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ゆりかごの唄(連載版)  作者: 小松郭公太
3/6

ポータブル家庭用サウナ

成人式から数年後、私は大学を卒業し地元の社会福祉施設に就職した。あれ以来ミエコ姉さんからの連絡は何もない。年賀状が届いたとかお歳暮が届いたとか、そういった種類の話も母から聞いたことはなかった。ただ一度だけ、近くに住む年の離れた従姉が、東京に行った帰りに福島の今岡家を訪ね、糖尿病を患って入院しているフミ伯母さんを見舞ったという話を聞いたことがある。

 金治氏が営んでいた果物店は高度経済成長の波に乗り、一時期は「金丸果物店」という大きな看板を掲げるくらいの商店に成長し、久男ちゃんも勤めていた仕事を辞め店に出るようになっていた。店の経営は順風満帆だった。ところが、近くに大手スーパーが進出するや、その経営は一気に衰退していった。

 金治氏は脳梗塞で右半身不随。フミ伯母さんの入院はそれに追い打ちをかけるものだった。久男ちゃんは数年前に結婚して子供もいた。しかし、その話の中にミエコ姉さんの話は一つも出てこなかった。

 私は、就職して数年後、職場で知り合った現在の妻と結婚した。妻は結婚後も別の職場で仕事を続けていた。二人とも多忙な毎日を送っていたが、パートナーのいる生活は張り合いがあった。結婚したことにより親戚との交流も増え、始めの年は何かある度に二人揃って挨拶に出かけた。お盆のときは大変だった。我が家には嫁いでいった姉夫婦たちと子供たち総勢六人が訪れていた。

 八月十三日は、みんなでお墓参りをして、その後は大宴会となるのが恒例だ。次の日は、母と私たち夫婦が母の実家の仏壇に手を合わせに向かう。そこでは、修の嫁さんが来たということで大歓待となった。

 母の実家は農家である。裏庭で放し飼いしていた鶏を使った煮物。生け簀で養殖していた鯉のあらい・鯉の甘煮。畑で採れたばかりの茄子・トマト・胡瓜等々がずらりとテーブルに並び、これを喰え、あれを飲めの歓待である。

「これから妻の実家に向かうから」

と暇を告げても、

「まだいいだろう」

と聞いてもらえず、ついには三人ともお酒をご馳走になり、母はそのまま泊まることにして、私たち二人は、運転していった車をそこに置いてタクシーで妻の実家に向かった。

 妻の実家では、兄夫婦とその子供、妹、従兄弟等が集まりここでもまた大宴会を催していた。我々が到着すると、

「遅いじゃないか。もう待ちくたびれたところだった」

と、義父。

「すみません。母の実家に挨拶に行ったのですが、なかなか帰してもらえなくて」

と、私が事情を説明しようとすると、義父は、

「まあいい、まあいい。まず飲め、飲め」

とひっぱり込む。

「お父さん、まだご先祖様に挨拶していないわ」

と妻の一声に、義父は、

「はい」

と娘の言うことを聞いて私を解放した。私たち二人は、チーン、ポクポクポクと仏壇に手を合わせ終わると、集まった人たちの方に体を向け、

「皆さん、遅くなりました。いろいろとお世話になりました」

と挨拶をした。挨拶が終わらないうちに、どこからか、

「新婚さんに乾杯」

とかけ声がかかり、またしても大歓待を受けるのだった。

 その夜は妻の実家に泊まり、次の日は、近くにある妻の実家の本家に挨拶に行った。そこでもお酒を勧められたが、昨日の今日ということだったので、それは遠慮させてもらった。

 このように、結婚するということは、ただ単に二人が一緒になるということではない。お互いがお互いの家族の一員となり、親戚の一員になるということなのである。そういう訳で、その一年は親戚が増え、人と人との結びつきが豊かになることの喜びに浸ることが出来た。幸せなことだと思う。その関係を大切にしなければならないと思う。

夏が過ぎ、十月ともなれば高い山では紅葉が始まり、その紅葉は一ヶ月後には山の裾野に下りてくる。天候の変わりやすい秋。そのコントラストを楽しめるのは一年の内のほんの一瞬であると言っても言い過ぎではない。みちのくの地では、紅葉の終わりを待たない内に初雪が降るということさえあるのだから。

 ただ、若い二人は、季節が変化することの意味をそれほど深く捉えてはいなかった。二人に与えられた時間はまだまだ沢山あった。二人は仕事をしながら、回りの人々に教えられながら、家庭というものを少しずつ育てていくことになるのだ。

 施設の御用納めは十二月二十八日だが、私たちは三十一日まで勤務することにしていた。そして、年末に勤めた分を年始に休ませてもらえるように割り振りしてもらった。それでも三十一日は早番だったので早めに家に帰り、母が進めていた年越しの準備を二人して手伝うことが出来た。

