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ゆりかごの唄(連載版)  作者: 小松郭公太
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ゆりかごの唄

私たちが京都に来てから半年が過ぎようとしていました。冬の京都は思っていたよりも寒く、日中の日差しは暖かいものの、夜になると芯まで冷えました。

 私たちの暮らしは半年前と何も変わっていません。私はお店へ、佐久間は寄せ場へ通う毎日が続いていました。大晦日。お店も、その日だけは休業となりました。私たちは夕方、銭湯に行きました。その日は銭湯も早めに店じまいをするらしく、一年の垢を落とす人たちで混雑していました。

 帰りに酒屋さんでいつもの缶ビールに加えてワンカップを買いました。神棚も何もないけれど、せめて台所の一画にでも御神酒を上げて拝みたいと思ったのです。

 大晦日の夜は静かに更けていきました。紅白歌合戦が終わり、テレビを消すと、あちらこちらから鐘の音が聞こえてきます。私たちは炬燵に入ってじっと耳を澄ましていました。そして、鐘の音が聞こえなくなると、佐久間が話し出しました。

「ミエコ。実は俺、やっと仕事見つけたんだ」

炬燵に両腕を突っ込んだまま、照れくさそうに窓の外に目をやっています。

「へええ、よかったね。それで、どんな仕事」「吹田に俺がよく行く現場があるんだけど、そこで断熱の仕事をしている会社の主任が俺の仕事ぶりを見て、まとまった仕事があるから働いてみないかって言うんだ」 

「ふううん」

 これは後から分かったことなのですが、断熱というのは、鉄筋コンクリートで立てられたマンションやアパートの内側に断熱材を注入する仕事のようでした。ドロドロに溶けた断熱材を機械でコンクリートの内側に注入していく作業を佐久間が担当していたらしいのです。日雇いの中で建物の中で仕事ができるのは、かなり恵まれていると聞きました。

「ところがな、その現場が神戸なんだよ。大阪ならともかく、神戸までとなると片道二時間はかかるから日帰りは難しいらしいんだ。

ミエコ。しばらく向こうに泊まることになるけど、いいか」

「いいかって、あなた、もう決めてるんでしょ。私なら大丈夫よ。あなたの仕事が第一よ」嬉しかった。とにかく嬉しかったんです。しばらくは離ればなれになるけれど、会う気になればいつでも行ける距離なのです。私は佐久間の仕事を優先に考えました。

 元日は北野天満宮に初詣に出かけ、二日はイズミヤの初売りに行って佐久間の日用品の準備をしました。ボストンバックに下着類や洗面道具などを詰め込みました。ボストンバックを使うのは半年ぶりのことです。浮き草暮らしの頃はいつも枕元にあったバックです。再びそれを押し入れから出したとき、真夜中に人知れず福島の家を出てきたことを思い出しました。

 蒸し暑い夏の夜でした。取り立て屋が家に来るようになってからは、佐久間は福島を離れ保原の親戚の家に身を寄せていたのですが、取り立て屋は次第にその場所を探し出し、今にもそこに踏み込みそうになっていたのです。真夜中の二時過ぎ、辺りが皆寝静まるのを待って佐久間は福島の家に帰りました。私は前日のうちに全ての準備を終えていました。最後と思い家中の掃除をしました。後は佐久間と一緒に家を出るばかりです。電気のない暗い部屋を見渡すと、昨日まで使っていた日用品がぼんやりと見えてきます。玄関を出るとき、取り立て屋の監視の目があるのではないかと思い、恐怖で体が震えてきました。私は佐久間の左腕に両腕でしがみつきながら駅を目指しました。駅の待合室は一晩中明るいので、暗いバスターミナルのベンチで夜が明けるのを待ちました。そして、やっと午前六時五分の始発に乗り込むことができたのです。

佐久間は、三日の朝早く電車で吹田にある会社に向かいました。そこから会社の車で神戸に行くのだと言っていました。その日を境に離ればなれの暮らしが始まりました。連絡は週に一回私の方から公衆電話で佐久間の寮にすることにしていましたが、佐久間が出がけに、

