1-12.夢に消えゆく
「なるほどな。それでめでたく、洗脳状態から脱することができたというわけか」
呆れたようなレインの物言いに、返す言葉もなくコクリと頷き返すククルゥだった。再び意識が戻ったのはそれから数十秒後、シアに揺り起こされてのことになる。
「あれ……私は何を……?」
「姫たまー!」
感極まった2人からヒシと抱き着かれても、しばらくは頭がぼーっとしてはっきりしなかった。なんだっけと、されるがままポヤーとする。だが――。だがほどなくして、ハッと我に返った。
それはまさしく、晴天の霹靂ともいうべきニューロンレベルの覚醒だった。壮絶なフラッシュバックが巻き起こり、すべてを思い出す。直前までの出来事、ひいてはことここに至るまでの経緯のすべてを。
「のぉおおおおおーーーーっ!!!!」
瞬間、ククルゥに奔った戦慄と衝撃は計り知れない。今の今まで自分が洗脳状態にあって、一時は狂気にも映った彼らの行動が実際はククルゥを救い出すためのものだったという気づきも、十分以上に衝撃に値する。だが、それ以上によろしくないのは。
「まずい、これは極めてまずい状況ですよー!」
まだ問題の大本がなんら解決しておらず、自分が連れ込んだ異世界人の少年がすぐそこの一室でくつろいでいるという顕然たる事実だった。愕然とし、頭を抱えながら天に向かって叫ぶ。
だが、すぐに頭を振って思い直した。落ち着こう、すでに起こってしまったことを悔やんだって仕方がない。いま考えるべきことは、どうすれば起こってしまった問題をウヤムヤにし、もみ消すことができるか。それだけだと。
こうしてはいられないと、そう己を律するなり即座に立ち上がるククルゥだった。まだ希望は消えてないと、強い心でぐっと拳を握り込んで。
「ありがとうございます、2人とも! 私、ちょっと行ってきますね!」
そして再び、来た通路を走って引き返す。それはさながら深い絶望の底から立ち直り、最後の決戦に挑みに向かう勇者のように。
「あいー、がばてー!」
いつだってククルゥの味方でいてくれて、今も手を振りながら元気に送り出してくれている彼らの心強い声援を受けながら。
「あっでも、もしまた私がおかしくなってたりしたら、そのときはお手数ですがワンモアのほどお願いしますよ!」
万が一に備えたそんなお願いもきっちり去り際に残しつつ、ククルゥはその場を後にするのだった。
その先で語るべきことは多くない。きっとレインも見ていただろう通りだ。慌てて部屋に駆け戻ったところ見つけたのは、ありがたいことにちょうど窓の方を向いて夕焼けにたそがれているナオタの後ろ姿だった。
見たところ、こちらの精神操作が解けていることにまだ気づいた様子はない。よって、ククルゥは意を決した。背後から慎重に近づき、そのがら空きの背中に思い切って飛びついたのだ。相手の目を直視しないようにするには、それが一番確実な方法と思っての判断だった。
無論、なんら恥じらいもなかったわけではない。どちらかと言えばククルゥは潔癖のきらいを持っている方だし、トランスジェンダー的な輩から抱き着かれることはあろうとも、自分から誰かにそうしたことなんてこれまで無かった。それはそれは、多大な勇気と思い切りを要するアクションだった。
だがそれでも踏み切ったのは、もうなりふり構ってなどいられなかったからだ。よほどのことでもない限り、このときのククルゥはなんだってできた。インシデントをヒヤリハットに抑えられる可能性があるなら、なんだって。もはや後に引けない背水の陣なら、くくれる腹もあるというものである。
そんな覚悟をもって、勢いありきでえいやと飛びつく。飛びついてから、たちまちこみ上げてきた極限の羞恥にたちまち泣きそうな顔となって。それもどうにか凌いでから、次にククルゥがやったこと。それは健康チェックという、どこかいかがわしい名目を嘯いて執り行った身体検査だった。
以前、神さまのノアから聞いたことがあったのだ。リガリオンを使用するさい、もし対象者がこの世界の物質を石ころ1つでも所持していると、転送陣が正しく機能しない場合があるので注意するようにと。つまりあれは、その可能性を万が一にも排除するために仕方なくやったことだ。
やむを得なかった。数分とはいえ、目を離していたあいだに彼が何か妙なものを懐に忍ばせていないとも限らなかったから。だからああやって身体を密着させて、手指を侍らせてでもナオタの持ち物を確認する必要があった。それこそ上から下まで、くまなくである。
とりわけズボンのポケットを調べていたとき、妙な異物感とその正体に気付いたときはたまらず悲鳴をあげそうになったけれど。それも気合でかみ殺して、どうにか堪えた。こればかりは自らの油断と過信が招いた報いと、神仏にも祈る気持ちになりながら。
