2-1.辺境のカフェ
ある日のこと、ククルゥが訪れていたのはとある喫茶店だ。そこは山奥にある小さな農村の外れで、付近にただ1つしかないコーヒーカフェである。
――いや、その表現にもいささか誤りがあろうか。なにせ1つしかないというのは、何も飲食店に限っての話ではないのだから。つまるところこの村は、本当に何一つと言っていいほど何もなかった。
雑貨屋や露店、その他の商業・公共施設はもちろんのこととして、どんな田舎にだって1つはあって然るべき診療所や駐在所の類すらも。いったい何が困るのかと言わんばかりに、清々しいまでの皆無さだった。
在るのはただ、見渡す限りに広がるとにかく広大な耕地と畦道。加えて美しくならされた緑の景観と、そこにときどき古い民家の藁ぶき屋根が映えるばかりで。早い話が、そこは住人のほぼすべてが老人で自給自足の生活をのほほんと平和に送る、辺境も辺境のド田舎だった。
おかしな話だと思う。辺り一帯、こんなにも緑豊かな自然で溢れているというのに、一応は都会育ちで余所者のククルゥからすれば、これはこれで砂漠みたいなものなのだから。
――そう、この村全体を砂漠にたとえるなら、まさにこの喫茶店こそがオアシスなのである。この村で唯一にして、最後の商業施設で。だがそれも、つい数時間まえまでの話だ。なにせその最後のオアシスも、いまこのときをもって枯れようとしているのだから。
店内の片隅にあるテーブル席にちょこんと腰かけ、なんとなく窓の外を眺めていたククルゥである。同じようになんとなく目をやった店内には、どことなく物寂しさが漂っていた。照明の落とされた薄暗い店内には他に客の姿はなく、もう掠れてしまっているチョーク文字で『本日のおすすめメニュー!』などと書かれた立て看板も店の内側にしまい込まれてしまっている。
また時刻はまだ正午でこれからが繁盛する頃合いだというのに、出入り口にかかったプレートもすでに営業終了を示していた。ともすればまるで閉店後の店内に1人、取り残されてしまったようにも思えて。何だか妙にうら寂しかった。
だが、それも仕方のないことだ。なにせこれは臨時営業。すでに役割を終え、止まってしまっていたはずのゼンマイが少しだけ、気まぐれで巻き戻された。その結果としてできた、本来はなかったはずのひと時なのだから。
トポトポとそのとき耳心地の良い音がして、ククルゥはふいに視線をカウンター席の方へと向ける。その向こう側に立っていたのは、1人の壮年の男だ。身長は高めで、体格は痩せ型。清潔感のあるカフェユニフォームに身を包み、胸もとには蝶ネクタイを結んでいる。ヒゲの剃り残しが少し見えるけれど不潔感はなく、身だしなみと合わせればそれが味のある感じにもなっていた。
彼はギニエット、この店のマスターである。それも正確には過去形のことではあるが野暮なことは言うまい。視線を手元に集中し、慣れた手つきで彼が仕立ててくれているのはククルゥの注文した一杯のコーヒーだった。それもこの店で出すことになる最後の一杯である。
だからかその表情はとても優しげで、丹精を込めてくれているのがよく伝わるものだった。でも一方で、それと同じくらいにどこか寂しそうでもあって。
「ごめんね、いきなりこんな。僕の我がままに付き合わせちゃって」
「いえ、大丈夫ですよ。今のところ、そんなに急ぎに用というわけでもないので」
すると申し訳なさそうに彼が言うので、ククルゥはゆるゆると首を横に振って答えた。べつに構いやしなかった。確かにもともと此処を尋ねたのは別の用向きがあってのことだし、こうなったのも彼の方から誘いを受けたからで、言ってしまえばただの成り行きである。
だが今この瞬間こそが、これまで彼が歩んできた人生のターニングポイントだというのなら。それを振り払うほどせっかちな人間ではありたくないと、ククルゥはそう思うのだ。
それにこれは後に必要となる情報提供を仰ぐためにも欠かせない、大事な交流の機会である。ともすれば、これは大変に意義のある時間なのだ。まさかそんな人情にかこつけてコーヒーブレイクありついているわけもないのだから。
よって一見して緩やかに見えるこの時間も、立派に仕事中なのである。これぞプロ意識の賜物としげしげ納得感を得ている、そんなククルゥの内心はさておき。
「お待たせしました、お客さま。こちらが当店自慢のコーヒーとなります。どうぞ、温かいうちにお召し上がりください」