「日曜日は休みになってるんだ。土曜日、夜遅くなるけど帰ってくるから」

と言っていたので、電話はせずに一月七日の土曜日を楽しみに待っていました。ところが約束の夜になっても佐久間が帰ってこなかったので寮に電話をしてみると、

「もしもし。ミエコごめん。急に残業してくれって言われて、たった今帰ったばかりで今日はもう電車がないんだ。来週は帰れると思うから。ごめんなミエコ」

「ウウン。仕事もらったばかりだもの。今が大切な時なんだよね。私のことは気にしないで。それより体に気を付けてね」

というわけで、私は、また一週間、佐久間が帰ってくるのを待つことになったのでした。一人暮らしは寂しいけれど、帰ってくる人を待つ楽しみは、その寂しさを半減してくれました。

 そして一週間後。私がお店から帰ると佐久間が帰っていました。ボストンバックがパンパンになるほどの洗濯物がおみやげでした。明日の夕方までに乾かさなければならないので、すぐに洗濯に取りかかりました。そしてお店の残り物を肴に二人して缶ビールを開けました。そしてその夜は愛し合いました。

「ミエコ、これ」

佐久間が私に茶封筒を差し出しました。中には一万円札が五枚入っていました。

「ええ、こんなにたくさん」

「うん。食費とか諸経費を引かれると、それっぽっちなんだ」

「ううん、十分です。ありがとう」

部屋代や光熱費を払うと、食べていくのがやっとだったんです。まとまったお金は本当にありがたかったのです。

 しかし、佐久間と二人の時間は、あっという間に過ぎてしまいました。私は駅に向かう佐久間をバス停まで送りました。

「また来週帰るからな」

「うん、また来週ね。気を付けてね」

これが私たち二人が交わした最後の言葉になったのです。

 一月十七日火曜日、午前五時四十六分。深い眠りについていた私は、上下動の激しい揺れの中で目を覚ましました。何が何なのか分かららないまま揺れが治まるのを待ちました。揺れが治まり灯りをつけようと蛍光灯のスイッチを入れてみましたが停電のようでした。停電はしばらく続きました。真っ暗な部屋の中で一人じっとしていました。暗闇の中、家財道具が散乱しているのがわかりました。 しばらくして電気が復旧したので、テレビをつけてみました。放送される地震情報では、近畿地方を強い揺れが襲ったことを繰り返すばかりで、詳しい被害状況はわかりませんでした。私はチャンネルを何回も変えてみました。ある局で、「ものすごい揺れでした。しかし、私の周辺ではこれといった大きな被害は確認できていません」とレポートしたのを聞いて、ちょっと安心しました。

 ところが、時間が経つに従って衝撃的な事実が次々と明らかになっていくのでした。ヘリコプターに乗った取材者が絶叫しています。

「ものすごい煙が何本も立ちのぼっています。電車も脱線しています。信じられません」

と。そしてそれ以後、テレビは信じられない事実を次々と伝えていきました。その中で私の目と耳を疑ったのは、立ちのぼる噴煙の地が「長田区」であったことです。佐久間が出発する前に私に教えてくれた住所が長田区だったのです。私は慌てて佐久間が書き留めた切れ端を確かめてみました。

「神戸市長田区○○○」

やっぱり間違いありません。

 私はその後、テレビの前に釘付けになってアナウンサーや取材者の一言一句に耳を凝らしました。倒壊した高速道路、大きく傾いたビルの映像は被害の大きさを物語っていましたが、カメラが木造家屋の倒壊を捉えたとき、体が震えてきました。佐久間が寝起きする寮は木造アパートなのです。私はパニックに陥りました。すぐにでも神戸に行きたいところでした。しかし、道路も鉄道も不通になっていると店の人から聞き、やはりテレビを観て安否を気遣うしか外にありませんでした。そして、次第に倒壊した家屋の中から救出される人たちの姿が映し出されるようになり、一縷の望みをたぐり寄せることができるようになりました。

