1-4.ククルゥ
――ククルゥ。
手渡された名刺を見るに、どうやらそれが彼女の名前であるらしかった。だが、それよりもナオタが目を引かれたのは、その上に小さく書いてある所属名の方である。
そこにはこう書かれていた。
神様のギルド、と。
ズドーン!
瞬間、ナオタが見舞われたのは、まるで雷に打たれたかのような凄まじい衝撃だ。何のことはない。事情なんてわざわざ尋ねずとも、その時点でナオタにはすべて分かってしまったのだ。
「そうか、そういうことなんだね!?」
「はい?」
またしても首を傾げているククルゥなのだが、それにもまったく気づかず、ナオタはこみ上げる興奮のままに早口となって自論をまくし立てる。まるで自分の発見を誰より早く大人に知らせたがる、小さな子どもみたいなはしゃぎようで。
「まず確認だけど、君は僕がこの世界の人間じゃないことを知っている。そうだよね?」
「え? ええ、まぁそうですけど」
「やっぱり!」
最初の、それもかなり踏み込んだダウトは見事に的中。その喜びに指弾きを決めると、ナオタはさらにあがり調子になって続けた。
「じゃあ、つまりはこういうことなんだろうね! 君がここに来たのは、そうするようにとある誰かから指示を受けたからさ。その誰かっていうのは他でもない、この世界の神様なんだろう? ここに書いてあるギルド名を見てピンときたよ。この神様っていうのはシャレでも冗談でもない、たぶん本物の神様のことなんだろうね。そして、僕をこの世界に呼びつけた張本人でもあるのさ!君はきっと、この神様から指示を受けて僕をここまで迎えに来たんだろう!? 察するに君も、かつてこの世界に召喚された、今の僕と同じ境遇の異世界人。つまりは日本人さ。どうだい、違うかな?」
腕を組み、得意満面となってナオタはそんな推察を締めくくる。先ほどこそ盛大に空ぶってしまったが、こればかりは自信があった。これはかなりいい線を行っているはずだと。
『え、どうしてそこまでわかったんですか!?』
そんな反応とともに、驚きをあらわにするククルゥの姿が今にも目に浮かんできそうだった。ところが――。
「いえ、全然違いますけど」
実際に返ってきたのは、そんな冷然とした受け答えで。やや思考の空白を挟んでから、ナオタはふいに我に返った。パッチと目を開けば、ククルゥがジト目をこちらに向けていて。
「……え?」
「だから全然違うって言ってます。あの、とりあえずこっちの話を途中で遮るの、やめてもらってもいいですかね? おかげでさっきからちっとも話が進まないんですけど。迷惑なんですけど」
「えっ? あっ、すみません」
最初に挨拶をくれたときのにっこり笑顔と、柔らかな雰囲気はどこへ消えたのか。気づけばその気迫に押されるまま、素直に謝っている自分がいた。するとひとまず、怒りは収めてくれたのか。
「まぁ全部が全部、まったく見当はずれと言うわけでもなかったですけどね」
煩わしげにため息は吐きつつも、ククルゥは経緯の説明を再開した。
「確かに、今のあなたの話で当たっていたところが1つだけあります。まさしくおっしゃる通り、私は神さまの通達を受けてここに来た者です」
「えっ?」
すっかり意気消沈していたナオタにとって、それは思わぬ朗報となった。
「じゃあ神様って、本当にこの世界の神様のことなの?」
「はい、そうです」
「ということは、やっぱり君は僕をここまで迎えに来て」