ナプキンを肘にかけ、実にそれらしい改まった所作でお辞儀をしながら。やがてギニエットが運んできてくれたのは、良い香りを引き立たせた淹れたての一杯だった。そこにカチャリと、頼んでいないはずの一切れのケーキも添えて。
「あれ、頼んでないですけど……?」
「いいんだ、サービスだよ。もちろんコーヒーの代金も要らないからね」
「いや、そういうわけには」
「いいんだ、むしろお礼を言いたいのはこっちの方なんだから。気にしないで」
「お気遣いに感謝です。それではありがたく」
基本的には相手に気を遣わせたり、借りを作るのはどことなく落ち着かない気分となってしまうのがククルゥの性分だったりする。だがこういうとき、最もやってはいけないのは相手の厚意を無下にすることだ。その心得に則り、遠慮もほどほどに感謝を伝えてからさっそくとカップを手に取るククルゥだった。
ふぅ、ふぅ。風を送ってわずかに冷まし、火傷しないように気を付けながら少量を口に含ませる。正直なところ、さほど期待はしていなかったのだ。こんな辺境にただ1件だけある喫茶店が、そんな大した味であるはずもないと。だが――。
「え、おいしい……」
澄んだ黒い水面を見つめながら、それがククルゥが思わず零していた正直な感想だった。その反応に世辞や気遣いがないことを見て取ったか。いつの間にか対面の席に横向きに座り、どうだとククルゥの反応を観察していたギニエットは。
「良かった。これ、一応はこの店の看板メニューだったからさ」
テーブルに肘を付きながらそう言って、得意げにニッと笑いかけてくるのだった。
繰り返しになるが、彼はこの小さな喫茶店のマスターである。ククルゥともさっき挨拶を交わしたばかりでほぼ初対面の関係なのだが、なぜこんなサービスにありつけているのかと言えば、それはいくつかの偶然や気まぐれが重なってのことだった。
早い話が、この喫茶店は今日の午前をもって閉めてしまう予定だったらしい。その準備や後片付けにギニエットが追われていたところ、情報提供を求めてそこに立ち寄ったのがククルゥだったわけだ。
「そうだ、それならこういうことにしないかい?」
とそこで人差し指を立て、明るく提案を持ちかけてきのがギニエットの方である。
「ほら、こうして会ったのも何かの縁だしさ。せっかくだからこのお店の最後のお客さんになってよ」
なるほど、とそこでククルゥは思索する。ここに来るまでにも何人か村人との接触はあったが、話を聞く限りはとくに逼迫しているような様子も見受けられない。何よりこういうのは、堂々と経費で落とせるあたりがコスパ最高なのである。そんな裏勘定も立てつつ。
「えぇ、そういうことでしたら喜んで!」
二つ返事でにっこりと快諾し、今に至るというわけだった。まさか無償にしてくれるだけでなく、ケーキのおまけまでつけてくるとは思わなかったけれど。
というわけで、此処はきょうびをもって店じまいを迎える喫茶店である。だが実食を経てククルゥは思うのだ。これはあまりに勿体ない結末ではないかと。
口ぶりからしてギニエットは料理の腕に確かな覚えがあるようだし、店の内装を見てもそのインテリアはレトロな雰囲気で統一されていて、そのセンスの良さが伺える。
そもそもこの辺りは住んでいるのが老人ばかりで、自給自足やほんわか物々交換が生計の基本なのだ。万が一、不足があれば馬車で小一時間ほどかかるが、街に下りて物資を調達してくれば良いだけのこと。ともすれば喫茶店なんてオシャレチックなものは、さほど必要性もないのである。
――そう。今回、店の経営が振るわなかったのは単に立地が悪かっただけのこと。それこそ街にでも出れば、一山当てることだって夢ではないように思えて。その辺りの素直な所感を、ククルゥはギニエットにやんわりと伝えてみた。
「いやぁ、実はその通りなんだよねぇ」
すると返ってきたのが、どこか照れ臭そうにしながらそんな答えで。聞けば、ギニエットは少し前まで冒険者をしていたらしい。でも身体が資本のこの仕事、ずっと続けるには無理がある。年を重ねるごとにだんだん身体が言うことを聞かなくなってきて。
『はぁ、そろそろ引退かなぁ』
さてこれからどうしたものかと、夕暮れ時の石段に腰かけ、カックリ肩を落としていたときのことだった。かねてから頭の片隅にぼんやりと思い抱いていた夢をふと思い出したのは。