 私が現場に着いたのは被災から三日目のことです。倒壊した寮では自衛隊の方々が救出活動を行っていました。現場では、生存者の存在が告げられ、救出されることもありましたが、救出されたときには、すでに絶命していることもありました。私は、二つに一つの宣告を待っていました。そして、寒空の下、時間が経つに従って一縷の望みが次第に遠ざかっていくように感じられるのでした。

 ボランティアの人が私に温かいコーヒーを差し出してくれました。私は、そのコーヒーを啜りながら、奇跡という言葉を持ち出してみました。よくテレビで報道される奇跡の生還を佐久間がしてくれると考えてみたのです。そのとき私は、タンカで運ばれていく佐久間にすがりついてうれし涙を流して「あなた」と言葉をかけるのです。佐久間は「ミエコ」と一言発して微笑むのです。そして、また一方では、佐久間にもしもの事があったとき、自分はどういう行動をとればいいのか、別のストーリを考えたりもするのでした。こんな所でどうやってお葬式を出すの。前の奥さんや子供さんにも連絡した方がいいかしら。福島への連絡は。いけない、福島に連絡することはできない。だって私たち借金を踏み倒して逃げてきたんだもの。

 その時、遠くで自衛隊の人たちの声がしました。

「おおい。見つかったぞお」

私がその宣告を受けたのは、地震から三日目の夕刻のことでした。


母はハンカチで涙を押さえながらミエコ姉さんの話を聞いていた。淡々と自分の体験を話し続けてきたミエコ姉さんは、ふと我に返ったように母の方に目をやると、逆に励ますように母の背中をそっとさするのだった。

「叔母さん、ごめんね、泣かせちゃって。でも私大丈夫よ」

「そう言ったって、ミエコさん、いろいろ大変でしょ」

「ううん。あれから四ヶ月、何とかやってるわ。京都の店の人たちも親切にしてくれるし、私一人食べていくのだったら何とかなるから」

「そうお。それならいいんだけど」

母は心配そうにミエコ姉さんを見た。そして、お茶を入れ直すために台所に立った。

「修君ごめんね。こんなときに来て」

「いいえ、大丈夫ですよ。ここはフミ伯母さんの実家なんですから」

と、私はいつか母が言った言葉をそのまま使っていた。

 そうだ。それは間違いのないことなんだ。この小林の家で生まれ育った人たちにとって、この家は紛れもない実家なのである。祖父母が亡くなり、父が亡くなり、父の姉弟たちが我が家を訪れることはめっきり減っていた。だが、以前は盆や正月になると故郷を離れた兄妹たちが里帰りしていたのだ。丁度母が今でも実家に行くのと同じように。直美が私を連れて実家に行くのと同じように。

フミ伯母さんが、祖母の脇にでんと座ってお茶を飲んでいる光景を思い出す。膝が痛かったので幼児のように両足を前に投げ出している。祖母はそんなフミ伯母さんを「何やってるの」とたしなめるのだが、フミ伯母さんは意に介さない。膝が痛いだけではない。長女というポジションがそうした振る舞いを許していたように思われる。

 それに対して、金治義伯父さんのポジションは微妙だった。長女の婿殿に対して祖母は最大限の接待をしていた。

「金治さん、どうぞここへお座りください」

と家長である父の横に席を設け、

「金治さん、さあどうぞ」

と真っ先にお酒を注いでいた。

 ところが、金治義伯父さんという人は遠慮な人で、料理を食べ終えたかと思うと、知らない内に席を立っていて、私たち子供が座っている末席に座っているのだった。そして、子供たちのたわいのない話に耳を傾けてにこにこしている。そんな人だったのである。

 一つだけ金治義伯父さんの鮮明な記憶がある。大人たちの宴会が佳境に入ったころ、子供たちは思い思いの場所でテレビを観たりマンガを読んだりしていた。私は、お酒の澗をつけている母の側で退屈な時間を過ごしていた。そこへ金治義伯父さんがやってきた。

