酢豚
八月十五日。私の郷里では、毎年この日に成人式が行われる。仙台で学生生活を送っていた私も、その日に合わせて帰郷した。お盆の最中ということもあって、その日は、郷里を離れている者にとって年間を通じて最も参加しやすい日だった。また、真夏の開催なので晴れ着を着る必要もなく安上がりに済むというよさもあった。
町の成人式は、公民館の二階ホールで行われた。町には東と西と名の付く二つの中学校があり、そこに集まったのはそれらの中学校を卒業した者たちだった。全員が集まれば十四クラス約五百五十人の成人がごった返すことになるが、このちっぽけなホールに入り切るはずはない。ホールに並べられたパイプ椅子にも空席はない。二百五十から三百人の参加というところだろうか。式典は、決まり切った挨拶と名言名句が並べられた祝辞が続き、約一時間ほどで終了した。
その日、夕方六時から地元の三平寿司という鮨屋で三年二組の同窓会が行われることになっていた。六時までにはまだ時間があったので、私は一端家に帰ることにした。無事成人式を終えたことを母に報告しなくてはならない。午後の日差しが背中を焼き付ける。街路樹の油蝉が途切れることなく鳴き続ける。家に帰ったら着替えをして、北向きの縁側で小一時間昼寝でもするか、と早足に歩いた。
「ただいま」
ん、いつもと違う雰囲気を感じた。居間の方から母の「お帰り」という声と一緒に賑やかな笑い声が聞こえてくる。玄関に見慣れぬ靴があった。女物だがやや大きめである。お客さんか。今頃いったい誰だろう。中に入るやいなや母が、
「修、ミエコ姉さんが来てるのよ。さあさあ挨拶して」
と、私を前に押し出した。
ミエコ姉さんは台所にいた。大きな花柄をあしらったノースリーブのワンピースを着ていた。露わになった両腕が逞しい。セミロングの髪を無造作に後ろに結っていた。ちょっと厚めの唇に塗った赤い口紅が妙に目立つ。
「修ちゃん、大きくなったわね。成人式なんだって」
「こんにちは。ようこそいらっしゃいました」
とは言ったものの、突然の来訪に正直戸惑っていた。それは母だって同じことだろう。何かと慌ただしいお盆の真っ最中に何の連絡もなく突然現れるんだもの。それでも母はそんなミエコ姉さんを最高のもてなしで接待しようとしている。
「修。ミエコ姉さん、ご馳走作ってくれたのよ。酢豚だって。おあがりなさい」
「えっ。俺はいいよ。これから同窓会があるんだ」
すると母は、
「そんなこと言わないで、おあがりなさい。ミエコ姉さんが修のために作ってくれたんだから」
と譲らない。
私が成人式に行っていることを母から聞いたミエコ姉さんが、私のためにご馳走を作ってくれたのだ。だから、そのご馳走を私が食べないわけにはいかない。状況を理解した私は、観念して食卓に着いた。
私の母は料理上手な人だった。お盆のお墓に捧げるおはぎも母の手作りだった。鶏ガラと野菜のスープで作った母のラーメンは友達に自慢できた。そんな母の手料理を食べている私にとって、ミエコ姉さんの酢豚はどうしても口に合わなかった。野菜が固かった。酢が効き過ぎたのか、酸っぱくて鼻がつんとした。
私のためにせっかく作ってくれたのに、私は酢豚を完食できなかった。御免なさい、ミエコ姉さん。酢豚を残してしまって。だけど、それはミエコ姉さんのせいではないんですよ。六時に三平鮨に行く予定があったからなんです。酢豚は確かに少し酸っぱかったけど……。
ミエコ姉さんは、父の姉フミ伯母さんの長女である。フミ伯母さんは福島で果物店を営む今岡金治氏のもとに嫁ぎ、二男一女を授かった。金治氏は所謂在日で戦後日本人の今岡家の養子となった後フミ伯母さんと結婚したのである。フミ伯母さんは機会をみつけては子どもたちを連れて里帰りをしていた。
