2-5.トレードオフ
ギニエットがその少女と頻繁に顔を合わせるようになったのは、それからのことになる。というのも、いつも決まった時間に森へ入るギニエットを、少女の方が待ち伏せるようになってしまったからだ。森を歩いていて妙な気配があると、大抵は彼女だった。
その狙いは明らかで、ギニエットの持ってくるお弁当である。やはり最初の1回で甘さを見せてしまったのがよくなかったのだろう。森に入る度、バレバレの隠密行動で付いて回られるようになってしまっていた。
そうしてお昼どき、適当な空き地を見つけて腰を下ろし、お弁当の蓋をパッカンと開けてみる。すると彼女は遠巻きに姿を現すのだ。木陰に隠れて、物欲しそうに口元に指をやりながら。それがあまりに最初のときとまったく同じ構図なものだから、ギニエットははぁとため息を零した。
もっと分かりやすく、食べ物目当てに襲い掛かってくるなら姿勢の見せようもあるのだ。だがどういうポリシーなのか、少女は決してそういった強硬手段には出てこないのである。ギニエットが施さない限りは、いつまでもそこで、そうしているばかりで。
だから余計に始末が悪かった。振りほどくことができなければ、捨て置くこともできない。故に彼が下す結論もまた、いつも通りで。
「食べたいなら、おいでよ」
諦めたようにそう言うと、表情をパッと明るくして、たったと駆け寄ってくる少女だった。そうして彼女が幸せそうにモグモグしている姿を、ギニエットもまたまんざらでもなさそうに眺めていて。あらかじめ二人分を用意してくるようになるまで、そう時間はかからなかった。
そんな日々が続くうちに、いつしかギニエットと少女の関係も変化していく。まず最初に驚かされたのは、少女がギニエットの採集活動を手伝ってくれたときのことだ。まだお昼の時間には早いのに、腕いっぱいに何かを抱えて少女がやってきたものだから、何かと思ったら。
「あいあいー!」
そんないつもの掛け声とともに、バラバラと地面に落として見せたのは薬草や鉱石といった森の資源である。
「えぇ、どうしたんだいこれ!?」
ギニエットは驚いた。それは生活の基盤とするため、彼が日々集めている種類のものだったからだ。
「あいあー!」
「ええと……ひょっとして僕のために集めてきてくれたとか、なのかな?」
「あいあいー!」
「そんな、まさか本当に?」
信じられないと目を見張り、戸惑うギニエットに、少女は屈託のない笑顔を向けていた。
少女が毎日のように森から資源を集め、ギニエットのもとに届けてくれるようになったのはそれからだ。どうやらギニエットを付け回すうちに、少女は彼が必要とするものを覚えたらしい。物資は日々、収穫高を増して届けられるようになった。
そうとあってはギニエットも、何の返礼もしないというわけにはいかない。成果にはそれに見合う報酬がきちんと支払われるべきである。ならばと、日課となっていたお弁当作りに力が入った。
最初は簡素なものだったお弁当箱の中身が、日に日に手の込んだものとなり、グレードアップしていく。そうして気づけばギニエットと少女の間にはいつしか、持ちつ持たれつの協力関係が敷かれていたて。
「さぁドリー、クイズだよ! 今日のお弁当の中身が何か、分かるかい?」
笑顔でそんな出題をしながら、ギニエットは用意してきたお弁当を楽しげに少女――もとい、ドリーに差し出す。すると彼女は近づけた鼻をクンクンと鳴らして、「あいー?」よく分からなそうに首を傾げるので、ギニエットはパッカンと中身を空けて答え合わせとした。
「残念、不正解! 今日のお弁当はね、チキンライスさ!」
「あうあー、あいー!?」
「おっ、その反応は見るのも初めてかな? よし、それじゃあさっそく食べてごらん! すっごくおいしいよ!」
「あいあいー!」
渡された子ども用のスプーンを手に取り、かき込むように夢中になって食べ始める。最初は何かと手で食べようとしていたドリーだが、食器の持ち方はギニエットが教えてあげたことだった。
ちなみにドリーというのは、ギニエットが付けた少女の呼び名になる。この手のネーミングセンスにはちっとも自信がなく、とりあえず森の精ドリアードにちなんで付けたものなのだが。どうやら気に入ってもらえたようで、呼ぶと元気に答えてくれるまでになっていた。
そんな日々を送るうち、徐々にギニエットの生活サイクルも変わり始める。それまでギニエットが森に入って採集活動を行っていたのは、店を開くまで少しでも出費を押さえ、資金を節約するためだったのだが。ドリーがそれを担ってくれるようになったおかげで、朝から晩まで料理の研究に専念することができるようになっていた。
もちろん、それでドリーと会う機会が減ってしまうようなこともなかった。彼女は決まって早朝と夕方に、ギニエットのところに訪れるようになっていて。朝のまだ早い時間、カランコロンと鳴り響いた耳心地の良いベルの音が、開店前の店内に来客があったことを報せる。
「あいー!」
するとそんなお決まりの掛け声とともに勢いよく店内に駆け込んできて、カウンター席に飛び乗るのはドリーだった。
「おお、来たね。いらっしゃい」
それをギニエットは、エプロンで手を拭いながら柔らかな表情で出迎えて。