 義伯父さんはにこにこしながら私に近づき、福島訛りとはまた違った独特の訛りで、

「これ、あげるよ」

と一枚の銀貨を差し出すのだった。私には銀貨に見えたその貨幣にはハングルが刻まれていた。

「朝鮮のお金だよ。珍しいだろ」

義伯父さんは、嬉しそうにウフフと笑って、私に何か言いたげな顔をしていたのだが、居間の方から「金治さん」と声がかかり、義伯父さんとのやり取りは、それきりとなってしまったのだ。

 そのときの私は、日本と朝鮮半島の関係など何も分からず、外国のお金を手に入れた喜びで一杯だった。今思い返してみると、その貨幣には、男性の横顔が刻まれていたように思う。しかし、それが北の物なのか南の物なのか今となっては見当がつかない。

 金治義伯父さんは在日である。今岡家の養子になり日本人のフミ伯母さんと結婚したが、その本当の故郷は朝鮮半島にある。ミエコ姉さんは当然その父親の故郷を知っているはずだが、果たしてどの位詳しく父親から話を聞いているのだろう。まだ見ぬ父親の故郷がある朝鮮半島。そして、一方の母親フミ伯母さんの実家である小林家。

 考えてみると、ミエコ姉さんが、何かある度に我が家を訪れることの意味が分かるような気がする。ミエコ姉さんにとって、小林家こそ帰るべき故郷なのである。いつも絶妙のタイミングの悪さで我が家を訪れるミエコ姉さんではあるが、今になってやっとミエコ姉さんの心の内が分かったような気がする。

「で、これからミエコさんどうするの」

と、母が率直に訊いた。

「私、京都に帰ります。あの町は居心地がいいんです。それに、千本釈迦堂に佐久間がいますから」

「千本釈迦堂。ああ、さっきミエコさんが話していたお寺さんね」

「ええ、私たちみたいな身の上でも面倒をみてくれるそうなんです。本当に有り難いことです」

「で、ミエコさん。本当に訊きにくいことを訊くんですけど、福島へは寄らないの」

「叔母さん、心配かけて御免なさい。私たち、駆け落ちの身なので、何年も家には顔を出していないの。だけど、今度は帰ってみようと思っています。弟の久男とはたまに連絡を取り合っているんですけど、久男のところも大変らしくて」

「お父さんとお母さんはどうなんですか」

私が訊いてみた。

「今は二人とも施設に入っているそうです。父ちゃんと母ちゃんのことだけはちゃんとやっているから心配するな、と久男が言っていました。父は認知症がかなり進んでいるようです。母は寝たきりなんですが、口だけは達者で介護の人たちを手こずらせているらしいんです」

「そう、元気なんだね。よかった」

母は、またハンカチを取り出し、涙を抑えているが、今度は嬉し涙のようだ。

「あっ、いけない。そろそろバスの時間だわ」

と、母が慌てて立ち上がった。割烹着を脱ぎながら、サンダルを履いて玄関を出て行く母を追いかけるように、私とミエコ姉さんが続いた。

 幼稚園バスが止まる一里塚の前には、既にお迎えのお祖父ちゃんお祖母ちゃんたちが集まっていた。大抵の家で共稼ぎの両親に変わって祖父母が帰りのバスを迎えるのだ。中には幼稚園に入る前のお孫さんを連れた方々も数名いる。

 青葉が茂った槻木の下で、バスが来る方向を向いてみんなが待ってる。すると、私の後ろの方で子供の笑い声が聞こえてきた。見ると、ミエコ姉さんが三歳くらいの男の子に一生懸命愛想を振りまいているのだった。男の子はミエコ姉さんの仕草を見て嬉々としている。やっぱりミエコ姉さんだ。ミエコ姉さんがそこにいるだけで、その場が明るくなるのだ。

「あっ、バスが来ましたよ」

あるお祖母ちゃんの声に、みんなが反応した。緩い下り坂の向こうに黄色い幼稚園バスが見えた。バスはゆっくりと慎重にお迎えの集団に近づいてくる。

 バスが止まり自動ドアが開くと、いち早くミエコ姉さんが駆け寄った。そして、どの子にも区別なくハイタッチをして迎えるのだった。黙っていられないのだ。可愛い子供たちの姿に自然と体が反応している、といった感じだった。周りにいる方々にも少しも不快な感じを与えないのだ。全く、これはミエコ姉さんの人徳と言うしかない。私の二人の子供も当たり前のようにミエコ姉さんとハイタッチをして、そのまま手を繋いで歩き出すのだった。そして、私と母は自然とその後を付いていく形になっていた。

