1-2.その少年、平木直太
ところでの話になるが――。
少年は名前を平木尚太といった。
繰り返す。ひらき、なおた、である。
一見して平凡で、どこにでもありそうな名前と思われるかもしれない。だがナオタは、この名前が心底嫌いだった。つくづく、嫌気がさしていた。
なぜなら「開き直った」だからだ。
悲劇だった。
数年前に戸籍レベルで本名が変わったのだ。
大人の事情と言うやつである。本来の名前から苗字が切り離され、よそから飛来した別の苗字がマージされた結果だった。
そうなるまでは良かったのだ。ナオタは自分の人生に、まぁそれなりに満足していた。
顔は決して悪い方ではなかったし、成績もそこそこ。
足が速くて運動もできたから、女の子たちにもそれはモテた。
バレンタインにもらったチョコの数なんてもう数え切れないし、告白された回数だって「実質」を含めれば、指の本数では足らないほどだ。本当に、あのころは世界のすべてが輝いて見えていた。
だが、それもこれも、今となっては過去の栄光だ。ある日を境に名前が変わってしまってからというもの、すべては一変してしまった。
なにせ、「開き直った」である。
「こら、平木! そういう態度をな、『開き直った』っていうんだぞ!」
たとえばある日、宿題を忘れて、担任からそんなお叱りを受けたとする。
「平木尚太、だけにぃ!?」
誰かがそんなツッコミを入れようものなら、クラスの全員がドッとお笑いだ。挙句には、フォローに回るべき立場のはずの担任まで堪えきれず、プッと吹き出してしまう始末である。それからというもの。
「おーい、ひらき~! 開き直るなよ~」
そんなフレーズがクラスメートたちの、ナオタに対する定番の挨拶代わりとなっていた。仮になにか言い返そうものなら、まったく同じセリフの追撃を受けて撃沈するのみである。
そのたびに外野も同調し、こぞって笑いのモノダネにしてくるとあっては、ナオタにはもうどうしようもなかった。
徐々に立場も弱くなり、クラス1の人気者、優等生の座なんてあっという間に追われてしまう。時が過ぎ、中学に上がっても、風向きは一向に良くならなかった。
それどころか、周りの同性の友達がぐんぐんと背を伸ばしていくなかで、ナオタの足は学年でも有数レベルで短いままだったのだ。ともすれば、スポーツでも思うような結果は残せなくなり、さらには追い打ちをかけるように成績も伸び悩んでしまう。
そこまでくれば、あとは自由落下だった。
もう、どうにでもなれだ。
部活を辞め、勉強もしなくなり、惰性でゲームや二次元に明け暮れる日々の始まりである。そうして気づけば、すべてを失っていた。在りし日の栄華など、いまや見る影もない。
かつて憐れんでいたスクールカーストの最下位争いには、万年のようにランクインするのが当たり前になっていた。
いったいどうして、こんなことになってしまったのだろう。こんなはずではなかったのに。
そうやって学校からの帰り道、かつて思い描いていた学校生活とは、あまりにかけ離れすぎた現実を卑下してはため息をつき、肩を落とす。いつしかそれが、ナオタの日課になっていた。また悲しくも、彼が元いた世界で送っていたしがない青春のすべてだったのだ。
――だがそれも、つい先ほどまでの話である。なにせ彼は、夢にまで見ていた異世界転移を、なんの因果か実現してしまったのだから。
そして再び、場面は現在へと戻ってくる。もうあれからしばらくが経つというのに、同じ場所には今なお1人、歓喜に打ち震えているナオタの姿があった。
当然のことながら、この世界に転移してきたばかりのナオタは、所持金なんて一銭も持っていない一門無しである。つまりは、今夜の寝食さえままならない素寒貧だ。
だが、そんなことはどうでもよかった。この一世一代の転機をまえには、あまりに些末すぎる問題である。
あらゆる目先のことなどすべてそっちのけで、ナオタは今後の展望に目まぐるしいまでの想像力を働かせていた。さて、ここからどうするか。まずは何から手をつけていこうかと。
なにせ、踏みたいイベントは山ほどあるのだ。もしもこんな展開が訪れたらと妄想を広げるあまり、なかなか寝付けなくなった夜なんて、いくつあったか知れないのだから。
