5-6.仕切り直し
うわぁ、なんか変なのいる……。
とはその対面を果たした瞬間における、クラリスの実直な心の声だった。自宅のまえ、階段を少し降りたところにはなだらかな牧草地が広がっているのだが。柔らかな緑の景観のなかにぽつねんと1つ、黒い人影が居座っているのである。
年齢はたぶん、自分より一回りほど上くらいだろうか。普段からあまり手入れもしていないのか、あるいは生まれつきそういう毛質なのか。癖のある黒髪は伸び放題で、まとまりなくあちこちに跳ねている。
そんな男がやけに強張ったニヘっと笑顔で、「よっ」とかなり距離を置いたところから挨拶をかけてきていた。頭の隣で諸手をあげながら肩を竦め、まるで追い詰められて降参する小悪党か何かのように。
「……はい?」
そんな不可解な出会いがしらを経て、大いに呆気に取られてから首を傾げるクラリスだった。見晴らしの良い辺りを見渡しても、ほかに誰かいる様子もない。つまりこの男がノックの主と見て間違いなさそうなのだが。
はて。
彼はいったい何者で、そこで何をしているのだろうかと。
「悪ぃな、いきなりこんな朝っぱらから。できればもう少しいい時間を狙って来たかったんだが、前の用事が思ったより早く片付いちまってよ。一応、怪しい者じゃないからそこは安心してもらうとしてだ」
そんな釈明もしてくるけれど、身の安全なんて微塵も感じられなくて。警戒を緩めることなく、隙なくクワを構えたまま質すクラリスだった。
「あの、とりあえずあなたは誰で、そこで何をしてるんですか?」
「あぁそうだな、初対面なんだからまずそこから始めるのが常識だ。俺はウィレク。何してるかって言われると難しいところだが、まぁリスクヘッジってところだ」
「リスクヘッジ……?」
「いや、だってよ。ドアを開けていきなり知らない男が立ってたりしたらビビるだろ。それでキャーって尻餅ついてくれるんならカワイイもんだが、あんたの場合は逆に突進かけてきそうだったんでな。それも丸腰なら優しく抱きとめてやれるんだが……そんなに大きなフォーク付きとあっちゃ考えものだ。やっぱ世の中、無駄な血が流れない方が平和だと思うんだわ。我ながらナイス判断だったろ」
相変わらず諸手をあげ、ゆるゆると首を振りながらウィレクと名乗った男はそんな弁明を口にする。
「ついでに言われる前から手まであげとく献身ぶりだぜ、気が利いてるだろ。そんなつもりはないんだが、どうも昔から人に疑われやすいタチみたいでな。まぁこういう扱いも慣れてるから、後から負い目とか感じても気にしなくていいぞ。構えてんのが鉄砲じゃなかっただけ、あんたはまだマシな方ってもんだ」
聞いてもないそんなことまで、グダグダと言い訳のように言い連ねるウィレクだった。そのあいだ、ただじっと彼を見つめ、目を離さずにいたクラリスである。彼の言っていることの真偽を、害意がないかどうかを、その生まれ持った心眼をもって見極めるために。
して、その結果は――。
「とかなんとか色々アピールしたところで思うところはあるんだろうが、まぁそんな俺の健気さに免じてだな。とりあえず話だけでも」
「なんだか知りませんけど、帰ってください。この牧場のオーナーは今週いっぱい不在ですし、私も仕事がありますので」
「いや、用事があるのはあんたの方で」
「失礼します」
にこやかなウィレクの勧誘を遮り、パタンと扉を閉めるクラリスだった。
「…………」
緑のなかにぽつねんと、居座るウィレクのもとにヒュウと冷たい風が吹き抜ける。相手がうら若い女の子とは事前に聞かされていたから、最善の努力を尽くしたというのに結果がこれだ。
初めてのことではないとはいえ、清々しいまでの門前払い。泣けてくる。
「聞いてくれねぇのかよー」