「いえ、そこが違います。むしろ私が来たのはまったく逆の理由です」
「逆の理由……?」
「そうですね。とりあえず、先にものだけ見せてしまいましょうか」
するとククルゥはまた、名刺を取り出したときと同じように肩からかけたガマグチバッグをガサゴソと漁る。やがて取り出されたのは見たこともない、何やら銀製の円盤のようなものだった。
「ええと、それは?」
「これはリガリオンと呼ばれる、神様が作った特別な道具――神器の1つです」
「神器……?」
「はい、そしてこのリガリオンの機能を使えば、あなたを元いた世界に返すことができます」
「――は?」
何やらワクワクするワードが飛び出したのもつかの間、後半の内容が見事にそれを打ち消す。
「どういうこと? もといた世界に返すって」
「どういうって、そのままの意味ですよ」
平静を取り繕うナオタのそんな問いかけに首を傾げつつも、ククルゥは説明を続けた。
「たまにいるんですよね。今のあなたみたいに、此処とは次元の異なる世界から迷い込んできてしまう人が。なんでも世界を隔てる次元の壁に、ときどき小さな穴が空いちゃうそうなんです。基本的にはそうなる前に、神様や私みたいな立場の人ができるだけその穴を塞ぎに向かうのですけれども。すみません、今回のはちょっとイレギュラーで、その穴がずいぶんと急に開いたみたいなんですよ。その結果、そこから吸い出されて偶然この世界に来てしまったのが今回、あなただったというわけです。ああ、でも安心してくださいね。そこで登場するのが他でもない、神様仕様のこの道具ですから」
すると突然、ガチャコンと機械的な物音とともに、ククルゥの持ち上げた円盤がやけにグロテスクな動きで広がりを見せたではないか。
「うわっ!」
その動きのあまりの奇怪さに思わず後ずさるナオタだったが、「大丈夫ですよ」とそれを制したのはククルゥだった。
「さっきも説明した通り、これは神様が作った道具の1つです。使うと使用者や使った相手の位置情報を遡り、その場所へ転移することができます。まぁ次元をまたぐなんて芸当は、普通の転移魔法では絶対にできないことなんですけどね。でも安心してください、この道具が神様仕様ということで、そこもばっちりクリアしていますから」
徐々に機嫌が直ってきたのかククルゥはもとの優しげな笑顔に戻ってにっこりと微笑んでいた。しかし、まったくそれどころでないのはナオタの方である。
転移魔法、神器、次元の壁。わくわくワードがこれほど出現しているにも関わらず、そのどれ1つとして拾う余裕が今のナオタにはなかった。だって何を言っているのか分からない。いや、分かりたくもない。
何せ、そんなのは自分の望むところでは微塵もないのだから。
だがナオタはそんな、寸前の思考をどうにか立て直す。
ここで怪しまれるわけにはいかなかった。
「へー、なるほどね! そういうことだったんだ!」
それから何の気もない風を装い、話を続けた。
「いやびっくりしたよ! だって気づいたら、こんなまったく知らない場所にいるんだもん。どうしたらいいかも全然わからないし、途方にくれてたところだったんだ!」
「そうですよね、驚いちゃいますよね。でも本当によかったです。偶然とは言え、私が近くにいたことが幸いでした」
「あはは、そうだね! いやぁ、僕はついてたなぁ!」
ケラケラと笑いながら頭の後ろに手を回して答える。
何にもよくねえよおおおおっ!
