2-11.お客様は小さな神様
それからの話になる。ドリーを保護したククルゥの次なるミッションは、彼女を無事に神であるノアのもとに連れ帰ることだ。だが出発してしまえば、ギニエットともしばらく会えなくなってしまう。
だからできることなら今夜くらいは待って、2人だけの時間を作ってあげたかったのだ。だがそうも言っていられない事情が、ククルゥにもあって。
「実をいうと、土地神を生まれた場所から引き離すのって、ちょっと危ないことなんです。こういう発生したばかりの子はとくに、不安定になりやすいことがあって」
「なんだってっ!?」
「なので、できれば今からでもこの子を連れて出発したいのですが、構わないでしょうか? 知り合いの神様に紹介して、予防接種みたいなのを打ってもらえば大丈夫になりますから。できれば今夜くらい、ゆっくりさせてあげたかったのですけど……」
「も、もちろんだよ! そんなのむしろ僕からもお願いさ、早くこの子を連れて行ってやってくれ……!」
「ご理解に感謝です、それでは」
そういうことで話がまとまり、これで一件落着と思われたのだが。
「いーあーっ!」
間もなく辺りに響いたのは、そんな抗議の声である。手を焼かされることとなったのは、むしろこっちの方だった。そこには橋の欄干にしがみつき、頑としてその場から離れようとしないドリーの姿があって。
「ドリー、聞いてくれ。このまま僕といたら君は危ないんだ。一刻も早く、その神様のところに行かないと」
「いあーっ!」
「分かってよ、仕方のないことなんだ。大丈夫、ちょっと先になるかもしれないけどまた必ず会いに行くから」
「いーあーっ!!」
説得にかかるギニエットだが聞く耳を持ってもらえず、すぐにお手上げ状態となる。土地神と言えど、子どもが駄々をこねるのは同じことらしい。それがギニエットにとってはちょっと嬉しい我が儘でもあって、強く言えないところが手痛かった。
「参ったな……」
「懐かれたものですね」
「それは正直嬉しいんだけど、何とかして納得してもらわないと」
「そうですね。あるいは……シンパシー的にはあなた方の方が適任だったりするのでしょうか? シア、ノームさん」
するとククルゥが声をかけたのは、傍らにずっと控えていた彼らである。
「うーん、どだろー。とりあえずやってみるー?」
ノームさんからもそう促され、がんばると頷いてみせるシアだった。そういうことになり、ひとまずとサイドアウトする2人である。やはりルーツを同じくするためなのか、見ているといくらか聞く耳はもってもらえている様子で。
「あの様子なら、何とかなりそうですかね……?」
そんな彼らのやり取りを遠巻きに見守りながら、およそ着地点も見えたところでククルゥが呟く。すると、おずおずと口を開いたのはずっとタイミングを伺っていたギニエットだった。
「あの、それでなんだけど……」
「どうかしました?」
「いやその、僕に何かお咎めなんかはないのかなって……。勘違いがあったとはいえ、逃げちゃったわけだし……」
「あぁ、そういうことですか」
気まずそうに手を揉みしだきながら尋ねてくるので、何かと思えば。なんだそんなことかと、ククルゥは無関心に答える。
「いいですよ、べつに。逃げたというより私が泳がせていただけですし、元はと言えばこちらの作戦ミスが招いたことなので」
「え、それはとてもありがたいんだけど……いいのかい……?」
「はい、私の主観とあの子たちの訴えに免じて。お昼にコーヒーもご馳走してもらいましたしね。それに……」
「それに?」
「……いえ、なんでもありません」
遠巻きに彼らを見やりながら、ククルゥは言いかけた言葉を引っ込める。ちょっと臭くなりそうだったからだ。大切な誰かを守ろうとしたその気持ちを、罪に問いたくはないだなんてそんなセリフは。
「とにかく、今回のことは不問に処しますので、安心してください」
「よかったぁ……」
それを聞き届けてようやく肩の荷が下りたか。安堵とともに、腰を折るようにして脱力するギニエットだった。
「もう、そんなの黙っていればいいのに。こっちが何も言ってこないのですから」
「そういうわけにはいかないよ……。でも、これでようやくホッとできた。ありがとう……」
「お人好しというか。本当、損な性格をしてますよね」
「よく言われるよ……」
呆れるククルゥに、ギニエットは力なく笑いかけて。そんなやり取りの間に、向こうも話がついたようだった。
「あうぅ……」
しょげて下を向いているドリーの手を引いて、シアが戻ってくる。とりあえず理解は得られた様子だが。
「なんです?」
シアから何か伝えたいことがあるのを見て取り、ククルゥが首を傾げる。するとシアはそれをジェスチャーを使って示した。まず少し頭を下げて、顔の正面で斜めに構えた右手を少し前に出す。
「え、お願い……? この子からですか?」
それから両手の小指を結び、軽く振って見せて。
「約束……。ああ、そういうことですか」
それだけ伝えてもらえれば十分だった。ここに至るまでの経緯は、ずっと見ていて知っていたから。
「大丈夫ですよ」
だからククルゥも、その想いに応えることにする。子どもの扱い方はよく分からないけれど。せめて安心してもらえるように、その小さな頭にそっと手をやって。
「その日になったら必ず、私が責任をもって送り届けますから」
それから程なくして、人気のない夜の街をククルゥは出発する。ドリーと名付けられた迷子の神さまの手を引き、大手を振るギニエットに別れを告げて。途中、そんな彼をドリーは何度も名残惜しそうに振り返っていたけれど。
「心配しなくても、そう遠くないうちにまた会えると思いますよ。だって、あなたもよく知っていることでしょう?」
「あい……?」
「あぁ見えて彼は、とっても頑張り屋さんですからね」
かくして数週間後、その時は訪れることになる。そこは海の景観がきれいな港街。とある小さな喫茶店が、その日オープン初日を迎えようとしていた。記念すべき最初のお客さんがやってくるその瞬間を、店主の彼は今か今かと待ちわびている。
話したいことが山ほどあるのだ。聞いてみたいこともたくさんある。最初の挨拶はどんなのにしよう? お客様は神さまだからね、的なオチにもっていけると面白いと思うんだけれど。と、そうやって頬を緩めていれば、とんだサプライズである。
思ったよりもずっと早くに、カランコロン。1人の少女が勢いよく、店内に飛び込んできたのだから。だが、いらっしゃいを言わせてもらえる猶予もない。なにせ少女はあろうことかカウンターを飛び越え、体当たり同然に飛びついてきたのだから。
「うわーっ!?」
ドテンともろとも倒れ込み、お店が揺れる。やれやれ。少しくらい大人びたりしているのかと思えば、まったくではないか。
「もう。相変わらずだよね、君って奴は」
「あいあーっ!!!」
その小さな手の中には、1枚のサービス券が握られていた。




