2-6.答え
今しばらく平穏な日常は続くものだろうと、そう高を括っていた。だからさっき、ククルゥが店にやってきたときはゾッとしたのだ。恐れていたときがついに来てしまったのだと思った。それもギニエットが想定していたよりも、ずっと早くに。
だから咄嗟に、ギニエットは嘘をついた。恐らく日没前のこの時間、ドリーがいるとしたら森の東側である可能性が高い。そう見越したうえで、ククルゥを森の西側へと誘導したのである。
協力する姿勢をうまく示せたから、疑われるまで多少は時間も稼げるだろう。だがそれも、さほど多くはないはずだ。故にククルゥを見送ったあとギニエットもまた店を飛び出し、反対方向の森の中へと駆けだしたのである。なんとか、ククルゥよりも先にドリーを見つけ出すために。
あと小1時間もすれば、ドリーはいつも通り、夜ごはんを食べに帰ってくるだろう。だがそんなのを悠長に待ってなどいられなかった。一刻も早くドリーを探し出し、安全なところに退避させなくてはいけない。
「どこにいるんだ、ドリーッ! 返事をしてくれーッ!」
懸命にひた走りながら、ギニエットの叫びが森の奥にまで反響する。しかし返事はなく、そうこうしているうちに時間も過ぎていくばかりだった。気づけば遠くの空も、茜色を帯びてきていて。
そこでついに力尽き、足を止めたギニエットである。森に入ってからもう小一時間ほどは経っただろうか。それなのに、ここまで何の手がかりも得られていない。
「ハァッ、ハァ……ッ!」
苦しげに肩での呼吸を繰り返しながら、焦りは募る一方だった。同時に、悔悟の念が込み上げてくる。どうしてもっとちゃんと、こうなったときの対策を講じておかなかったのかと。
「ドリー、どこにいるんだ……!」
今さら遅すぎる後悔に歯噛みし、そう声を絞るばかりだった。こうも見つからなければ、嫌でも悪い想像が付きまとってくる。もしや今日に限って、ドリーは森の西側に行っていたのではないかと。
ギニエットにしろ、ドリーの行動すべてを把握しているわけではない。一か八か、ククルゥを森の西側に誘導したものの、あるいはそれが裏目に出た可能性だって十分にあった。
だとしたら、最悪だ。ククルゥにも、もうとっくに鉢合わせてしまっているかもしれない。あるいはすでにドリーの身に何か起こっているのかも。そう考えるとたちまち恐ろしかった。居ても立ってもいられず、気づけばこみ上げる不安のままに叫んでいて。
「お願いだ、ドリー! もし近くにいるならすぐに出てきてくれー! 君の身が危ないんだー!」
より一層、大きく張り上げられたその叫びが、森の遠くにまで木霊する。すると――。
「あーいーっ!」
あろうことか、その返事は思いがけずあっけなく、ギニエットの頭上から降ってくるではないか。
「えっ?」
呆気に取られて見上げてみれば、ちょうどそのときだった。えいやと木の枝から飛び出してきた何やら小さな影が、ギニエットをめがけて落ちてきたのは。それもまっすぐ、にこやかに。
「ええええーーーーっ!??」
たまらず素っ頓狂な叫び声をあげ、慌てて下から抱きとめにかかるギニエットである。だがまさか急に落ちてきたそんなものを、難なく受け止めきれるほど屈強なわけもなし。
ドテンと鈍い物音とともに、不恰好な尻もちを余儀なくされた。それでも身体を張った甲斐あって、ギリギリ落とさずには済んだけれど。ともかく、驚きに目を見開くギニエットである。なんということか。
「ドリー!?」
「あいー!」
今しがた上から降ってきた少女が他でもなく、ずっと探していた少女だった。ギニエットに持ち上げられながら、手足をパタつかせている。そんな彼女の振舞いはいたっていつも通り、楽しげなもので。
ようやく見つかってくれて途方もない安堵がこみ上げるとともに、チンプンカンプンだった。どうしてドリーがいきなり上から降ってくるのかと。頭上を見上げながら、しばし考え込んでみる。もしやと、ふいに思い当たった可能性は……。
「もしかしてだけど、ドリー。君まさか、かくれんぼでもしてたつもりだったんじゃないよね?」
「あいあー!」
「嘘だろう……?」
すぐさま返された無邪気な肯定に、かっくりと首を落とすギニエットである。想像するにドリーはずっと前からギニエットのことを補足し、こっそり後を付いてきていたのだろう。
思い返してみれば、そうだ。出会った当初の2人の掛け合いが、正しくこんな感じだったではないか。厄介払いがしたくて逃げるギニエットと、軽い身のこなしで木枝を渡りってそれを追いかけるドリーの構図である。
久しぶりにギニエットが森に来てくれたことが嬉しくて、当時を思い出してスイッチが入ってしまったのかもしれない。だとすればこうしてドリーが、いきなり上から降ってくることも納得だった。
だからたぶん、ここにくるまでギニエットの懸命な叫びも「もういいかい?」くらいにしか聞こえていなかったのだろう。辻褄が合って、嬉しさやら呆れやら、こみ上げてくるいろんな感情がもうゴチャゴチャだった。
「ドリー……! もう、ドリー!!!」
「あいあー!」
「あいあーじゃないよ! 僕がどれだけ君を心配してたか……!」
「あいー?」
「でも無事でよかった、本当に……!」
言ってやりたいことは山ほどある。でもそれもこれも全部、後回しにしてゴシゴシと乱暴に袖で目元を拭い、真剣な面持ちとなるギニエットだった。グスリと鼻を鳴らしながら、ドリーの肩をゆすって言い聞かせる。
「それより……聞いてくれ、ドリー! 大変なんだ、いま君の身がすごく危ないことになってて! どこか安全な場所に隠れないといけないんだけど……!」
「うー?」
