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 いつもと同じように、鳥のさえずりで目を覚ました。

 いつものように窓の外に目を向けて、本日の天候を確認するよりも早く、あの人のことを思いだした。昨日この部屋の窓の外まで来た、庭師の男の人のことを。

 頭の中に浮かぶ彼は、ほほ笑んでいる。

 想像力が描きだした幻、ではない。昨日、彼がわたしの前で見せたほほ笑み。それがそっくりそのまま再現されている。

 昨日、彼はわたしに向かってほほ笑んでくれた。わたしが見せたなんらかの言動に対して、なんらかの感情を表明するために、ではない。最初から最後まで、少なくとも、わたしが彼の姿を視界に捉えているあいだ、庭師さんはほほ笑みを絶やさなかった。

 わたしは人間と顔を合わせる機会が少ない。毎日二回アデルちゃんと、ごくたまに旦那さまと、会う機会があるだけ。

 だからこそ、わたしは誰かと顔を合わせるたびに、その人が発信する情報に神経を研ぎ澄ませる。

 昨日の場合も、もちろんそうした。だから、わたしは断言できる。

 彼のあのほほ笑みは、わたしを騙すために作られた偽りの表情ではなかった、と。

 でも、当時のわたしは、思いがけない事態が現実になったせいで、頭が混乱していた。心が慌てていた。そのせいで、彼のあのほほ笑みを見て、間違った判断を下してしまった。

 その結果、ひどい対応をとってしまった。彼の呼びかけを無視した挙げ句、心の中でのこととはいえ、彼を悪者扱いする、という対応を。

 自分がしたことを振り返ると、申しわけない気持ちで胸がいっぱいなる。過ぎ去ってしまったことだから、事実をなかったことにはできない。そう思うと、その気持ちはいっそう強くなる。

 だけど、必要以上に自分を責める気持ちはわいてこない。

 もう一度あの人に会って、ちゃんと謝ろう。彼がわたしのもとを訪れた理由を訊ねて、わたしにも協力できることがあるなら協力しよう。そう前向きに考えている。

 くよくよと思い悩みがちなわたしらしくない。でも、悩まないのはいいことだと分かっているから、思い悩まないことに思い悩むことはない。

 わたしは弾む心を抑えながら、そのときが来るのを待った。


 どれくらいの時間が流れただろう。

 不意に、お屋敷へと向かってくる靴音が聞こえた。

 庭師さんだ、と瞬間的に分かった。昨日と同じ靴音だったから、間違いない。足どりも、急いでいるわけでももったいぶっているわけでもなくて、穏やかで、なおかつ自然体だ。

 予想どおり、靴音は門をくぐった。歩調を変えることなく、飛び石伝いに玄関へと向かう。

 玄関ドアの前で靴音が止まって、ドアがノックされる。アデルちゃんが速やかに応対に出る。短い会話を挟んで、靴音の一つは庭へと向かう。しばらくすると、昨日は意味も分からずに聞いた、庭仕事の音が聞こえてきた。

 庭師の仕事というのは、実際にはどんなことをするのだろう? この目で見てみたいけど、わたしは鳥かごの中。この場所から、彼の仕事ぶりをお目にかかることは叶わない。

 今、わたしにできるのは、庭師さんがこの部屋の窓の外まで来てくれると信じて、ただ待つこと。

 会いたいと思っている人がすぐ近くまで来ているのに、会えない。それは考えていた以上に苦しくて、もどかしいことだ。心も体も落ちつかなくて、気がつくと、意味もなく床を行ったり来たりしている。

 暗い考えに囚われるたびに、首を何度も横に振って、頭の中から追いだした。代わりに、あの人のほほ笑む顔を思いだして、それを心のよりどころにして、そのときが来るのを待った。

 会いたい気持ちは色あせなかったけど、待っている時間が長いから、集中力を保つのが難しかった。庭師さん以外のことも考えたし、窓の外を見ていない時間もあった。

 だから、空に太陽が高く昇っているのに気がついたときは、思わず小さく声をもらしてしまった。

 アデルちゃんは、庭師さんは休憩時間を利用してこの部屋までやって来たのでは、と推測していた。人間はわたしと違って、お昼になるとごはんを食べるために休息をとる。そのお昼の休憩時間は、個人差もあるのだろうけど、ちょうど今ごろのはずだ。

 もうそろそろ、庭師さんが会いに来てくれるかもしれない。

 そう思うと、隠すことも、抑えこむことも難しいくらいに期待が膨らんで、鼓動が高鳴りはじめた。胸に手を当ててそれを感じながら、窓に一番近い場所に佇んで、殺風景な景色に向きあった。

 やがて庭仕事の音がやんだ。庭師さんが奏でる靴音は、庭から移動しない。たぶん、お昼ごはんを食べているのだろう。

 庭師さんは昨日、どんなふうにお昼休憩の時間を過ごしたのだろう。わたしの部屋まで来たのは、ごはんを食べる前? それとも、食べたあと? 昨日の今ごろ、わたしは眠っていたから、真実は分からない。

 音楽にも似た、木を切る音がやんだことで、世界からは音が一時的に途絶えている。その静けさは、わたしを不安にさせる。放っておいたらどこまで深くなるか分からない。

 でも、わたしの胸には、期待する気持ちも同居している。食事が終わったら、庭師さんはきっとわたしに会いに来てくれる。そんな期待が。

 期待と不安。正反対の感情が行ったり来たりして、不安一色よりも心が落ちつかない。

 早く楽になりたかった。一秒でも早く、庭師さんに来てほしかった。

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