 神棚と玄関・台所・車庫などに松を飾り鏡餅を供える。神棚には更にお膳が二膳並ぶ。お膳の主役は生ハタハタである。それを、キンキのお吸い物、根菜の煮物などが囲む。勿論、御神酒を欠かすことは出来ない。大掃除は休日に済ませてある。後は順番に風呂に入り、一年の垢を落とすばかりである。

 そんなとき、突然電話が鳴った。

「もしもし、叔母さん、今晩は」

語尾を跳ね上げるようなイントネーションに、母はすぐに福島のミエコ姉さんだと分かった。

「ミエコです。今、清沢駅に着いたんだけど、これから、叔母さんの家に行っていい。急で悪いんだけど」

「ミエコさん。よく来たね。大丈夫よ。迎えに行こうか」

「うん、大丈夫。一人で行ける。叔母さん、ごめんね」

母は、受話器を置くと、急いで事の経緯を私たちに説明した。私たちというよりも、それはほとんど妻に対する説明だったと思う。

 考えてみると、私たちの結婚式には、福島からは一人も参加していない。だから、福島に従兄弟がいるくらいのことは話していても、私自身、それほど詳しい話はしていなかったかもしれないのだ。

 説明を聞いた妻は少しも動じなかった。むしろ、予想外の展開を楽しむかのように、

「お母さん、大丈夫よ」

と、Vサインをつくった。

 やがて、ピンポンと呼び鈴が鳴った。私たちは三人揃って玄関でミエコ姉さんを迎えた。ミエコ姉さんは、分厚い毛布のようなダッフルコートを着ていた。セミロングの髪を無造作に後ろに結っている。化粧は全くしていないらしく、血色を欠いた色黒の地肌が目立つ。母が、

「ミエコさん、よく来たわね。疲れたでしょ。さあさあ、上がって上がって。一緒にお食事しましょ」

と、招き入れる。私たち二人も、母と同じように歓迎のアクションを示した。

 ミエコ姉さんはテーブルに着くと、並べられた年越しの料理を見て、

「ごめんね。こんなときに来て」

と呟いた。

「何言ってるのよ。ミエコさん、ここはあなたのお母さんの実家なのよ。何も心配しなくていいのよ」

と母が言うと、ミエコ姉さんは少しうつむき加減になったが、私の方を見て、

「修ちゃん、立派になったね。ところで、こちらは」

と言うと、母が、

「家の修、今年の春に結婚したのよ。こちらは、直美さん」

と、紹介した。妻は、

「直美です。よろしくお願いします」

と挨拶した。そうしたらミエコ姉さんは、目を丸くして、

「あれえ、私ったら……、ごめんなさい。ちっとも知らなくて。ごめんなさい」

と、何度も謝った。

「今年の年越しは、娘たち夫婦も来ないから、三人切りの年越しになるところだったけど、ミエコさんが来てくれて本当によかった。乾杯しましょ」

と、母が場を盛り上げた。

 そして、乾杯の後は女たち三人の話を聞きながら、私一人が酔っぱらって、紅白歌合戦を途切れ途切れに見た。目を覚ますと、「蛍の光」の合唱が流れていた。と、母と妻が台所で年越し蕎麦の準備をしていて、私とミエコ姉さんは炬燵にまるまっているのだった。私たちは、年越し蕎麦を啜りながら新年を迎えた。その夜、ミエコ姉さんは、母の部屋で枕を並べて寝た。

明くる元旦。窓の外は雪だった。私は久しぶりに寝坊した。居間に下りていくと、すでに女三人は朝食を摂っていた。改めて、素顔のミエコ姉さんを見ると、私よりも十歳くらい年上であることがわかる。

 私が食卓に着くと、ミエコ姉さんの話が聞こえてきた。

「私も三年前に結婚したの。赤ちゃんも出来たんだけど、お腹の中でよく育たなくて。やっばり、高齢出産って、だめなんだねえ」

母と妻は、うんうん、と聞くばかりだった。

そして、ミエコ姉さんは、自分の結婚相手のことを話し始めた。

 数年前に従姉が今岡家を訪ねたとき、そこにはミエコ姉さんの姿はなく、ミエコ姉さんの話題すら出てこなかった。あの時は両親が病気だというのにどうしたんだろう、と不思議に思ったものだ。だが、時が過ぎるにつれて、そうした記憶も、ぼやけたものになってしまっていた。

「私、今の主人とは駆け落ちしたんです。主人には奥さんと女の子がいたんだけど。だから、その時以来、実家の父や母とは一度も会っていない。弟の久男だけにはこっそり居場所を教えていたから、父と母が病気になったときには、久男から電話があったっけ。そのとき、会いに行けばよかったのに、私ったら変な意地を張ってしまって。でも、いいの。今はこのままでいいの」