そう叫びたくなるのを、どうにか心の内だけに留めて。
「そっかー、でも本当に驚いたな! 異世界なんてほんとにあるんだね! しかも神様までいるなんてびっくりだよ!」
「えぇ、私も初めて知ったときは驚きました。ちなみにこうして言葉が通じているのも、こういうときに話が円滑に進められるよう、その神様がうまいことやってくれているからなんですよ」
「そうなんだね、道理で!」
平然を装いながら、ナオタは必死に思考を巡らせる。ここは少しでも長く何とか会話を続けて、何とか打開の糸口を探らなければと。
「あ、ところでさ、さっきの話だと僕みたいな人が他にもいたんだって?」
「いますよ。といっても、年に1人か2人くらいですけどね」
「ちなみにその人たちは、ちゃんとみんな元の世界に帰ったのかな?」
「え?」
「いや、気になっちゃって。中には帰りたがらない人とかいなかったのかなって。たとえば何か事情とかがあってさ」
「あー、まぁ確かにいなくもなかったですかね、そういう人も。でもだめなんですよ。それはいけないことになってて」
「そうなの? どうして?」
「詳しいところは私も知りませんけど、とりあえずそういうルールなんだそうですよ。確か天界規定がどうとかってまえに神様は言ってましたかね」
「へー、そうなんだ」
つまりここで帰りたくないとダダを捏ねても、何ら意味がないということか。沈黙を挟まないためにも、ナオタはすぐにも次の話題へと転ずる。
「でもさ、帰るっていっても、何も今すぐじゃなくっていいんでしょ? たとえばちょっと観光とかしてさ。だってほら、せっかくこんなに世界まで来たんだから」
「あぁ、すみません。それもダメなんですよね」
するとククルゥは、再びリガリオンを持ち直して説明を付け加える。
「確かにこのリガリオンを使えば、あなたを元の世界に返すことができます。でもそれはあくまで空間的な座標の話で、時間までは戻せないんですよ。なのであんまりもたもたしてると、ご家族に心配をかけてしまいます。一応、こちらとそちらの世界では時間の流れ方にさほど大きな違いはないそうですが」
「あぁ、それなら心配要らないよ。数日くらいなら全然平気だから、うちの家族!」
「それからもう一つ、こちらの方が重要なのですが」
なんだそんなことかと手を振ってノープロブレムを示そうとするナオタだったが、ククルゥはその上からさらに続きをかぶせる。
「このリガリオンですが、遡れる位置情報には限りがありまして。一定時間を過ぎると、それより前の場所にはいけなくなっちゃうんですよね」
「え、じゃあそれって、つまり……」
「はい、もしこのまま時間が経ちすぎると、リガリオンを使ってもあなたを元の世界に返すことができなくなってしまうんです」
――しめた!
ようやくナオタが明光を見い出せたのは、ククルゥからその証言を引き出したそのときだった。それはつまり、この場さえどうにか切り抜けてしまえば、ナオタが元の世界に帰る手段は永劫、失われるということではないか。それはやっとのことで見い出せた、ナオタにとって唯一の希望だった。
「そういうことなので、さほど猶予はありません」
「あぁ……うん、そうだね。それじゃあ仕方ないね」
「はい、残念ですが」
ゲンナリと肩を落とす自分を演じながら、ナオタは思考を巡らせる。だが問題はその手段であると。この場から逃走を図るには、まずどうにかしてククルゥを出し抜かなければならない。
身長は同じ位だから、単純な力比べなら軍配は男のナオタに上がるだろう。しかしそこで忘れてはならないのが、ここが異世界であるという根底的な事実だ。
ついさっきも転移魔法なんて言葉が出てきたばかりだし、しかもよりにもよって、相手は神器なんてものを持っている神の提灯持ちときている。そんなククルゥを見てくれ通り、丸干しの女の子と見てかかるのは、かなり危険な賭けだと考えるべきだろう。
でも、だからといってどうすれば良いのか。
一か八か、今すぐこの場から逃走を図るか。
まだ怪しまれていない今なら、なんとか人混みに紛れることだって……。いやダメだ、そんな考えなしなことをして、もし失敗したらどうなる。有無を言わさず強制送還されて、ナオタの冒険は始まる前にご破算だ。
