1-5.コントロール
「――え?」
ふいに手を引かれ、前のめりにバランスを崩させられたククルゥ。そこにタイミングを合わせて急接近したのは、空いた方の手で自分の前髪をたくし上げたナオタだった。
あと少しで、触れ合う。それほどまでに迫った至近から、互いの瞳に互いを映し合う。そして、ナオタは唱えた。ねっとりと絡み付く、まるで呪詛でも吐き捨てるかのような口付きで、その言霊を。
「僕の友達になってくれないかなぁ!?」
瞬間、ナオタの瞳に灯っていた仄暗い光がその強さを増し、まるで同調するかのように同じものがククルゥの瞳にも映り込んで。そうして時間が止まったかのような停滞のなか、互いを見つめ合うこと、数秒。
「あ、ぐっ……!」
崩れ落ちるように、先にその場に肩膝をついたのはナオタだった。
「ハァ、ハァ……ッ!」
激しく痛む右目を抑えながら、蹲るようにして肩での呼吸を繰り返す。動悸がひどく、顔を上げることさえもしんどかった。まるで全力疾走した直後のような尋常でない倦怠感が、全身に重たくのしかかっていて。
しかしそのなかで、ナオタは笑ってもいた。何が起きたのか、いましがた自分が何を思って、何をしたのか。分からない。分からないけれど、確信があった。清々しいまでの実感と、達成感に満ちていた。
――成功した、と。
「あれ? 私、どうして……?」
すると頭上から、そんなおぼつかない声がする。ナオタが目の前で頽れてもなお、たった今まで何ら反応を示さず、ただぼんやりとその場に佇んでいたククルゥだった。
だが、そんな不可解な空白に違和感を覚えたのも極わずかのことだ。なにせ目の前に、片膝をついて苦しげに喘いでいる、見知った人物を見つけたのだから。
「え、ナオさん……!? ちょ、どうしたんですか!?」
慌てて手を伸ばし、今にもつくばりそうなナオタの身体を支えにかかるククルゥである。瞬間、彼女は息を呑んだ。服の上からでもわかるほど、触れたナオタの身体が、異常なまでの熱を発していたからだ。かいている汗の量にしたって、尋常ではない。
「すごい熱……! ちょっと待っていてくださいね!」
ただごとではないのナオタの容体をすぐに見て取り、ククルゥが引き掴んだのは手持ちのショルダーバッグだ。気が気でないままその中に手を突っ込み、ガサゴソと慌ただしく漁り始める。
「常備薬程度ですが、解熱剤なら確か持っていたはずです! それを飲んだら、すぐに病院に――」
行きましょう、と言いかけたところで、その手が止まる。止められる。他でもない、ククルゥの手首を掴んで制止をかけていたのはナオタ自身だった。
「慌て、すぎだよ……ククルゥ。安心して、僕は大丈夫だから……」
「大丈夫って、全然そう見えないじゃないですか! すみません、私なんだか少しぼうっとしてたみたいで……! 何があったんですか!?」
「何もないさ。ちょっと息が苦しくなっただけだよ。それよりもっと大事なことが……」
「なに言ってるんですか!? ないですよ、ほかに大事なことなんて! やっぱり心配です、念のため病院に」
「聞いて、ククルゥ」
息も絶え絶えになりながらナオタからの諭すような呼びかけに、咄嗟に言葉を切るククルゥである。見れば表情に苦悶の色は浮かべつつも、ナオタは微笑んでもいた。
「本当に大丈夫だから、安心して。少し休んだら平気だから」
「でも……」
「だってほら。もう少し、落ち着いてきてるだろう?」
おどけたような手振りでそう言って、ナオタが指し示したのは自分自身だ。そこで一度、深く息を吸い込んで、さらに呼吸のリズムを整える。そんな様子を見て、ククルゥは思い直した。確かに少しずつではあるが、落ち着いてきてはいるようだと。
「……本当に、大丈夫なんですか?」
「あぁ、大丈夫だよ。悪かったね、心配をかけて」
「いえ……」
逡巡を挟みつつも、本人がそう言い張る以上はククルゥも諦めざるを得なかった。
「分りました。ナオさんが、そうおっしゃるのなら」
「うん、ありがとう」
「でも何かあったら、今度はすぐに言ってくださいね! 絶対ですよ!?」
「分かってるって」
再三に言い含め、これで話も一段落かと思われた矢先のこと。
「それで、いいかな? もっと大事なことがあってさ」
「あ、そうでした!」
何やら言い出しづらそうにしながら、ナオタからのそんな切り出しを受けてククルゥはハッとした。思い出したのだ。ナオタの身を案ずるあまり、蹴飛ばしたままになっていた話題があったことを。再び傾聴の姿勢をとり、ククルゥは尋ねる。
「なんですか、大事なことって」
「うん、実はね。君に1つ、確かめておきたいことがあるんだ」
「確かめたいこと?」
「そう、ちょっといきなりで、驚かれるかもなんだけどさ」