「詳しい事情は分からなくてもいい! いいから、とにかく僕に付いてきて! さぁ……!」
ドリーの手を引き、来た道を引き返そうとするギニエットである。ところが。
「あいーっ!」
引かれる手を引き返し、引き留めるように抵抗したのがドリーだった。
「ドリー、どうしたんだい?」
「あいあー!!」
「えっ、ちょっ!?」
するとたちまち、子どものものとは思えない力で、ズリズリと引っ張り返されてしまう。あわや引きずられそうになりながら、ギニエットは必死に訴えた。
「ドリー、待って! 待つんだ、いまは遊んでる場合じゃないんだよ!?」
「あいあー!」
「分かった、分かったから! でも後にしてくれ、今はとにかくここから離れないとダメなんだ!」「あううー!」
「ドリー、ダメだって! いい加減に……!」
状況の深刻さが伝わっておらず、まだ遊んでいるつもりなのか。いくら言っても聞いてくれないドリーに、たまらず声を荒げそうになる。だが直後、連れ出された茂みの向こうにあったものを見て言葉を失った。
「これは……」
そこにあったのは、小山だ。たくさんの薬草や鉱石といった森の資源がきちんと種類ごとに分類されて、そこにこんもりと盛られていたのである。茫然と佇み、目を瞬くばかりのギニエットに、ドリーは褒めてほしそうにピョンピョンとその周りを跳ね回っていて。
やがてどさくさに、何かをギニエットの手に握らせてきた。クシャリと手渡してきたその小さな紙片は、見れば「オムライス」と書かれたサービス券で。
「ああ……」
不安で、とにかく必死で、でもどうしていいか分からなくて。それでも今までどうにか堪え、抑え込んできたものが、そのとき決壊する。
「ダメだよ、ドリー。だってオムライスは今朝も、作ってあげただろう……?」
気付けばポロポロと、止めどない涙となって零れ落ちていた。
「2人で決めてあったじゃないか。朝と夜は違うメニューを注文することって……」
「あい……?」
「あぁ、ごめん。何でもない、何でもないんだ。大丈夫だから……」
分かっている。小さな子どものまえで、良い大人がこんなグズグズと泣き出すなんて情けない、みっともないことだ。分かっていても、ちっとも止まってくれやしなかった。声を震わせながら、心配そうにのぞき込んでくるドリーの頭に手をやり、撫でてやる。
しばらくそうして誤魔化して、感情の波が収まってたところでギニエットは答えた。これ以上ドリーに不安を与えてはならないと、またゴシゴシと目元を拭って。その場に片膝をかいて、ドリーに目線の高さを合わせる。
涙に濡れた顔を見られるのは恥ずかしかったけれど、それでもちゃんと面と向かって伝えたいことがあったから。
「ありがとう、ドリー。これ全部、僕のために集めてきてくれたんだよね? すごく嬉しいし、助かるよ」
「あいっー!」
「でも、ごめんね。今日はたぶん、何も返してあげられないんだ。オニギリくらいならどうにかなるかもしれないけど、ちゃんとしたものは何も作ってあげられないと思う」
「あいあー!」
「えぇ、それでもいいって? 気を使ってくれてるのは嬉しいけど、少しはガッカリもしてくれよ? じゃないと普段、僕が腕を振るってる甲斐がなくなるじゃないか」
「う、あうー……」
「遅いって。まったくもう、君ってやつは……。でも、ありがとう」
事態はよほど深刻で、こんなコントみたいなやり取りをしている場合じゃないのに。気付けばその無邪気さにつられて、ギニエットも笑ってしまっていた。
できることなら、こんな他愛のないやり取りをずっと続けていたい。けれどもう、時間がなかった。だから本題を切り出す。ずっとクヨクヨしていたけれど、抱えていた迷いにやっと答えを出せたから。
「聞いて、ドリー。今この森のどこかには勇者っていう、村の外から来たとても怖い人がいるんだ。その人は君のことを探していて、見つけたら捕まえるつもりでいるんだよ。そうなったら最後、君はこの森から連れ出されて、二度と帰ってはこられない。僕たちはもう二度と、会うこともできなくなってしまうんだ」
「あい……?」
「でもそうならずに済む方法が、1つだけあるんだよ」
寂しそうに表情を落とすドリーの手を取り、懸命になってギニエットは続ける。
「前にも少し話したことがあったよね、僕の夢のこと。君が手伝ってくれたおかげで、その夢がようやく実現に向けられそうなんだ。だったら僕は、今夜にも出発しようと思う。そうしたら君を連れて、遠くに逃げることができるから。どうかな……?」
「あー、うー?」
「って、一気に言われても分からないよね。でもごめんよ、じっくり考えさせてあげられるだけの時間が、もう残ってないんだ。今この場で決断してほしい。でも約束するから……。もし君が付いて来てくれるなら今回分のお礼はきっちりするし、ご飯だって今まで通り君の好きなものを毎日作ってあげられる。それから――」
どうにか聞き入れてもらいたくて、ギニエットは一人、そんな交換条件を早口にまくしたてていた。必死だった。欲しいものをもらうためには、とにかくまずはそれに見合うだけの対価をこちらが提示しなければならないから。
それが楽でなかったこれまでの人生で、ギニエットに沁みついていた処世術だったから。けれど、そんな必要はなかったのだと気づかされる。小さな手の温もりが、ギニエットの指先にぎゅっと添えられていたから。
そう、ドリーの返事は、いつもと何ら変わらなかったのだ。にっと無邪気に笑いかけて、子どもらしく元気よく応える。
「――あいっ!」
答えなんて最初から決まり切っていたよと、そうギニエットを安心させるように。