子どものころから、それはずっと秘めてきた夢だったのだ。いつか海の見える綺麗な港町に、自分の経営するカフェを開きたいと。思い立ったら、早い。それがギニエットの自負する数少ない長所の内の1つだった。
それからこの場所に居つくようになるまでは、割とトントン拍子に進んできたと思う。なんのことはない苦労話としてギニエットは続けた。
「つまり、僕はここで武者修行をしていたわけだよ。まずは料理の腕を確かなものにしたくてね。とにかく安く、それらしい建物を借りられる場所を探していたらこの村に行きついたってわけさ。本当にこの村は親切な人が多くてね。余所者の僕を快く迎え入れてくれたし、このロッジももう誰も使ってないからって格安で貸してくれたんだよ。それに採れたての新鮮な食材まで分けてくれてね、もう至れり尽くせりさ。あぁ、もちろんタダじゃないよ? 僕がときどき山に入って持ち帰ってくる鉱石や珍しい薬草なんかと交換してもらっているのさ」
「なるほど、そういうことだったんですね。それにしても、何かと交換で進めたがるんですね。ギニエットさんは」
「あはは、確かにそうかもね! もうクセになっちゃったよ、どうも貰ってばかりじゃ渡っていけない世の中らしくてさ」
「そうですね、世知辛いですから。貰っておいて言うのもなんですが」
「まぁまぁ、そんな日もあっていいじゃないか! 貰っといてくれよ」
手を振り、おかしそうに笑いながら手を振るギニエットだった。なんとなくだが、彼も相当の苦労人と見える。だが気付けばククルゥも、そんな彼に釣られてクスリと小さく笑いを零していた。
なんだろうか。たぶんだけど彼の持つその明るさは、これから多くの人を救っていくものとなるような気がするのだ。妙な親近感が湧いてくる。故に、彼の新たな出発が順風なものとなることを祈るばかりだった。
そうして一人きり談笑も盛り上がりを見せたところで、そわそわと居ずまいを正すククルゥである。今の話で合点がいったところがあり、その上で彼に尋ねたいことがあったからだ。珍しいことだった。
こういう雑談や他愛ないやり取りも含めたコミュニケーションスキルの全般に苦手意識を持つククルゥにとって、こうも自然な流れで話題を転換できるのは。ならばこの機を逃すまいと、意を決して踏み込むククルゥである。そして――。
「そのことなんですが」
「それでなんだけどさ」
被った。互いの掛け合いが見事なまでに。どうぞどうぞと譲り合いになるも、ここは流れを組んでギニエットから切り出すことになる。
「いや、僕のほうは全然大したことじゃないんだけどね」
すると彼はそんな前置きを入れてから、コホンと咳払いを1つ挟んで。
「1つ、クイズでもどうかなと思って」
笑顔でいきなりそんなことを言い出すものだから、呆気に取られるククルゥだった。
「へ、クイズですか?」
「うん、ただの余興だけどね。ちょうどいま思いついたやつなんだけど、どうかな?」
「え、えぇ……いいですけど」
「よし、それじゃあいくよ!」
まだ少し置いてけぼりをもらっているククルゥに対し、ギニエットはノリノリだった。どうやら彼は、その年になってもまだ童心というものを忘れてはいないらしい。かくして、そのクイズは出題される。にっこりと無邪気な笑顔の隣に、一本の人差し指が添えられて。
「実は、僕はこのお店で長いこととある動物を飼っているんだ。でも次のお店に連れて行く予定はないよ。だって、ひっきりなしに鳴かれでもしたら困るからね。否が応でもここに残していくつもりさ。さぁ、その動物とはなんでしょうか?」
「うん……?」
「ヒントは、そうだな。お店の中の様子をよく観察してみると分かるかもしれないね」
はてと、その答えを求めてひとしきり店内を見渡してみるククルゥだった。だが答えの手がかりになりそうなものは見当たらない。動物を模した置物や絵画の類も、一見して無さそうで。
「なんでしょうね。鳴かれると困るということは、ワンちゃんとかですか?」
何の捻りもなく、ひとまずそんな答えを当てずっぽうに寄こしてみる。するとギニエットは「残念!」と楽しげに不正解を言い渡して。
「答えは閑古鳥さ。ほら、『閑古鳥が鳴く』っていうだろ?」
「…………」
あっはっはと、コメントに困っているククルゥをよそに彼は1人で笑っているのだった。




