1-1.初めての異世界
「うわっはああああーーーー!?」
昼下がり、とある街中でのことだ。素っ頓狂な絶叫があがる。
驚きと混乱の入り混じった、それは渾身のシャウトだった。
その出所は、とある1人の少年だ。黒髪に学生服姿で、肩から斜め掛けしたスクールバッグの帯を、まるでしがみつくみたいにして握り締めている。ガニ股気味に開かれた、やや平均より短めの足は、頼りなさげにプルプルと震えていた。
繰り返しになるが、そこは街中である。しかも近くには大きな噴水が目を引く、公共の広場なんてものがあるから人通りも多い。おまけにこの日は週末だったので、なおさらだった。広場はたくさんの親子連れやカップルで賑わっていた。そんな場所で、今みたいな大声をいきなり張り上げたらどうなるか。
答えは、少年がその身をもって知ることとなった。奇異の視線、あからさまな軽蔑の眼差しが一斉に少年へと向けられる。
しかし、そんな周囲からの冷ややかな反応も、彼は一向に意に介さなかった。それは何も、彼が鋼のメンタルを持ち合わせていたからではない。
単純に、それどころではなかったのだ。少年はひどく混乱していた。いったいここは、どこなのだろうかと。だって、ついさっきまで自分は下校中だったはずだ。
さんざ歩き慣れた通学路、自宅に続く帰り道の坂をとぼとぼと下っていた。公園の桜がきれいでなんとなく寄り道をし、ベンチで心地よい眠気に誘われウトウトしていたのが最後の記憶である。
それがいったい、何をどうしてこんな場所に出てしまったというのか。周囲は見知らぬ光景で溢れている。
少なくとも日本のものではないとわかる、しかし西洋風のものとも違う、一風変わった街並み。大通りに沿って並ぶ街灯はどれも奇妙な形に捻じくれ曲がっているし、宙に浮いた球体からひとりでに水を溢れ出させている噴水の原理も、まったくもって不明だ。
おかしいのはそんな街の光景ばかりではない。
街行く人々にしたってそうだ。
金髪をカールさせたでっぷりお腹の貴族風の男爵。ビラ配りをしているケモミミメイドがいれば、活気のある声で客を呼び込んでいる露天商人たちの姿のある。そして、ふと目をやった通りの向こう側にはひときわ目を引く、若い男女の4人グループがあった。
先頭を行く青年ははためく青のマントに片手剣を装備し、続く大柄な男は全身に鎧をまとった上に身の丈ほどもある大きな盾を背負っている。最後尾を行く小柄な少女は、白を基調とした法衣に金の錫杖を携えてと見るからに聖職者と分かる出で立ちをしていた。
「冒険、者・・?」
ふいに頭に浮かんだそんなワードが、口をついて出てしまう。自分とさして年も変わらないだろう彼らを見送りながら少年はただただ、ぼう然と立ち尽くすばかりだった。やがてその姿も雑踏のなかに見えなくなってから、ようやく少年は元の思考へと立ち戻る。ここはいったい、どこなのだろうかと。
今の時期にハロウィンイベントなんてないだろうし、こんなに大規模なコスプレ大会に参加した覚えもない。記憶でも飛んでしまっているのだろうか。何か根本的な思い違いをしていないか。
だが、その線も薄いだろうことはこの普段着ともいえる、ぱっとしない学生服姿が証明していた。しかし、だとすれば他にどんな可能性が残されると言うのか。眉間に人差し指を押し当て、うんうんと唸りながら、少年は必死になって、ことここに至るまでの経緯を思い返そうとする。
実を言うと、この時点で1つだけ思い当たる答えのフシは浮かんでいた。だが、少年はすぐにそれを頭から振り払っていた。そんなわけがないからだ。まったくもって、バカげているからだ。
もう早とちりや思い込みで黒歴史を積み上げることには、ほとほとうんざりしていた。でもだとすれば、今のこの状況は何だと言うのか。とうとう考えが行き詰まってしまった、そのときだ。
「おいこらぁー! そんなとこで何してやがる!?」
気持ち上の方から、そんな野太い怒声が降りかかってきたのは。
「えっ?」
いったい何事かと、声のした方を見上げてみる。それと同時に少年は気づいた。いつの間にか、やけにあたりが薄暗くなっていることに。だが、違った。そうではなかった。