何のことかわからなそうに小首をかしげている。そんなククルゥを臆面もなく、まっすぐと見据えながらナオタは言った。
「今の君にとって、僕はどんな存在かな?」
「えっ!??」
瞬間、ククルゥの意識がぴょんと跳ねたつ。
明らかに取り乱した様子でアワアワと声高に訴えた。
「ちょっ、なに言ってるんですか!? しかも、ほんとにいきなりじゃないですか!」
「ごめん、ごめん。でもこれを確かめることが、今の僕にとっては何より大切なことなんだ」
「いや、大切なことって……! ええっ?!」
「だから頼むよ、ククルゥ」
テンパり、しどろもどろになりながら猛抗議をかけていたククルゥである。だがナオタからの、その最後の一押しでついに籠絡した。今にも泣き出しそうな顔で押し黙ること、数秒。ふいに視線を逸らして。
「それは……」
口元に手をやり、ゆっくりと呼気を吐き出すように、その告白を口にする。
「私にとってナオさんは、とても大切で、かけがえのない存在ですよ……」
緩ませた瞳をチラチラと揺らしながら、極限の周知に耳までを赤く染めて。それは先ほどまでのククルゥからではとても想像なんてつかないほどに、ウブな乙女の表情をしていた。
「へぇ、そうなんだ。ちなみにそれってどれぐらいなのかな?」
「ど、どれくらいって……。えっと、ですから、その……」
思わぬ追撃を受けて一度視線を逸らし、正座した足をモジモジと動かしては、また数量の沈黙を挟む。だが、やがて観念したようにククルゥは続けた。
「もうナオさんなしで生きていくなんて、とても考えられないくらい、です……」
その最後の一句は、今にも消え入りそうなほどに小さくか細いもので。あまりの気恥ずかしさに限界まで顔を伏せていたものだから、ククルゥは気づかなかった。一連の答えを聞き届けたナオタが、ニタァと口元を緩め、醜悪な笑みを浮かべていたことに。
「いいでしょうか、これで。正直に答えたつもりです」
「うん、十分だよ。ありがとう、ククルゥ」
もうこれ以上は勘弁してほしそうにシューシューと蒸気をあげている。そんなククルゥの、形のきれいな頭にポンと手をやり、笑顔で答えながらナオタは裏での思索を巡らせていた。
つまるところこれが、自分がこの世界に来て獲得したスキルなのだろうと。おそらくは、相手に自分の認識を上書きする能力といったところか。すると気になるのは、なぜこの土壇場で使ったこともないその力を、いきなり引き出せたのかだが。
しかもあの瞬間、ナオタの身体は反射のように、ほとんど意識することもなく勝手に動いていた。まるで最初からそのやり方を知っていたかのように。
いったい、どうして……?
右目に手をやりながら、神妙な面持ちとなって考え込む。
しかしその答えも、すぐに当たりはついてしまった。
簡単なことだ。なにせ窮地に追い込まれて新たな能力に目覚めるだなんて、そんなのは主人公によくある典型パターンなのだから。
「ナオさん、どうかしました?」
「え? あぁ、なんでもないよ。ちょっと考え事はしてたけど、それも今、晴れたからさ」
「そうですか?」
心配そうに顔を覗き込んでくるククルゥに、ナオタは手を振って応える。本当に、笑いをこらえるのが大変だった。
「さて、そうと分かったら」
するとそんな仕切りとともに、膝にぐっと力を込めて立ち上がろうとするナオタである。だが途端によろめき、驚いたククルゥに慌てて下から支えられた。
「ちょ、ナオさん! ダメですよ、そんないきなり立ち上がろうとしたら! まだ休んでないと!」
それで、ナオタはようやく気づいた。肩を貸してもらわなければ満足に立つこともできない、それほどまでに疲弊している自分の有り様に。つまりはこれが、力を行使した代償というやつなのだろう。
何かと使い勝手の良さそうな能力ではある。だが相応に、反動も大きいというあたりはよくよく理解しておく必要がありそうだった。
「あぁ、そうだね。確かに、少し疲れているみたいだ。君の言う通り、どこかでしっかり休憩を取ったほうがよさそうだ」
――しかし、だ。
だからといって、我慢なんてできない。できるわけがない。何せそれほどまでに、次に控えるイベントがより一層、楽しみになってしまったのだから。
あぁ、本当に楽しみだ。
こんなに楽しめる能力が、ほかにあるだろうか。
まったく、自分はなんて良いものを引き当ててしまったのだろう。
たちまち、ナオタの脳内を暗い想像力が満たしていく。
しかし彼は、それを微塵も表情には出さずにククルゥに言った。
「そういうわけだからさ、ククルゥ」
そう。
能力が分かった以上、次にやるべきことなんて決まっている。
決まりきっている。
さぁ、お待ちかね。
さっそく始めていくとしようではないか。
「この辺りにどこか、ゆっくり休める場所はないかな?」
――能力の検証だ。