「さあ、家に帰ったら、赤ちゃんに会いに行こうな」

と、私は後ろから子供たちに声をかけた。

「伯母さんも一緒」

と長女が言った。

「勿論だよ。ねえミエコ姉さん」

ミエコ姉さんはにこにこ笑って頷いていた。

 家に入り、子供たちを着替えさせると、私たちはすぐに車に乗って妻と赤ちゃんが待つ病院へ出かけた。後部座席では、ミエコ姉さんを真ん中にして子供たちが大喜びではしゃいでいる。まるで、遠足か何処かに出掛けるときのよう。

 そして、車が商店街のアーケードに差し掛かったとき、ミエコ姉さんが私に言った。

「修さん、すみません。ここで私を下ろして欲しいんだけど」

「ええ、どうしたんですか。急に」

「ごめんなさい。ちょっと買い物がしたくて」

福島に寄るって言っていたから、きっとそのときのお土産でも買うんだろう、と思った。だから私は、少しの疑念も持たずに、

「分かりました。ここら辺でいいですか」

とアーケードの真ん中辺りに車を止めた。

「ええ、降りちゃうのお」

と、子供たちは不満そうだったが、ミエコ姉さんは、

「後から行くからね」

と、大きな笑顔を子供たちに見せてから車を降りた。そして、走り出した車に向かって小さくジャンプしながら両手を大きく振ったかと思うと、今度は何度も何度も頭を下げるのだった。子供たちはリアガラスの向こうで大きな動作を繰り返すミエコ姉さんの姿を不思議そうに眺めて小さく手を振っていた。後部座席が急にシーンとなった。

病室は柔らかな空気に満ちていた。幸せの空間である。六人部屋の左、その真ん中に妻のベットがあり、その脇に小さなベットが置かれている。妻はベットの中の赤ちゃんに手を差し伸べているところだった。

「お母さん」

と言って、子供たちが小さなベットの方に駆け寄る。妻は子供たちを一人ずつ順番に抱きしめた。子供たちは暫く遠ざかっていた母の香りに満足した様子だった。そして、

「かわいい。ねえ、抱っこしていい」

とせがんだ。

「いいわよ。ちょっと待ってね」

と、妻は小さなベットから赤ちゃんを抱き上げ、順番に抱かせた。子供たちの抱き方は危なっかしかったが、それは妹の誕生を体で感じる大切な瞬間だった。始めは緊張した面持ちの子供たちだったが、妹と顔を合わせると、自然に笑顔がこぼれてくる。やっぱり兄妹なんだなあと思った。

「さあ、そろそろいいかな」

と、妻が慎重に受け取り、今度は自分のベットに赤ちゃんを寝かせた。子供たちはベットに伏せるようにして、顔を寄せ合って小さな妹を見ていた。

 病室の中では、生まれたての赤ちゃんが代わり番こに泣いていた。その新しい泣き声を聞いただけでも生命のすばらしさを感じることが出来る。病室の中は希望で一杯なのである。

「あら、ミエコさん遅いわね」

と母が呟いた。そして、母は今朝ミエコ姉さんから聞いた話の中から、阪神大震災のときにミエコ姉さんも被災していたことだけを妻に伝えた。妻は、

「ええ、本当に」

と、親戚に被災者がいたことに驚いていた。そのとき、今度は家の赤ちゃんが泣き始めた。

妻は、すぐに、

「オシッコね」

と分かり、おしめを取り替える準備に取りかかった。

 私たちは小一時間を病室で過ごし、ミエコ姉さんが来るのを待っていたのだが、ミエコ姉さんは一向に現れないので、もしもミエコ姉さんが来たら、先に家に帰っているからと伝えるように妻に頼んで、私たちはひとまず家に帰ることにした。