そのまま背中からキューと倒れ込んでダイノジ、晴れ渡る空に向かって抗議するのだった。
*
朝に珍妙な来客があった。それさえ除けば、その後のクラリスの1日はいたっていつも通りである。家畜たちへの給仕、畜舎の清掃、そういえばそろそろ季節の変わり目かと納屋から藁束を運んだりもして。
もう何年もずっと手伝ってきたから、その仕事ぶりは実にテキパキと無駄のないものだった。そんな珍客があったことなどもすっかり忘れかけていたときだ。
「んごー」
昼休憩に帰ってきたら、木陰で居眠りしているウィレクの姿を見つけた。まだいたのかと呆れる。オーナーが不在とは伝えたはずなのに、まだ何の要件があるというのか。だがここで情をかけたりすれば、それこそ相手の思うつぼだろう。
大体、こういうのは事前にアポくらいとっておくのがマナーだ。それをいきなり押しかけてきて、うまくいかなかったからと人の敷地内に居座るなんて非常識極まりない。みじめな姿をみせれば情を引けるとか、どうせそんな魂胆でいるのだろうが。
「ふん」
やはりここは毅然と対応するのが正解とそっぽを向き、迷わずスルーを決め込むクラリスだった。――だったのだが。
「信じてたぜ、あんたなら必ず戻ってきてくれるって」
「やっぱり帰ってもいいですか」
1つだけ無くもない要件があったことに思い至って仕方なく歩みよったところ、待ってましたとばかりにパチと片目を開けられて大いに白ける。
どうせそんなことだろうとは思っていたから驚きやしないが、その得意げなニヤケ面は見ていて良い気分のしないものだった。早くも辟易とし、悔やまれる。こうして足を向けてしまった判断が、果たして正しかったのかどうかと。
「まぁそう言うなって、せっかく来たんだ。何も出してやれねぇが、とりあえず座ってよ」
そうとも知らず、いつまでも軽い調子でちょいちょい手招きまでしているウィレクだった。たぶん正しくなかったのだろうなと見解を改めつつ、クラリスはさっさと要件だけ済ませることにする。
「長居する気はありません。ただこれを渡しにきただけです、どうぞ」
「……うん?」
そんな低温度な言葉とともに、手早く差し出されたのは一枚のメモ書きだ。雑にちぎられた紙面とクラリスの無関心そうな顔とを交互に見比べ、その意図を汲みきれずにウィレクが尋ねる。
「ええと、これは?」
「うちの連絡先です。ウィレクさん、でしたっけ。あなたが来たということは、オーナーが帰って来たら一応私からも伝えておこうと思います。あなたについては正直、人としてどうかと思うところもありますが、留守を預かっている以上は私の判断で追い払うわけにもいきませんので。念のため」
「おー。俺への辛辣な評価はさておき、そういうことか。なるほどなぁ」
「さぁこれで満足でしょう? 気が済んだなら今日はこれで手を打ってください。このまま遅くなっても泊めませんからね、絶対に」
「いや、そうじゃなくてよ。もしかしてあんた、さっき俺が言ったこと聞こえてなかったのか?」
「はい? 何のことです?」
「飛び込みのセールスマンか何かだと思ってる? 俺のこと」
「……違うんですか?」
「まじかぁ」
そこで根本的なすれ違いが発覚し、ワシワシと黒髪に手を入れるウィレクだった。いや何となくそんな予感はしていたのだが、まさか本当に聞こえていなかったとは。だが悔やんでも仕方ないと気を取り直し、改めて伝えることにする。
「だからな、俺はここのオーナーに用があって来たわけじゃねぇ。用があるのは、あんたにだよ」
「……え、私? なんで」
思ってもないことを聞かされてキョトンとし、目を瞬くクラリスに対し。
「こりゃ仕切り直しだな」
これだから嫌なのだと不遇にうだり、天を仰ぐウィレクだった。




