4-7.災禍
「じゃあそういうことだから、何かあったらまた来るよ! 昨日は驚かせちゃってごめんね! 神様のことよろしくねー!」
そんな挨拶とともに笑顔で手を振り、出会った翌日にはもう旅立ってしまった彼らである。とりあえず危険な生き物ではないから大丈夫とだけ、ギルドマスターを含めた街の主要人物たちに伝えられた形だ。
意外だったのは、一同の反応がまったく寝耳に水といった様子でもなさそうだったこと。少なくとも父親は、自らを全能神と勇者の一行と名乗った彼らを深く疑ぐってはいないようだった。
「なぁ、もしかして親父は知ってたのか? あいつらのこと」
「神と勇者の存在か? そうだな、先代のときにも同じようなことがあった。お前も知っているな。十数年前、この街に『災禍』と呼ばれる脅威が襲来したことを」
「……まぁ、そりゃあ?」
自分が生まれるより前のことらしいので他人にはなってしまうが、それはこの街の者なら誰だって知っていることだ。かつてこの街に現れたそれが侵攻し、街のすぐ近くまで壊滅的な被害をもたらしたことを。故にこの街は、端から見れば『砦』のような様相を呈しているのだから。
「本当であれば森だけではない、この街もあの厄災に飲み込まれていたはずなのだ。だがそうはならなかった。その直前、この村に勇者が訪れてくれていたおかげでな」
「え、そのときにも勇者が……?」
「そうだ。彼女は自らを『予言者』とも名乗った。未来を予知する書物に、この村を呑み込む厄災についての記述が追記されたと。最初は誰も相手にせず、門前払いもいいところだったのだがな。彼女はそのときまでずっと、村の近くに留まってくれていたのだ。もしそうでなければあの日、この街はあのまま厄災に呑まれ、滅んでいたことだろう。俺や皆があの者たちを信じることにしたのは、あのノアという少女が我々とその勇者のあいだに立てた誓いのことを知っていたからだ」
「誓い?」
「『今回のことは最重要機密。私がこの街を訪れたことは可能な限り伏せること。とくに予言があったという事実は決して他言せず、秘匿すること』。予言なんてものの存在が多くの者の知るところとなれば、本来は不確定であるはずの未来の振れ幅もそれだけ大きくなってしまう。予知の氾濫による世界の転覆を防ぐためと、彼女はそう言っていた」
「なんかかっけぇな……というかちょっと待て! いま俺に言っちまってるじゃねぇか⁉」
「こうなった以上は仕方のないことだ。例外はお前だけにすることを条件に、彼らからの許諾も得ている。分かっているだろうが、決して反故にはするなよ。――決してだ」
「……分かってるよ」
再三にわたる父からの忠言に、ぶすくれたように応じるテイラーだった。
「それにしても土地神とはな……」
さしもの父も、こればかりはと辟易とした様子だったけれど。
◇
予言のことはさておき、ポヨの存在は間もなく街人の広く知れ渡るところとなった。というのも、ポヨの性格がとても人懐っこいものだったからだ。
「ぽよ~!」
「おや、ポヨじゃないか。今日も来てくれたんだね」
「ぽよ~!」
「わぁ、ぷにぷにしてて気持ちいー!」
街なかをあちこち跳ねまわるスライムみたいな土地神は、老若男女問わずみんなから愛された。アリアたちから聞いたところによれば、神という存在は人々から信仰を得ることでその力を増すものらしい。だがポヨが愛嬌を振りまいているのは、べつに票集めが目的というわけでもないのだろう。
ただ純粋に人と触れあったり、撫でてもらうことが好きなだけのようだった。そうしてたちまち皆からの人気者、街のマスコットキャラ的な立ち位置を獲得していく。そうなるまでにはとても長い時間がかかるだろうと思っていたから、テイラーとしては一安心だった。
ただ少しだけ困りものだったのは――。
「あーっ、ポヨったらまたそこにいるー!」
「ほんと、いつもそこばっかりだよな!」
「おいずりーぞ、テイラー!」
毎朝ギルドに顔を出したテイラーのもとに街の年少組から指さされ、抗議の声がかけられる。