だが、なんといっても、やっぱりまずはヒロイン探しからだろう。それも残念系ではなくて、ちゃんとした清純系のやつがいい。たとえばそうだな、とナオタはまた想像を膨らませてみる。
まず欠かせないのは包容力だ。包容力はヒロインに絶対に欠かすことのできない、重要な素養の1つである。それがない人間には、決してヒロインなんて務まらない。まちがっても、ヤンデレ持ちなんてごめんだ。
それから、ウブな子がいい。普段から少し子どもっぽいところがあって、からかうとホッペを膨らませて怒るし、フンとヘソを曲げてしまうのだけれど、その仕草がもう、めちゃくちゃ可愛くて。
また全体的に、外見に実年齢がやや見合っていないところがあるのだ。でも自分ではしっかり者のお姉さん役のつもりでいるから、たまに発言が背伸びしてしまったりしているのだけれど、それがまたまた可愛いくて。あとはそう、嘘をつくのがとびっきり下手っぴだったりもする。
まぁ、ざっとこんなところだろうか。手料理が作れることとか、髪は腰まで届くベリーロングで、きちんと手入れが行き届いていることとか、細かいオプションはいろいろあるけれど。
もしそれらを満たしたうえで、出るところはしっかり出て、引っ込むところはしっかり引っ込んだパーフェクトボディなら、もう言うことは無しだ。
そして、まだ見ぬそんな彼女との出会いをきっかけにして、ナオタの冒険は幕を開けるのである。なにも問題はない。この先で辿ることになるシナリオは、もうおよそ検討がついているのだから。
多少なり前後はあるかもしれないが、ヒロインと合流したら、さしづめ次はギルドでの冒険者登録といったところだろう。そこで出会うのは、未来の仲間たちだ。もしかしたら最初はソリが合わず、ぶつかり合ってしまうことだってあるかもしれない。
だが、数々の難局をともに乗り越えていくうちに、そこには確かな絆が生まれているのだ。そうして気づけば、周りにはたくさんの仲間たちがいて。
それも打算や上辺だけの関係ではない。全員が全員、互いの力を認めあった、正真正銘にして真の仲間たちなのだ。そして、いつだってそんな彼らの中心にいるのが他でもない、この平木尚太なのである。
きっとこの先、ナオタには数々の試練が訪れることだろう。押し寄せるモンスターの群れから街と市民を守り、国家転覆を目論む悪の組織から国王や王女を救い。
そしてゆくゆくは、なぜ自分がこの世界に召喚されたのか、その謎とこの世界に隠された大いなる秘密に立ち向かい、解き明かしていくことになるのだ。
恐らくそれは、決して容易な道のりとはならないだろう。ときにはすべてを投げ出したくなるほどに、苦しい局面に立たされることだってあるかもしれない。
でも、大丈夫だ。
だって、1人じゃないから。
心から信じ合える仲間たちがいるから。
どんな困難が立ちはだかったって、1人じゃなければへっちゃだ。そういうものなのだ。だから恐れることなんて、何もないのである。
「よし!」
あらかたそんな算段もついたところで、ナオタはぐっと拳を握り込む。それから、やや南中気味と見える太陽に向かうと、ここが出発点だと新たな人生、そして冒険の始まりを決起した。
そんな脳内シミレーションで頭がいっぱいだったからか、そのときまでナオタは気づけなかった。
「あの、すみません。今ちょっとだけ、よろしいですかね?」
「もし、今ちょっとだけ・・。あれ、聞こえてます?」
「もしもーし」
とそんな感じに、見知らぬ少女が遠慮気味に、後ろから声をかけてきていたことに。
何度話しかけても、返ってくるのはブツブツと念仏のようなひとり言ばかり。そんなナオタの様子をつま先立ちで伺いつつ、はーんと怪訝そうに首を傾げる少女である。いったい何をそんなに考え込んでいるのかと不思議だった。それも時おり、緩みきった表情でニヤつきながら。
訝しみつつも、さんざスルーしてくるナオタに、いよいよ耐え兼ねた少女はスゥと大きく息を吸い込む。そして思いっきり、その声を張り上げた。
「今ちょっとよろしいですかねええええッ!?」
「うわあああああああッ!?」
かくしてまたも、ナオタの絶叫が街なかに。




