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2-4.小さな取り引き


 この少女はいったい何者なのか。 その答えにギニエットが思い当たったのは、それから程なくのことである。聞いたことがあった。 ときおり世界に自然発生するという、半魔と称される存在について。


 まさかこんな身近に、それも子どもの姿で現れるなどとは予期していなかったけれど。恐らくは間違いないだろうと、ギニエットは確信する。先ほど目の当たりにした野獣を追い払うほどの大咆哮だって、およそ人間業ではなかったのだから。


「キミはひょっとして、その。半魔ってやつなのかな?」

「あいー?」


 おずおずと一応は尋ねてはみたものの、言葉が分からないのか。不思議そうに首を傾げながら、返ってきたのはそんな返事になっていない返事で。


「……いや、あいーじゃなくて」

「あいあいあー!」

「参ったな」


 ギニエットは判断に迷った。もしこの少女がただの子どもであったなら、迷わず村に連れて帰っただろう。そして親のもとに帰れるよう、できるだけの手は尽くしたはずだ。


 だが、半魔となれば話は別だった。その存在がいかに危険で、不安定なものであるかは冒険者時代にもよく耳にしている。中には危険性のない善良な者もいるらしいが、この少女がどちらなのかなんてギニエットには分からない。


 だから、迷った末に彼は立ち上がった。そしてそれ以上は何も告げることもなく、ただ静かに踵を返す。本来、半魔を発見した場合、なるべくその場での手出しは避け、然るべき機関に報告することが冒険者の義務となっている。


 だがこのときそれをしなかったのはもう冒険者ではなかったことと、危ないところを助けてもらったことに対しての、せめてものお礼のつもりだった。これ以上、関わらないようにすることが、きっと互いにとっての幸せなのだろうと。すると少女は――。


「あいー?」


 どうして自分は置いていかれてしまうのか。その理由も分からなそうに立ち去っていくそんなギニエットの後ろ姿を1人、ただポツネンと見送っていて。


「……ごめんよ」


 良心が痛むが、ここはとぐっと振り切り、それだけ言い残してその場を後にするのだった。





 しかしこのとき下したその判断こそが実に甘々だったのだと、ギニエットは後になってからそう振り返ることになる。舐めていたのだ。軽く見積もりすぎていた。多少、言い聞かせたくらいで聞くわけもない、子どものもつ好奇心というものを。


 それからしばらくが経ち、森の中を歩いていたときのことだ。一時は危うく命まで取り落としかけたこともあって、このときギニエットの足取りは普段よりかなり慎重なものとなっていた。なればこそ、気付かないはずもない。ふいに足を止め、後方を振り返ってみる。すると――。


 ――ピュン!


 何やら小さな者影が、すぐそこの木陰に慌てて身を隠したではないか。その動きが明らかに小動物なんかのそれではなかったものだから、ギニエットは目を凝らし、じぃ~っとその辺りを凝視する。すると向こうもこちらの様子を確認しようとしたのか、小さな肩元とかその特徴的な緑色の前髪なんかがちらりと見えて。


 何のことも無さそうに、いったんふぅと息をついてから額の汗を拭うギニエットである。そして。


 ――付いてきちゃってるうぅぅぅーっ!


 ガビーンとなって、そんな絶叫を心の中で張り上げた。


 どうしよう、どうするべきか。内心で慌てふためきながら、ギニエットは必死になって考えを巡らせる。これは実にまずい状況だった。何より最悪なのは、このまま後を付けられれば少女を村に連れ込んでしまう可能性があることだ。


 それはいけない。それだけは絶対に避けなければならなかった。何としてでも、村に帰るまでにこの少女を振り切るのだ。そんな使命感のもと、ここはともかくとギニエットは走り出す。


 だが今にして思えば、これも愚かな選択だった。早々に気付くべきだったのだ。いくら元冒険者で山道に覚えがあったとはいえ、所詮はぬくぬくの文明人出身。そんなギニエットがいくら全力で森を駆け抜けたところで、敵う道理なんてあるわけがないことを。


 ――恐らくはその半生のほとんどを森のなかで過ごしてきた、本物の野生児を相手に。


「くそ、付いてくるな! 来るなって、あーもうっ!」


 埋めようのない経験値と実力、ついでに体力の差。それをまざまざと見せつけられるまでしばらく、ギニエットと少女の追いかけっこは続くのだった。そんなこんなで、結局である。


「無理だよぉー!」


 少女を振り払うことができないまま、先に音をあげたのはギニエットの方だった。ヘトヘトになりながら、気づけば森の空き地に大の字となって、天に向かって抗議する。それに免じてもう許してはくれないかと、期待もせず頭をグッと持ち上げてみれば。


「あうあー?」


 案の定と言うべきか。そんなギニエットの心境も露ほども知らなそうに、近くの木陰にはこちらの様子をじぃっと伺っている少女の姿があって。それでまたドッと疲れが出て、持ち上げていた頭を地面に落とすギニエットだった。