「おうおう今日もバチバチに妬かれてんな、テイラー?」
「勘弁してくれよ……」
もう慣れつつあるクレームに同僚からも面白そうに茶々を入れられ、ため息をついた。そんなテイラーの黄色い頭のうえでは。
「ぽよぽよ~!」
ふんすとしている子どもたちを歓迎するように、ポヨがぽよぽよと弾んでいた。これが子どもたちから反感を買っている理由である。多感な時期の彼らには、街の人気者をテイラーが独り占めしているように映っているのだ。
もちろん、てっきりちょっと可愛げのあるスライムだと思っていた頃からポヨはテイラーの大事な友だちだ。それはきっとポヨにとっても同じだろう。もし特別に懇意にしてくれているというのであれば、ちっとも悪い気なんてしない。
だが1日の始まりに限ってポヨがその定位置に居ついているのは、テイラーがポヨの依代であるという厄介な事実に尽きた。土地神にとって、その土地に居ついている人々の信仰や人気は欠かせないものである。
だが、それにも増して重要となるのが依代の存在なのだ。たとえるなら、この日課はポヨにとっての朝ごはんなのだ。土地神は定期的に、依代からそういう類のエネルギーを吸い上げなければ徐々に力が弱っていってしまう。
そういうものらしいから。それがいつも限って頭のうえなのは、効率なのか居心地なのかは分からないけれど。その辺りの説明を懇切丁寧にしたところで、理解なんて得られるはずもない。
「そうだそうだ! ずりーぞテイラー1人だけ!」
「俺たちにも触らせてくれよーん!」
「るっせーぞ! 朝っぱらから酒あおってんじゃねぇ、この飲んだくれどもッ!!!」
飛んできた知人からの野次にはたまらず、なにくそと言い返すテイラーだった。
◇
――そんな日々が続いた。続いたのだ。
ポヨが居てくれたから、子どもたちもみんなも笑顔でいられた。負傷する冒険者の数だって、前よりずっと減った。平穏な毎日だった。こんな日々がずっと続いて欲しいと願えるほどに、それはテイラーにとって愛おしいものだったのだ。だからこそ、今の状況に理解が及ばない。
「どうして、こんなことに……」
それは己の無力感に苛まれ、短い髪をくしゃりと掴みながらテイラーが零した苦悶だった。なにせ今この街を覆っているウネウネと蠢く被膜の正体こそが、その親友――ポヨの成れの果ての姿に他ならないのだから。
その心中を察しながら、しかし冷静にククルゥは問いを重ねる。
「何か、変わったことはありませんでしたか?」
「変わったこと……?」
「こうなる直前のポヨさんの様子です。たとえばあなたに何かを伝えようとするような……そんな素振りはありませんでしたか。よく思い出して!」
「先輩……?」
打って変わって急き立てるようなククルゥの様子に、その意図をはかりかね小首を傾げるクラリスだったが。
「そういえば、確かに……」
なにか思い当たる節があったか、覚束なそうながら応じたのはテイラーだった。言われてみれば確かに、数日前からポヨの様子がおかしかったようにも思うのだ。いつになく忙しなくて、どこか慌てた様子で街人たちの足を止めていた。でもそんなのは、言ってしまえばいつものことである。
「てっきりいつもみたく気を引いて、みんなを笑わせようとしているだけと思ってたけど……」
「――っ……!」
そうと聞かされて、すかさず空を振り返るククルゥだった。そこに1つの、テイラーの話を聞くまでは思いもよらなかった見解が浮上する。――まさか……だがもし、そうだとすれば。
「テイラー、此処にいたのか」
するとそのとき、ククルゥたちのいた路地に入って来た人物がもう一人。
「親父……」
厳めしい顔つきで、鎧姿の冒険者のことをテイラーはそう呼んだ。
「一応、おまえには一言断っておこうと思ってな。こちらの準備が整った。これから我々は、あれの掃討作戦に打って出る」
「…………」
「あれはもう俺やお前の知る土地神ではなくなってしまった。お前の呼びかけも通じなかった以上、もはやこうするしか手段はない。分かるな」
