2-7.見切り発車の逃避行
こうして、ドリーと宛てのない逃避行に乗り出すことになったギニエットである。問題は山積しているし、見切り発車もいいところだ。だがこうしている今もククルゥが森で捜索を続けていることを考えれば、グズグズしている時間はなかった。
まずは森から離れることが先決と、急ぎ村を出発する。陽が沈みきってしまう前にどうにか山道を降り切り、向かったのはそこから一番近くにある小さな街だった。歩いていくには少しばかり根気のいる距離になるが幸い、通りがかった御者を途中でヒッチハイクすることに成功する。
そうして荷台で揺られ、過ぎ去っていく景色をぼんやり見送りながらギニエットは考えていた。果たしてこれから、自分たちはどうなっていくのだろうかと。勢いで飛び出して来てしまったけれど、目算も何もない出たとこ勝負もいいところである。するとドリーが、そんなギニエットを心配そうにのぞき込んできていて。
「あいー?」
「あ、ううん。大丈夫だよ、それより夜ごはん食べよっか。と言っても、急ごしらえのオニギリくらいしかないんだれど」
「あいあー!」
けれどそんな不安も、モグモグと幸せそうなドリーを眺めているうちにどこかへ行ってしまった。きっとどうにかなるだろうと、あまり深く考えないことにする。先行きの見えない局面なんて、これまで数えきれないほどあったのだ。でもなんだかんだ、ぜんぶ切り抜けてここまでやってこれた。だから今回だって、きっと大丈夫だろうと。
そんな空元気を自分に言い聞かせ、気楽な一時を過ごすことにした。思えばドリーを森以外のところに連れ出すなんて初めてのことだし、小旅行だと思えばいいじゃないか。でもそんな精一杯の楽観的目算も、なんと出鼻で挫かれることになった。
「もう宿がないっ!?」
ようやく街に着いたところで、突きつけられた現実がそれだった。ギニエットは愕然とすると同時に気づかされる。よくよく考えてみれば、確かにそうだと。街といっても比較の話で、ここらが都会から十二分に離れた辺境であることに変わりはない。
そう、辺境なのだ。ド田舎なのだ。わざわざこんな僻地を目指してやってくる観光客なんていないし、旅人だってそうそう通らない地点だろう。そんなところで観光産業が栄えるはずもない。だからそもそも宿屋なんて数えるほどしかないし、時間も時間だ。当日の受付はとおに締め切られ、どこに行ってももう見るからに閉まっていて。
「はぁ……」
ついに行く宛てをなくし、大きなため息をつくギニエットだった。足掻くだけ一応、足掻いて、行きついたそこは河川を渡す大きな橋の上である。欄干に肘をつきながら、緩やかな流れを徒労感とともに見下ろしていた。こんな立派な橋があるくせに、なんで宿がないんだよとふて腐れながら。
だがそれも、理不尽な言い分と認めざるを得ない。なにせ街に到着した時点でもうだいぶ夜も更けていたし、そもそも今回ばかりは自分の無計画が過ぎたのだから。悲しいことだ。多少の無茶や無鉄砲も若いころなら経験や生き血になるが、年を重ねてからのそれはただただ身体に応えるばかりなのだから。
歩き詰めて徒労に終わり、今まさにそれをしみじみと実感しているところだった。やや勝手は違うにしろ――。さっきから疲れた様子もなく、手すりを降りたりよじ登ったりして遊んでいる彼女を見ていると、ことさらに。
「君はまだまだ元気そうだね、ドリー?」
「あいー!」
呆れ半分に声をかけると、返ってきたのは昼間と変わらず元気な返事だった。もう日付も変わりかけているこの夜更けに、子どものはしゃぎ声はやや染み入る。手すりをアスレチック代わりにしてピョンピョン跳ねているのも、見ていて危なっかしいことこの上ないし、目立つけれど。
そこで辺りをキョロキョロと見回し、付近を確認するギニエットである。幸いほかに通行人は来ていないようだし、怪我をする可能性だってドリーの運動神経なら万が一にもないだろう。ここまで随分と窮屈な思いをさせてしまっている申し訳なさもあって、まぁいいかと大目に見ることにした。
「ごめんよ、できればちゃんと部屋を取って休みたかったんだけど。今日はこの橋の下とかで野宿かな……」
「あいあー!」
「いや、そんな元気いっぱいに返事をされてもね……。あれ、でも考えてみればそうか。君っていつも、寝るときは森に帰ってたもんね? かえってそっちの方が寝やすかったりするのかな?」
「あいあいー!」
「なんだ、それなら良かったよ。えっ、僕? 僕は平気さ。これでも昔は冒険者だったからね。野営なんてよくやってたよ」
まぁ今夜のこれは、ただのホームレスなのだけれど。悲しくなるのでそんな一言は据え置きつつ、再び辺りを見回すギニエットである。橋の下に移動するにせよ、ちょっと小休憩が欲しいところだった。
ドリーもまだ体力を余らせているようだし、遊ばせていくならここが丁度いい。人が来ない分には迷惑もかからないだろうと、念を入れてのことだった。どうせ今さら誰も来やしないだろうと、そう思っていたのだが。
「おっと」
そんな読みは、さっそくと外されることになる。さして気もなく目をやった橋の右方向から、人が歩いてきていたからだ。これはよくないと、ひとまず手すりで遊んでいるドリーを手招きして伝える。
「ドリー、いったんそこから降りてくれるかい? 誰か来たみたいだ」
「あいー!」
すると彼女は素直に従い、パッと手すりから地面に飛び降りて。そうして少しでも不審者感を紛らわせてから、それにしてもとギニエットは思った。こんな時間、こんな場所を通りがかる街人が、自分たち以外にもいるものなのかと。しかも体格や柔らかな色合いの服装からして、まだ若い女性のようだ。
不用心と言えば不用心のことに思えて横目に注意を引かれるが、自分たちも訳ありの身の上。ここはなるべく目を合わさないようにしてやり過ごそうと、そう思って――。
「え……?」
途端に、違和感に襲われる。それはまるでたったいま、絶対に見落としてはいけないものを見落としてしまったかのような、本能的かつ圧倒的な予感にも近しいものだった。気付けば目を背けることのできないそれに従い、ギニエットはよくよくと振り返っていて。
瞬間、忘我し、立ち尽くす。言葉を失う。あってはならない光景が、そこにあったからだ。コツコツとマイペースな靴音を響かせながら、何やら光を放っている本の見開きを手に。
「なんで君が、ここに……?」
こちらに向かって歩いてくるククルゥの姿が、そこにあった。




