつか自分もそうなれる人間になりたい。――いつか自分も、あの人のように。そんな信念を持って踏み出した、決意の一歩だった。意欲と向上心に溢れていた。
だが実のところ、その先に待ち受けていた出会いの数々はまぁ、及びも付かないことの連続である。
『おー、お主がクラリスか! 待っておったぞ!』
まずウィレクに連れられ、初顔合わせを果たした一番偉い神であるというノアは見下ろすほどにちんまい子どもだった。
上司を紹介するぞと言われたので付いて行ってみれば。『レインだ、よろしく頼む』出てきたのは車椅子に腰かけたこれまた年少の女の子。交わした小さな握手も子ども体温で実に温かいではないか。
しかも――。これは何の冗談かと振り返ったとき、すでにそこにウィレクの姿はない。逃げていた。当惑する間もなく、さっそく始められた力の制御訓練とやらにはまた別の子どもが宛がわれて、さすがにもういい加減にしてくれと抗議しかけたのだが。
『わーっはっはっは! 覚悟するのだぞ新入り、このイルル様がおまえの遊び相手になってやるのだー!』
遊びだなんて、とんでもない。命がいくつあっても足らない目に散々合わされ、改めて彼らがウィレクと同質の力の持ち主――勇者であることをまざまざと思い知らされる。
それからはかくれんぼやら鬼ごっこやら、訓練と称した命がけの戯れに延々と付き合わされる日々の始まりだ。おかげで度胸だけは人一倍身に付いたように思われる、そんな激動の1か月間だった。
そんななか不覚にも触れてしまった神器、リガリオンの力であらぬ土地に飛ばされてしまったのが今朝がたのことになる。ひとまずは救援を待つ判断で、その場に留まっていたのだが。
リンと耳の奥に響くような鈴なり、それをクラリスが聞きつけたのがそのときである。クラリスは知っている。自分の持つこの力が人の嘆きや悲しみ、悪意といった負の感情こそ敏感に聞きつけてしまうことを。
今のが恐らくはその後者、見過ごせないほどに凶悪な害意であることも経験から知覚していた。ともすれば、自分の取るべき行動は1つしかなかった。
そうして、時点は今へと戻ってくるわけだ。
トンと静かな靴音とともに着地した先、薄暗い廃屋に1人の男が居座っている。彼が何者で、なぜこんな場所に1人でいるのかは知れないが。
「――ちゃんと来てくれて良かったぜ」
相手がすでに、こちらに対して友好的な感情を何1つ抱いていないことだけは確かだった。男の醸す見るからに険呑な雰囲気と、野獣的な気配からもそれは十分に察せられることではある。
だがより確かな根拠を、クラリスはその心眼の力をもってして見定めていた。まるで恰好の獲物をまえにした猛獣のような、それだけギラついた瞳でこちらを睨め付けてくれるなら、いくらだって読み取れるというものだ。
男のなかに渦巻く悪意と邪念、そしてこちらに対するあらん限りの敵意も。極めつけはいくつも浮かんでくる感情のどこを探しても、こちらに対する憎悪が一切伺えないことである。
ともすれば、もはや疑いの余地はなかった。あれは決して野放しにしてはならない、ただ他者への悪意と害意に満ち満ちた凶漢であると。まだ顔を合わせて数秒の間柄ではあるが即時にそう断定し、臨戦態勢へと入るクラリスだった。
一方で――。
「はっ、さっそくやる気満々みたいで助かるぜ」
一丁前に構えなどを取ったクラリスに、獰猛な笑みを吊りあげながら歓迎の意を示したのは男の方である。重い腰を起こしてのっそりと立ち上がり、踏み出した靴底がカンと足元の鉄材を踏み鳴らした。
そのままゆっくり、クマのような巨体を揺らしながら一歩ずつ距離を詰めていく。もういい加減、待ちくたびれていたところだったのだ。それがこの後に及んで、自己紹介から始められたのではたまらない。
下手すればそのまま、勢い余ってくびり殺してしまっていただろう。その点、相手も最初からその気でいてくれたことは素直に大助りである。
だが一方で、気に入らなかった。一歩、歩みを進めるごとにふつふつと苛立ちがこみ上げてくる。使徒だの言われたからどんなのが来るかと楽しみにしていたら、なんだこれは。女じゃないか。
しかも実にしょんべん臭そうなガキだ。それこそ一発ぶちかましただけでバラバラに砕けてしまうのではないかと、たまらずそんな不安を覚えるほどのチンチクリンで。
――これが使徒だと……?