ということで、以上がことの真相である。ククルゥが踏み切ったあの一連の行為はすべて、自身の安全を確保しつつ、ナオタを無事にもとの世界に還すために必要だったからやったことだ。
まさかふしだらな意味合いなんて微塵も込められてやしない。自分の尻は自分で拭いたまでのことだ。本当はそれもダメだったことは、まぁ置いておくとして。
だから、こんなのはスクープでもなんでもないのである。まったくもって心外な言いがかりだ。むしろここに納められているのは、自らが犯した過ちを素直に認め、懸命なるリカバーに身を捧げるどこまでも神聖で健気な姿だというのに。
こんなのはアングルとかタイミングに悪意しか見えない、三流ゴシップ誌さながらのやり口だ。ゆえにククルゥは必死に言葉を尽くし、弁明する。なにがどうしてこの一枚が撮られることとなったのか、当時の心境、事情や経緯を余すことなく、赤面しながらツラツラと。こんな公開処刑は早く終わってくれと、その一心で。
「白々しいな」
「ぜんぶ本当のことですよ!?」
すると返ってきたのがそんなコメントだったもので、堪らず声を張り上げた。すべて分かったうえでなおも惚ける辺りが、レインの性格がいかにひねくれ曲がっているかを如実に示している。そこはもういつものことなので、諦観とともにハァとため息をつくに留めるが。
「その先のことはもう割愛でいいですよね。どうせ見ていたのでしょうから」
「あぁ、見ていたとも。ずいぶんときつい一発をくれてやっていたな。いや、2発か。気の毒に、あれは女の私が見ても胸が痛んだぞ」
「痛めるポイントが違うでしょうに。あと少しで部下の貞操が奪われるところだったんですよ。自業自得です、正当防衛です」
「ほぉ、立派なことじゃないか。自分のことは差し置いてよく言ったものだ」
「うぐ」
それを言われてしまうと、ぐうの音も出ないのだけれど。
「ま、まぁいいじゃないですか。結果として何事もなく済んだのですから、結果オーライということで」
「調子の良いことだ」
アセアセと笑顔で誤魔化すも、呆れたように鼻を鳴らすレインだった。
「それで結局、レインさんはいつから私たちをトレースされていたので?」
「おまえたちが路地裏で、何やら仲睦まじげに話し込んでいるときからだ」
「ほぼ最初からじゃないですか……」
「あぁ、こんなことならもう少しゆっくり来ればよかったと後悔している。いや、だがまぁ良しとしよう。おかげでこんなスクープにもありつけたわけだしな」
「あっ、まだ言いますか! しつこい人は嫌われますよ!?」
「さて、見ものだな。仮にこんな一枚が出回り、ギルドの他の面々が見たらどう思うのか。ジャッキーなどはさぞ面白がるだろう。ロイやイルルあたりの反応も気になるところだが」
「人選が最悪です、絶対にやめてください! 絶対ですよ、フリじゃないですからね!? こら、ニヤニヤしない!」
わちゃわちゃと、そんなやり取りも交えつつ。
「とまぁ、そんな冗談はさておき」
話をもとの路線に戻したのはレインだった。
「実際のところ、こんな一枚をモノにしてしまうほど状況を注視していたのは本当だ。おまえが自力で洗脳を解けるとも思っていなかったしな」
「それは……その通りですね。シアとノームさんに助けられました」
「捕捉した時点で私が介入しても良かったのだが、ひとまず様子を見ることにしたのはその場合のおまえの動きが予測できなかったからだ」
「えっ?」
「あるいはあの少年を、身を挺して庇うのではないかとな」
そう言われて、ククルゥは少し前の自分の思考を辿ってみる。すると確かに、否定はできなかった。あのときの自分なら、ナオタを守るためとあらばたとえレインが相手でも引かなかったかもしれない。そんなのは想像もしたくないし、勝敗も見えきっているが。
「結果としておまえが最後の手段に、奴をその本の世界に逃がしでもしたら面倒なことこの上ない。その可能性も考慮し、事を慎重に進めていたわけだ。念のためな」
「な、なるほど……」
そんなやり取りをもって、ようやくレインとの答え合わせは成る。仮に自分などが立ちはだかったところで、彼女なら秒で制圧できたはずなのだ。にも関わらず手を出さなかったのは、あるいは本当にパパラッチがしたかっただけなのではと疑惑の目を向けつつあったが。そうでないこと確かめられてホッと安堵の息をつくククルゥだった。
「ちなみにもしそうなっていたら、私はどうなっていたのでしょう?」
「簡単なことだ、飲み込んだというなら吐き出させるまで。拷問にでもなんでもかけてな」
「ひどい! 錯乱状態にあるかわいい部下にそんな……!」
「自業自得なのだろう?」