当初は服とも言えないボロ布を纏い、髪もボサボサで身体も薄汚れていた彼女である。だが今は違った。わざわざ下町に降りて買ってやったちゃんとした服を着せ、身体も数日に一度は洗わせるようにしている。髪もギニエットが時おり櫛を入れてやり、整えてやっていた。
おかげで今はそれなりに身なりは整い、もし村の誰かに見つかったとしてもどうにか言い訳が立つくらいの見てくれにはなっている。靴だけはどうしても気になるようで、履いてはくれなかったけれど。ともあれ見かけはすっかり野生児を卒業し、幼い村娘となったドリーだった。
着席するなり、「あいー!」とカウンターに叩きつけたのは、「おむらいす」と店のメニューが書かれた小さな紙きれである。それはまだうまく言葉を話せないドリーのために、ギニエットが用意してやったサービス券だった。
どの券を出せば何が食べられるのか、今やドリーは完璧に熟知している。なかでも一番、注文されることが多いメニューがこのオムライスだ。
朝と夜にこうして振る舞っているのだが、朝はもう何日も連続だった。あんまりオムライスばかり注文されるものだから、朝と夜に同じ注文はできないとルールを設けたのも最近のことで。
「好きだねぇ。そんなに気に入ったのかい? オムライス」
「あいー!」
「でもせっかくだし、たまには他のも食べてみたらどうかな? 朝のメニューだって色々あるんだよ? ホットドックとか、スパゲッティとか」
「あうあー!」
「はいはい、分かったよ。オムライスだね」
「あい~!」
そんな会話になっていない会話を経て、やれやれとフライパンを振り始めるギニエットだった。このところはそんなやり取りが日課となっている。その後の流れはいつも通りだ。
使い慣れないスプーンを駆使してオムライスを残さず平らげたあと、ドリーは再び森のなかに戻っていく。そうしてギニエットに代わって資源を採集してくるのだ。採ってきた資源は夕方ごろ、また店に帰って来たときに受け取り、また同じように夜ごはんも振る舞うというわけだ。
ちなみにお昼はお弁当を持たせているので、お腹を空かせることもない。当初の持ちつ持たれつの関係を発展させた結果、近ごろはこの形に落ち着いていた。
そうすることで時間をフルに使って料理の研究に没頭することができるので、ギニエットが受ける恩恵も大きいのだ。もはやドリーの手助けは、ギニエットの生活に欠かせないものとなっていた。
「あーいあいっ! あーいあいっ!」
「こらドリー、はしゃがないよ。そういうのはお行儀が良くないんだからね。待っているときは静かに」
「あいぃ……」
好物を作ってもらえるので気分が上がってしまったのか。食器を鳴らし始めたドリーを優しく窘め、落ち着かせるギニエットである。分かりやすくシュンとするドリーの素直さは、微笑ましいものだった。
まるで娘ができたみたいな今の生活に、充実感を覚える。だが一方で、ギニエットには迷いも募っていた。頭では理解していたからだ。この生活を、いつまでも続けていくことはできないと。理由は大きく2つある。1つはやはり、ドリーの正体が半魔であることだ。
本来であれば、いまギニエットがしていることは立派な犯罪行為にあたる。近くに半魔がいることを知りながら、その存在を隠ぺいしているのだから。元冒険者である以上、知らないでは済まされないことだった。常識的に考えれば、今からでも近くの冒険者ギルドに申し出るべき事案である。だが――。
「でもそれをすれば、ドリーは……」
暗い未来を想像し、振るっていた料理の手がふいに止まった。無論、良心の咎めもあってそうすることは何度も考えた。
でも、できなかった。聞いたことがあったからだ。半魔が見つかった場合、現地には手練れの冒険者や勇者が派遣され、速やかに駆除されると。ともすればそんなドリーを突き出すような真似が、今さらギニエットにできるはずもない。
ではこのまま、ずっと黙っていればいいのか。もしこの先もずっと森の近くに居着くつもりであったなら、その選択肢だって考えられたかもしれない。でも、実際はそうではない。
そもそもギニエットがこの村に来たのは、かねてから抱いていた夢の実現に向けて武者修行をするためだ。だがそれも大詰めに差し掛かりつつある今、これ以上村に留まる理由も失われつつあって。
それがそのまま、2つ目の理由になる。実に一年近くもの時間をかけて、人生の大一番に打って出るための準備を念入りにしてきたのだ。それを今さら棒に振ることはできないし、年齢的なことを考えてももうオチオチしてはいられない。
動き出すならば、そろそろが頃合いだった。でも、だとしたら、この子のことはどうすればいいのか。その答えだけが、いくら考えても見い出せなくて。
一緒に連れていきたい気持ちは、もちろんある。でも下手に連れ出すより、ここに残していった方がずっと安全なのではないか。この子にとっての幸せなのではないかと、そう思えてならなかった。
「あい~?」
「あぁ……ごめん、ごめん。何でもないよ、ちょっと考えごとさ。それより、さぁできたぞ! 今日も最高にフワトロな僕の傑作オムライスを、召ーし上ーがれっ!」
「あいあいあー!」
いったい自分がどうしたいのか、どうしてやるべきなのか。分からないまま、ただ決断を先送りにするばかりだった。