少年の影はまた何か別のとてつもなく大きな影の中にとらわれていたのだ。答え合わせは、少年がそのぼんやりとした顔を上げてたらすぐだった。
カメだ。トラックほどもサイズのあるリクガメが長い首を伸ばし、少年を見下ろしている。口元の餌代にこんもりと盛られた藁を、もしゃもしゃと咀嚼しながら。
「あ、がっ・・!?」
突如として目の前に現れた、自然界における圧倒的な上位の存在をまえに少年は硬直し、1歩も動けなくなってしまった。
いったい、何が起きているのか。どうすれば、この状況から生き延びることができるのか。わからない。わからないまま、何十倍にも引き延ばされた数秒が生きた心地もしないまま、ただ過ぎ去っていく。
そんな昏倒寸前だった少年の意識を、すんでのところで現実へと引き戻したのは。
「おい聞いてんのかよ、そこのクソガキ! てめえに言ってんだぞ!?」
先ほど耳にしたのと同じ、憤慨した野太い男の声だった。一瞬、カメが口を利いたかのような錯覚に見舞われてしまう。
だが、そうでないことにはすぐに気づいた。よく見れば、カメの本体と固い岩盤のような甲羅のあいだには、小さな御者台がくくり付けられているではないか。実際に声を上げていたのは、そこに陣取り、手綱をとっていた大柄な男だった。
「そんな道のド真ん中にボケッと突っ立ってんじゃねーよ! 通れねぇだろうが!?」
御者台から身を乗り出すようにして腕を振り上げ、続けざまにそんな怒鳴り声を散らしながら。そして、ようやく相手の言い分にまで理解が及んだのが、そのときだった。
「えっ、道・・?」
まさかと思いながら自分の立ち位置を確認してみる。すると、そのまさかだった。少年が立っていたその場所は、大通りに通っている複数車線のうちの1本、そのど真ん中だったのだ。どうやら周囲に気をとられているうちに、いつの間にか歩道からはみ出してしまっていたらしい。
「早くどけってんだよ。轢き殺されてぇのか!?」
「ご、ごめんなさいぃ!」
再三の怒声を受けるが早いか、少年は転がるようにして、慌てて道を開けた。
「ちっ、ガキが」
すると御者の男は、バシンと手綱を一振り。舌打ち交じりににらみを効かせながら、リクガメの行進とともに行ってしまった。ドシドシと胸を打つほどのほどの地響きともに、圧倒的な質量を誇る巨体が、目と鼻の先を横切り、遠ざかっていく。
道路脇で腰を抜かしながら、少年は長らくの間、その後ろ姿を見送るばかりだった。またも、周囲の視線を集めてしまっていることに気づかないまま、どれくらいが過ぎたときだろうか。
やがて誰も少年に興味を示さなくなった頃、心ここにあらずのまま、彼はゆっくりと立ち上がる。それから腰や膝もとに着いた砂埃を、パンパンと軽く叩いて払った。そんなゆっくりとした所作のなかで、いまや真っ白になってしまった思考を少年はどうにか立て直そうとしていた。
だが、そんなものは無謀な努力と言わざるをえない。何せ、処理するべき情報量があまりに多すぎる。こと、その割合をぶっち切りで多く占めているのが、いましがた目にしたあのリクガメだ。
断言できる。あんな恐竜サイズのリクガメなんて、いかに世界ひろしといえど、たとえ白亜紀まで遡ったとしても、少年の元いた世界には決して存在しえないと。その上で、あえてまだダメ押しを続けるならば。
もうずいぶんと今さらのことだし、だいぶ古典的な手法ではあるのだけれど。グニと、少年は自分の右側のほっぺを摘み、引っ張ってみる。するとそこから、じんわりと痛みがちゃんと広がっていって。
「痛い……」
確認したその事実を言葉にし、少年は心のそこから安堵した。何せ、ここまで来て、もし夢オチだっりしたら、もう立ち直れる自信がなかったから。だから、そこで少年はようやく確信できた。
これは夢でも幻でもなく、紛れもない現実なのだと。つまり、導かれる結論は1つだ。ここは少年の元いた世界ではない。
つまりは――。
「――異、世界」
つい先ほど、少年が思い当たったと同時に、真っ先に排除した可能性。それが口にした瞬間から、急速に現実味を帯びていく。
気づけば、こみ上げる興奮のままに、グッと握りこんだ拳とともに、少年は全力の快哉を打ち上げていた。
「僕はついに、異世界に来たんだあああああーーーーッ!!!」