とミエコ姉さんは涙ぐんだように見えた。母と妻は、やはり、うんうんと聞くだけだった。

 すると、ミエコ姉さんは、

「実はね、家の主人、こんな仕事しているの」

と徐に一枚のパンフレットを炬燵の上に出した。

「これは、遠赤外線の家庭用サウナで、発汗作用があって、体内の老廃物を汗と一緒に出してくれるから、健康にとてもいいの。もしよかったら使ってみてくれない。お客様には、先ず使って頂いて、気に入ったら買って頂くというシステムなの」

と、私たち三人に向かって、一気に、しかも明解に話し切った。

 パンフレットを見てみると、それは、オレンジ色をしていて、まるでトンネルのような形をしていた。その中に、女性が仰向けになって入っている。なるほど「ポータブルの家庭用サウナ」という説明に合った写真である。でも、私はすぐに胡散臭いと思った。福島からわざわざセールスに来たというだけで、この製品はあまり売れていないということがわかる。誰だってそう思うに違いない。

「製品はちゃんとしてるのよ。ただ、テレビでは宣伝していないから、あんまり知られていないのよ。でも、これから間違いなく売れてくる製品だって言われているの。使ってみて気に合わなかったら返品していいのよ。試しに使ってみてくれると嬉しいんだけど」

 ミエコ姉さんが一生懸命に説明すればするほど、製品が売れていないという印象だけが残り、私たちはほとんど何も言えなくなってしまう。

「私、今日中に福島に帰らないとなんないの。それまでに決めてもらえばいいから」

とミエコ姉さんは言う。

 その後、私たちは、ミエコ姉さんのいないところで相談した。

「ミエコ姉さん、かなり困っているみたいだね。サウナなんて家では必要ないんだけど、きっぱりと、要らない、とは言えないよね」

と私が言うと、母が、

「私もそう思うのよ。大晦日に急に来るということは、相当困っているという事じゃない。もしも、お金に困って心中でもされたら大変だわ。直美さん、どう思う」

と、妻の考えを聞いた。

「私も修さんやお母さんと同じように考えていたわ。それに、お腹の赤ちゃんを亡くしたなんてかわいそう」

と、妻はミエコ姉さんの心情を私以上に気遣っているようだった。

というわけで、「ポータブル家庭用サウナ」

の購入が決まった。私たちは三人が持ち合わせている現金をかき集めてミエコ姉さんに二十万円を渡した。商品の購入というよりも、これはほとんどミエコ姉さんへの志のつもりだった。ミエコ姉さんは、早速契約書を作成した。「佐久間商事」という会社名がいかがわしい。しかし、ちゃんと住所も電話番号もある。でも、元々、それが紛い物で、騙されたっていいと思っていた。このお金でミエコ姉さんが少しでも楽になるのならそれでいいのだ。

ミエコ姉さんは、お昼の列車で福島に向かった。夕方には向こうに着くだろう。車で送って行く、と言っても、大丈夫、歩いていくと言って聞かなかった。雪の降る道を息を切らせて駅に向かったのだろう。福島を出るときも、私の家にいるときも、福島に向かうときも、ミエコ姉さんの頭の中には旦那さんのことしかなかったに違いない。私が結婚したことも知らずに、妻と母と三人切りの初めての年越しに突然入り込んできたことへの罪悪感よりも何倍も何十倍も旦那さんへの思いの方が強かったんただろう。と思う一方で、私たち三人は突然の来訪者からの開放感でいっぱいだった。そして時間が経つにつれて、「ポータブル家庭用サウナ」という機器が我が家にとって本当に必要な物なのかどうかについて考えるようになった。

 三人が出した結論は、要らない、ということだった。第一誰がそのサウナをいつ利用するのか。たまに誰かが利用したとしても、その姿を想像すると妙に可笑しかった。トンネルのような物に入り込んでいる自分の姿を想像するだけで可笑しかった。夜になって、そんな話をして三人で大笑いをした。そして、すぐに、契約書に記されていた電話番号に電話をしてみた。

 電話に出たのは旦那さんではなくミエコ姉さん本人だった。

「ミエコ姉さん。修です。あのね。あの後、よく考えたんだけど、サウナは送ってもらわなくていいよ。勿論、お支払いしたお金はそのまま受け取ってもらっていいんです。あれはミエコ姉さんと旦那さんへのご祝儀ということにしてください」

と話すと、ミエコ姉さんは、そんなことを言わずに本当に良い品物なのだから使ってみて欲しい、と言っていたが、最後には、私たちの真意が分かったらしく、

「ありがとう、修ちゃん。有り難く頂きます。本当にありがとう。助かります」

と、とても素直にお金を受け取ってくれた。 降っていた雪も止み、しーんと静まりかえった夜となった。明日、一月二日は、妻の実家に新年の挨拶に出かける事になっている。母が、

「直美さん、明日は、実家のお母さんが作ってくれた小紋を着て行ったら」

と言っている。妻は、

「ええ。それじゃ、お母さん、着付けよろしくお願いします」

と、母と約束していた。


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