「……あぁ」
「ちょっと待ってください! ストップ、ストップです!」
そんな父子のやり取りに、ククルゥが慌てて割って入る。
「む、なんだね君は。見ての通り今は緊急時だ、済まないが後に」
「テイラーさんから話は聞きました! 私はアリアさんやウィレクさんの同僚です! ノアさんもこの近くに来ています!」
「なに……?」
目を細める彼に加えて、テイラーも血相を変えて立ち上がる。
「それは済まなかった。では単刀直入に聞かせてくれ。あれを正気に戻すことはできるのか? 以前に彼女たちからも聞いているのだ。堕天と呼ばれる現象があり、それに蝕まれた土地神はもう救うことはできないと」
「……そうなのか?」
「はい、おっしゃる通りです。もし本当にポヨさんが堕天している状態なら、もう手の打ちようはありません。私たちで対処すべき案件になります」
「もし……?」
「私も最初はそうだと思ってました。でも違うかもしれません。現にこの被膜は私たちを内側に閉じ込めているだけで、何もしてきていない」
「バカな……ではこの状況はいったいなんだと言うんだ⁉ 今もこの被膜は徐々に内側に迫ってきているのだぞ! このまま放置すればいずれ――」
彼の言葉が、そこで打ち切られた。ズゥゥゥンと、重たい地鳴りのような音が、突如として辺り一帯に響いたからだ。そして――。
「姫たま・・なんか嫌な感じするよ・・?」
髪の合間から顔を覗かせ、不安げにしているノームさんを見てククルゥの仮説は確信へと変わる。
「えぇ、始まったようです……!」
◇
そこは混乱の最中にある街の上空。市街全体を包み込むようにして覆う、透明がかった赤い被膜の一番高いところ。
「ふぅ、ギリギリ間に合ったようじゃの」
下から見られると騒ぎになるので申し訳程度にレジャーシートを敷き、あぐらに風を感じながら言ったのは修道女姿の女の子だった。ちなみにその風はあまり心地よいものではなく、ついでに景観も良くない。
なにせ見下ろした手前の森には、荒れ果てた大地が広がっているからだ。そこはかつて、迫りくる脅威から勇者が街1つを守った跡地である。その付近には当時、辺り一帯を汚染し、蝕んだ瘴気の名残りがまだ根強く残っていた。
しかし今――その気配がここに来て、急激に高まりつつあるのだ。長い眠りについていたはずの何かが目覚め、再び動き出そうとしている。その予兆はもはや、ひしひしと肌で感じられるほどまでに肥大していた。
なるほど。気取られないように極限まで気配を潜ませ、水面下でずっとこの時の準備を進めていたのだろう。そして――。ズゥゥンと重たい地響きのような轟音とともに、ついにそれは顕現を始めた。
力を集わせ、森や大地からありとあらゆるエネルギーを吸い上げて。まるで山1つが丸々隆起するかのように、街を覆う被膜にも匹敵する濁ったスライム状の何かが姿を現したのだ。
バキバキと森を呑み込みながら、再び市街に向かっての侵蝕を始めて。それはかつて、かの勇者が長い眠りにつかせたはずの災禍――魔神復活の瞬間だった。
「なぜあんなものが、今ごろになってまた目覚めるのかは分からんが――1人でよく頑張ったの、プルガトリオ」
そんな考察は後に回して、伸ばした小さな手で少女は手元の被膜にそっと触れる。柔らかくてほんのり温かいそれを、子どもらしからぬ慈しみに満ちた瞳で優しく撫でつけながら。
「お主はただ、守りたかっただけなのじゃな。この街を、そしてお主の愛する大切な者たちを。駆けつけるのが遅うなって済まなんだ。でも大丈夫じゃよ、お主の声はちゃんとワシに届いておったからの」
返事はない。
でもそれに応えるように、ポヨンと表面が少しだけ波打つ。
「うむ、そうじゃな。まずはあの神まがいを除けるとしよう。――何を言っておる、水臭い。ワシとお主の仲ではないか」
それからたっとその場に立ち上がり、来るなら来いと腰に手を宛がいながら少女は言った。
「共に守ろうぞ、お主の大切な者たちを!」