そんなの、冗談ではなかった。せっかく夢にまで見た異世界転移を果たしたというのに、開始からものの五分で頓挫させられてたまるものか。でもそれならどうすればいい。他に手段があるのか。考えろ、考えろ。
「どうかしました?」
「あぁ、ううん。なんでもないよ」
「そうですか。では他に質問がなければそろそろ」
「あー、そしたら1ついいかな!?」
「はい、なんでしょう?」
「ええと、だからその、やっぱり少し名残惜しいなって!」
ついに話がまずい方向に転がりだしたのを敏感に気取り、ナオタはしどろもどろになりながらも慌てて声をかぶせる。こうなればもう出たとこ勝負にかけるしかなかった。
「ねぇ、少しだけ街を見て回ちゃだめかな!?」
「すみません、それはできないんです。異世界から来た方は見つけ次第すぐに元の世界に返すことが決まりなので。今この時間だって少しグレーなんですよ」
「だから、そこをなんとかって頼んでるんだよ。ここで会ったのも何かの縁なんだしさ!」
「だめなものはだめなんです、諦めてください」
「お願い、ちょっとだけ! 本当にちょっとでいいんだ! ちょっと見たらそれですぐに帰るって約束するから!」
「しつこいですよ」
ついにはピシャリと言い捨てられてしまう。
しまった。その声音から温度が消え去っていることに気づき、ようやく我に帰るナオタだった。だが、もう遅い。わきまえるべき引き際なんてとっくに踏み越えてしまっていた。
もはやどんな言い分も受け付けてはもらえないだろう。
もう打つ手がなかった。万事休すだった。
こうなれば、たとえ一か八かでももはや強行策に打って出るしかない。そう覚悟を決め、タイミングを見計らおうとしていた、そのときだ。
――――。
何の前触れもなく、脈絡もなく、ふとある考えがナオタの脳裏に浮かんできたのは。それは過去に経験したことのない、とても奇妙な感覚だった。
なぜそうしようと思ったのかはわからない。なのに、これから自分が何をどうすべきなのかだけは、これ以上なく明瞭に脳が理解してしまっているのだ。
あるいは、まるで最初からそうするつもりであったかのように、それはナオタにとって極めて自然な着想だった。気づけばその衝動に突き動かされるまま、ナオタは動いていた。
「そっか、それじゃあ仕方ないね。ごめんね、無理を言って」
「いえ、大丈夫です。分かっていただけたなら、それで」
「うん、諦めるよ。でも、最後にひとつだけいいかな? 聞いてもらいたいお願いがあるんだ」
「お願い?」
「うん、大したことじゃないんだけど」
やわらかな微笑みを浮かべながら、ナオタはククルゥに向かって歩き出す。
「なんですか? 言っておきますけどお土産とかもダメですからね」
「そんなお金持ってないって。大丈夫、もっとずっと簡単なことだからさ。――ほら」
そんな一言とともに、やがてナオタは立ち止まった。キョトンとしているククルゥの前に、ただ自分の片手を差し出して。
「ええと、これは?」
「見ての通りさ、握手だよ。これくらいはいいだろ? せめてもの記念にしたくてさ」
いったい何かと思えば。よもや少年が逃げ出すのではないかと身構えていただけにククルゥは拍子抜けし、ふぅと小さく息を吐く。
本来であれば、異世界人は速やかに元の世界に送り返し、必要以上に関わらないようにすることが規則だ。だが、この少年とて巻き込まれた身の上。あんまりしつこくされて、冷たい態度こそ取ってしまったが。
せっかくだからと異世界観光をしたがる彼の言い分は理解できるし、それを規則だなんだと一点張りでお預けにするこちらも随分ではないか。
でもそれをこんな握手1つで収めてくれるというのなら、渋るものでもないだろう。
「あぁ、そういうことですか。まぁそれくらいなら」
ククルゥもまた、手を出して応じる。次元を超え、奇しくもこうして巡り合った2人のあいだでいま、しかと握手が交わされる。
「ありがとう。ところで自己紹介がまだだったよね。僕は――ナオ。そう、ナオだ。それでさ、ククルゥ。お願いっていうのはここからなんだけど」
「……え?」
瞬間、ナオタは掴んだククルゥの手を力任せにグイと引き込む。その瞳を至近距離から覗き込み、言い放った。
「僕の友達になってくれないかなぁ!?」