か弱い女を演じてホロリとしてみるも、返す言葉が見つからない。
「せいぜい感謝しておくことだな、そうならずに済んだことを精霊たちに」
「はい、そうしておきます。心から」
「それにしても破邪の剣か。名前はともかく、驚いたな。まさか精霊たちがそんなものを持っていたとは。知っていたのか?」
「一度見せてもらったことはありました。でもまさか本当にそんな効力のあるものだなんて。てっきり小人さんたちがそういう設定にしているだけのガラクタとばかり」
「精霊が神器を作り出す。それもまったくあり得ない話ではないが……仮にも魔神由来の力を封じ込めるとは思えんな」
そんなことを呟いてから、しばし考え込むレインである。
だがすぐに思い当たることでもあったのか。
「おまえ、あの少年の名前を知っていたか?」
ふいに投げかけられたのが、そんな問いかけだった。
「え、知ってますよ。ナオさんです。自分でそう名乗っていましたので」
「ナオ。それだけか? フルネームは?」
「フルネーム? いえ、知りませんけど」
「それだな」
すると何やら断定されて、何のことかと小首を傾げるククルゥにレインは続ける。
「この手の精神操作系の力で重要なのは相手との親密度だ。互いの情報をどれほど多く公開し、共有しているかが鍵になる」
「互いの情報……?」
「基本的なところで言えば相手の名前や年齢、家族構成なんかがそれにあたる。趣味嗜好まで含めれば、さらにその結びつきは強くなるだろう」
「つまりその辺りの情報を私が開示していなかったから、小人さんたちの持っていたなんちゃって神器でも解呪できたということですか?」
「そういうことになるのだろうが……」
するとそこで言葉を切り、また何やら考え込むレインである。
「レインさん……?」
「いや、妙だと思ってな。さっきの話からすると、おまえがあの少年と接していた時間はそれほど長くなかったはずだろう。にも関わらず、なぜそもそもスキルが発動したのか。いくら名前を知っていたとはいえ、さすがにそれだけで発動するとは思えん。よしんば発動できたとしても、効果は数分と持たないはずだが……。つまりあの少年は、そこまで熱烈な自己アピールをおまえにしたということか?」「いえ、そんなことはなかったと思いますけど……。確かにいろいろアイスブレイク的な談笑はしましたが、彼のことで私が知ってるのってほんとに名前くらいですよ?」
「だとしたら消去法で、おまえから何か打ち明けたことになる」
「えっ、してないですよ。そりゃ初めましてで名乗るくらいはしましたけど、それだけです。ちょっとなんですか、その疑いの眼差しは。だって教えるわけないじゃないですか。個人情報ですよ。会ったばかりの見ず知らずの相手にそんなほいほいと」
さすがにそこまで脇の甘い女ではないと、そう抗議しかけてククルゥはハッとする。思い出したのだ。趣味嗜好までとはいかないまでも、ナオタから尋ねられたのを皮切りに、彼に口々に近ごろの『悩みごと』を打ち明けてしまっていた、その事実を。
もしあれがトリガーとなって、ナオタとの結びつきが不必要に強まってしまったのだとしたら……。
「なぜそこで黙る?」
「……いえ、とにかく私はなにもしゃべってないです」
「そうか、では私の目を見て言ってみろ。おい」
咎めるような目を向けられ、顔を背けることしかできないククルゥである。この一室が経費で落とすつもりだったスイートルームという辺りも含め、いましばらくレインの追及は続くのだった。
――ところで、某所。
「うわっはぁ!」
桜のきれいな公園のベンチで、うたた寝から飛び起きる1人の少年がいた。反動でドテッと少し下の地面まで落っこちるも、やがてズリズリと身を起こす。
おっと、いけないいけない。どうやらあまりの心地よさに、いつの間にか寝入ってしまっていたようだ。幸いにも目撃者がいなそうなことを、手を頭の後ろにやりながら確認して。
「……うん?」
そのとき何か引っかかるような感じを覚えて、ハテと首を傾げた。何か大切なことを忘れている気がするのだ。それも、とてつもなく重要なことを。でもそれがなんだったのか、不思議なことにさっぱり思い出せない。すっかり寝ぼけてしまったのだろうか。
「あれどうしちゃったんだろう、ぼく」
ただなんとなく、ついさっきまで此処ではないどこかにいた気がするのだ。それこそ、もっとずっと遠い世界に。さらにはそこですごくワクワクすることが始まりかけていたようにも思うのだけれど。
はて、いったいなんだったか。考えあぐねるも、心当たりに行き着くことは結局叶わず。そうして気持ち空の上を見上げながら、彼はポツネンと呟くのだった。
「夢でも見てたのかなぁ?」