品定めをすればするほど、こみ上げてくるのは疑念と憤懣ばかりだった。違うのだ。自分が求めていたのは、こんな見るからにひ弱そうな相手ではない。もっと殴りがいがあって、噛み応えのありそうな。とにかくもっと骨のある獲物との闘争、命の取り合いを楽しめるとずっと期待していたのに。
その結果がこれでは、あまりにおざなりではないか。募る苛立ちはたちまち憤懣へと変わり、ペッと男は唾を吐き捨てる。あぁ実に下らない、期待していた自分がバカだった。
これではおちおち本気も出せなそうだと、これから始まる時間にひどい緩慢さを覚えながら。故にクラリスの正面に立ち、ゴキゴキと拳と頸椎を鳴らしながら、男は祈るばかりだった。
「頼むからよぉ、少しは俺を楽しませてくれ。一発で壊れてくれるなよぉ!?」
その拳が、向かってクラリスの正面から振りかざされて――。
◇
ところでの話になるが――。
示し合わせたようにその場に会同し、今にも切って落とされようとしている勇者と異世界人の戦いの火蓋である。張り詰めた空気感の漂うそこはすでに二者だけの闘争の舞台で、恐らくは当人たちもその認識でいることだろう。
だが実のところ、そうではなかった。もう1人だけいたのだ。その場に居合わせながら、ずっと隠れていた第三者が――。それすなわち一色触発の雰囲気で対峙している両者の傍ら、積まれた鉄材の後ろである。
(おお……おおっ……⁉)
その裏側に張り付き、目を見張っているククルゥの姿がそこにあった。なしてこんな展開になっているのかと、心の中で大いにオヨオヨしながら。
クラリスを探してこいと強制転移させられ、何処とも知れない空の下に投げ出された、あの後のことになる。
『まったくあの子ったら、いったいどこをほっつき歩いているのやら』
こうなっては致し方なしと本を開き、ひとまずとククルゥが呼び出したのはこの手のプロ集団である妖兵部隊だった。
『へい、そういうことならお手のもんでさぁ!』
お頭さんの号令とともにその配下たちが方々に散っていく。さてあとは発見の報告を待つばかりと、ゆるりピクニックモードにシフトしようとしたそのときである。
「およ?」
胸元のロケットが輝き、そこから揺蕩う光の帯とともにシアが現れたのは。ククルゥは知っている。声を発することができず、何かと控え目な性格の彼女がこうして自分から姿を現すのは、相応に有事のときだけであることを。それを示すように表情もどこか不安げなものに伺えた。
「どうかしたのですか?」
ククルゥの問いかけにすかさず、自分の胸に両手を添え、何かを懸命に伝えようとする彼女である。何か嫌な感じがすると、それは主に危険を報せようとするシアからのサインだった。
そして、迎えたこの状況である。シアの示唆する方向へと赴き、先に異世界人と思しき男を発見したのはククルゥだった。なぜこんなところに異世界人がいるのかと、そう訝しみながらも少し様子を見ることにする。
ところがどっこい、そこに現れたのがなんと探していたクラリスで。ちょっと訳が分からなかった。なぜ彼女がこのタイミングで出張ってくるのかは元より、相手が何者かまでちゃんと理解しているのかも含めて。
とりあえず既に相当バチバチしているので、だまし討ちなどに合う心配までは要らなそうだが。
「ごくり、険呑な雰囲気・・」
そんなノームさん実況はスルーしつつ、ハラハラしながら状況を注視するククルゥだった。勇者といってもクラリスはまだペーペーのド新米だ。
神の力を得たといっても使いこなすには相応の時間がかかるし、中にはまったく戦闘向きでない者もいる。当人の戦闘力が清々しいまでのゼロである自分などが良い例だ。
その点クラリスはどうなのか、実はまだよく知らされていなかった。ただイルルの遊び相手は務まっていたそうなので、それなりに耐久力もあるとは思うのだが……。
「姫たま、あれちょっとまずくない? 助太刀マンになった方がいいんじゃ・・?」
ノームさんからそんな打診もされたが、このとき既にククルゥは計算していた。どんな展開になったらこの先、自分にとって最もおいしくなるかと。
つまるところ、これはチャンスだ。
クラリスは新米勇者で、異世界人への対処もこれが初めて。
その危険性もまだきちんと理解できてはいないはず。ともすればこの戦い、クラリスが苦境に立たされる可能性は大いに高いだろう。
だったらククルゥの取るべき選択は1つだ。
このまましばらくは見守りに徹するのである。
そうして絶体絶命のピンチに陥った頃合いを見計らって、颯爽と姿を現すのだ。
『まったく、世話の焼ける後輩ですね』
腰を抜かし泣きべそをかいているクラリスの前に立ち、そんな感じの決めゼリフとともに。我ながらイケてる演出だった。そんな光景を目に焼き付けさせれば、あの何かにつけてツッケンドンな娘も態度を改めるに違いない。
ついでに先日のやらかしも拭えると寸法だ。
よしとそんな目論見を立ててから、ククルゥは答える。
「いえ、異世界人の対処なんてそうあることではありませんからね。あの子にとっても貴重な機会ですから、それを奪ってはなりません」
人差し指を立てながら、もっともらしく。
「ここはギリギリまで様子を見ましょう!」