「もう、勘弁してよ……」


 たまらずそんな泣き言を零し、トホホとなりながら。


 そして、ギニエットは結論を下す。とりあえずもう自力でこの少女を振り払うことは、諦めるほかないだろうと。全力なんてとっくに出しているし、それでもこうしてケロリと付いてこられてしまったのだ。ともすればもう、打てる手なんて何も残ってやしなかった。


 ただ不幸中の幸いがあるとすれば、どうやら少女は敵意や害意をもってこちらに接してきているわけではなさそうということ。そうでなければとっくに餌食だろうし、獲物をいたぶって狩りを楽しんでいるという風にも見えない。


 心なしか少しずつ距離が近づいてきているのは、単に懐かれつつあるだけだろう。まったくもってそれはギニエットの思惑とは逆で、不本意のことではあったけれど。


 ともあれ、差し当たって命の危険がないというのは大きかった。状況は深刻だが、時間さえあるなら何らかの次善策を講じることだってできるかもしれない。


「さて、ここからどうしたものか……」


 森の空洞から空を見上げ、途方に暮れながらそんなことをぼやいてみる。ぐぅ~と、腹の虫が空腹を伝えてきたのはそのときだった。無我夢中で気づかなかったけれど、そういえば朝から何も食べていない。


「ぃよっし!」


 気を取り直して、ひとまずと上体を起こすギニエットである。腹が減っては戦はできぬ。ならばひとまずは、腹ごしらえから済ませてしまおうではないか。先のことを考えるのは、その後でいい。


 そうと決まればと、さっそく準備に取り掛かった。近くにあった手ごろな小岩のうえに腰を下ろし、ザックから取り出したのは自宅で用意してきた簡易の弁当箱だ。パッカンとその蓋を開ければ、中から形の整ったきれいなおにぎりが2つほどおまみえして。そして――。


「んあー」


 その1つを手に取り、大口を開いたところで、ふいにギニエットは動きを止めた。何やら視線を感じたからだ。並々ならない熱量で、一心に注がれるそれを。まさかと思って見てみれば、やはりだった。


「あいあー……」


 木陰から半分ほどはみ出し、物欲しそうな表情でギニエットを見つめる少女がいた。半開きとなった口からボタボタと涎を零し、その視線は彼が手にするおにぎり1つに釘付けとなっていて。どうしてこうも失策を重ねるのかと、頭を抱えるようにしてギニエットは項垂れた。


 だがここで甘さを見せようものなら、さらに付け入られることになるだろう。それはいけないと心を鬼とし、毅然と接することにした。


「ダメだよ、あげないからね」


 先回りでそう言い聞かせておき、プイと視線を逸らす。その温度はせいぜい、親戚の子どもに手を焼かされる縁戚のそれだ。根が優しくて温厚な性格のギニエットには、それが表現できる厳しさの限界だったから。


 もちろん、そんな生半可な態度では何の抑止にもならない。相手が子どもで、食欲が絡んでいるともなればなおさらだった。かくして、あとのことはダルマさんが転んだ状態である。襲い掛かられこそしなかったが、ギニエットと少女の距離はみるみるうちに縮まっていき。


「さすがに近くないかな……?」


 気づいたときには、少女はギニエットの目の前に。小膝を抱え込むようにして座りながら、ただ一心に、結局まだ一度も口を付けられずにいたオニギリをじぃ~っと見上げていて。そこでキュ~と小さな腹の音を聞かされれば、もう打つ手なんて無かった。


 はぁとため息をついてから、おにぎりを少女に手渡してやる。

 自分の甘さを、ほとほと嫌になりながら。


「食べなよ。お腹、空いてるんだろう?」


 すると少女は、受け取ったままポカンとしていて。本当にいいのかと尋ねられているように思えたので、ギニエットは手を振って続けた。


「いいよ、僕はまだそんなにお腹も空いてないしね。さっき助けてもらったお礼さ」


 どうも言葉は話せずとも、こちらの言っていることはそれなりに伝わっているらしい。それを受けて恐る恐ると、三角形のてっぺんを一口かじり取る少女である。やがて安心したか、パクパクと食べ始めて。


「どうかな、お口に合いそうかい?」

「あい~!」

「そうかい、それなら良かったよ。ところでもう1つあるんだけど、もちろんこれも欲しいよね?」

「あいあー!」

「よーし、それなら取り引きといこうじゃないか。僕はこれをキミにあげるよ。その代わりキミは、これを食べ終わったら回れ右してまっすぐお家に帰るんだ。そして、僕にはもう二度と関わらないこと。いいね?」

「あいあいあー!」


 口いっぱいに頬張りながら、気前よくそんな返事をしてくる少女である。無論のこと、たぶん何も理解してないだろうことはギニエットとて分かっていた。でもこればかりは仕方がないだろうと、割り切る。


 だって、そうだろう。仮にも自分の夢は料理人になって、いつか自分のお店を構えることなのだ。ともすれば、目のまえでお腹を空かせた子どもを捨て置くなんて、そんなこと。


「おいしいかい?」

「あい~!」


 できるはずもなかったのだから。

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