家に帰ってみると、玄関の前に大きな箱が置かれてあった。見ると、その箱には町に一軒しかない玩具屋さん「おもちゃのヒフミ」の包装が施されてあった。喜んだのは子供たちである。それは、クリスマスのときにサンタクロースが持ってきてくれる包み紙と同じだったからである。

「何だろう」

「おもちゃだよ。きっと」

「わーい、おもちゃだ、おもちゃだ」

と、大盛り上がりだ。

「わかった、わかった。でもいったい誰だろう。宅急便じゃないみたいだし」

と、取りあえず家の中に入れようと箱に手を掛けようとしたとき、箱と包装紙の間に白い封筒が挟まっているのに気付いた。

「叔母さん、修さん、直美さん、ショウタくん、ナエちゃん、そして赤ちゃん。また、私、皆様の大切な時間のお邪魔をしてしまったみたいです。本当にごめんなさい。でも、今回は皆様とお会いすることが出来てこれまで以上によかったと思っています。何故って、皆様の大切なかわいい赤ちゃんとお会いすることができたんですもの。その喜びの瞬間を私も一緒に味わわせていただいたこと、感謝いたします。皆様方は本当に温かいご家族です。その思いやりの心、優しさに接し、私の心は癒されました。これまで、私にはあまりにもいろいろな事があり過ぎました。でもこれからは辛かったことは忘れて、楽しかったことだけを胸に生きていこうと思っています。私は、こんな性格ですから、どんな所ででも生きていくことができます。それだけは自信があります。だから、叔母さん、修さん、直美さん、私のことは心配しないでください。いつかきっと、私も皆様のような家庭をもちたいと思います。

 箱の中の品物は、私から赤ちゃんへのプレゼントです。赤ちゃんの健やかな成長と皆様方のご健康をお祈りいたします。本当に皆様ありがとうございました。さようなら。

                ミエコ」

 手紙を読み終えようとしていたとき、子供たちの声が聞こえてきた。

「うわあ、すごい」

「きれいねえ、これなあに」

私が手紙を読んでいる間に母と子供たちで箱の梱包を解いていたのである。箱の中に入っていたのは、ベビーベットの上に飾るメリーゴーランドだった。

 ミエコ姉さんは、赤ちゃんが家に帰ってきたときのために用意していたベビーベットをちゃんと覚えていて、その天上から吊すメリーゴランドを贈ってくれたのである。

「ミエコさんったら」

母はミエコ姉さんの計らいに目を潤ませていた。

 私は早速そのメリーゴーランドをベビーベットの上に吊してみた。赤を基調とした明るい色の大きなメリーゴーランドである。

「あっ、キリンだ。ゾウもいるよ」

「こっちには、ラッパやタイコもあるよ」

動物や楽器などをあしらったメリーゴーランドに子供たちは大喜びである。スイッチを入れてみると、メリーゴーランドが静かに回り、音楽を奏で始めた。


 ゆりかごの唄を

 カナリヤが歌うよ

 ねんねこ ねんねこ ねんねこよ


うっとりするような音色だった。ミエコ姉さんの優しさが真っ直ぐに伝わってくる。

「ミエコさん、そんなにお金持っていないはずなのに。それなのに、こんな高価な物を……」

 母はミエコ姉さんが家を出て行くときには、幾ばくかの餞別を渡そうと思っていたに違いない。これまでもいつもそうだったから、母は少し心残りなようだった。私だってそうだ。

 ミエコ姉さんはいつだって何か大切なことがある時に限ってやって来るものだから、はっきり言ってとても迷惑に思っていた。でも、今回は違う。ミエコ姉さんの過去も現在もある程度分かった上で、無理なく彼女のことを受け入れることができるようになったのだ。

 同時にミエコ姉さんの変化にも著しいものがあった。駆け落ち、夜逃げ、被災、と何もいいことがなかったように見えるが、そうした壮絶な体験の中でミエコ姉さん自身が変化を遂げていったのではないのか。

 若葉の輝きに満ちた季節。赤ちゃんが運んできた幸せが家の中に満ちている。ミエコ姉さんのメリーゴーランドが、今日も歌を唄っている。


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