古いアルバムの中にミエコ姉さんとその弟の久男ちゃんが写っている白黒写真がある。ミエコ姉さんは制服を着ているので、多分中学生か高校生だろう。長い髪をお下げにしている。久男ちゃんは私の上の姉と同じ歳だから小学六年のはずだ。襟元に親指を当てて他の指を広げるポーズはその当時の流行だったのだろうか。
小学一年だった私も、久男ちゃんのことはうっすらと覚えている。福島のおみやげである桃の実にかぶりついたこと。歯を使って上手に皮を剥く久男ちゃんの真似をしてみたこと。そして、二人して縁側から畑に向かって種を飛ばして遊んだこと。久男ちゃんは大きいので私よりも遠くまで飛ばしていたことを思い出す。
ミエコ姉さんのことは全く覚えていない。それでも、その次に福島の人たちが私の家に来たときのことは、私も中学一年生になっていたのでよく覚えている。お爺さんか誰かの法事があったのだと思う。久男ちゃんは足の悪いフミ伯母さんのアシスタントとして参加したのだろう。あの時はミエコ姉さんは来ていなかった。足の悪いフミ伯母さんを迎えに駅のホームまで行ったのは私なのだから、それは確かなことである。
久男ちゃんは高校を卒業したのかどうか分からないが、多分社会人になっていたと思う。その証拠と言っては何だが、夜に私と枕を並べて寝るときに、当時の週刊誌「平凡パンチ」を読んでいたからだ。「視るか」と私に雑誌を預け、久男ちゃんは早々に眠りに着いた。その後の私がなかなか眠りに着けなかったのは当然のことだったろう。
あの時の法事にミエコ姉さんは来ていなかった。だとすると、ミエコ姉さんが発した、「修ちゃん大きくなったわね」という言葉の意味も理解できるのである。成人式の日に突然現れたミエコ姉さんとの再会は、実は私の側から言えば、ほぼ初対面と言っていいものだったのだ。でも私としては、それ以前に写真の中のミエコ姉さんに対面しているので、そこら辺は曖昧にしたまま馴染みのお客様としてミエコ姉さんを迎え入れることができたのである。
ミエコ姉さんは、お世辞にも美しいお姉さんとは言えなかった。写真に写っているミエコ姉さんは太っていたが、十数年後の実物はその写真と相違なかった。元々、父の家系の女性たちは皆太っていたので、それはそれほど不思議なことではなかった。ミエコ姉さんは間違いなくフミ伯母さんの遺伝子を引き継いでいたのである。そして、あのどちらかと言えば色黒でニキビの痕跡に悩まなければならない体質は、金治氏の側の遺伝子だったに違いない。しかし、その性格は桁外れに明るかった。久男ちゃんもそうだったが、あの人なつっこさは生来のものだろう。
「叔母さん、家の母ちゃん、車椅子に乗っているのよ。膝が痛くて、もう自分の体重を支えられないの。それなのに食欲だけは旺盛で困っちゃうわ。私も同じだけどね。やっぱり親子ね。ワハハハ」
と、屈託がない。
母はそんなミエコ姉さんをやさしく受け入れていた。子どもの私には分からない何かを母は感じていたのかもしれない。お盆の十五日に何の連絡もなしに突然訪れているのだから。
しかしながら、私はミエコ姉さんが私のために作ってくれた酸っぱい酢豚には少しの未練も残さずに、予定されていた同窓会に足を運んだのである。
翌日は二日酔いだった。昼頃に居間に下りていくと、母がいた。
「あれ、ミエコ姉さんは?」
と訊くと、
「ミエコさん、朝一番の列車で帰ったよ。明日から仕事があるんだって」
と母。
「母さん、ミエコ姉さん、いったい何しに来たの。こんなお盆の最中に。しかも、突然」
「そのことなんだけど……。ミエコさん、いろいろと大変だったらしいのよ」
と、母は遅い朝食をとっている私に向かって話し始めた。
ミエコ姉さんは、あのお盆の一週間ほど前に家を飛び出していたらしい。理由は、ミエコ姉さんの結婚話が不意になったことにあった。
ミエコ姉さんは元来、明るい性格で働き者だった。市民市場の中にある八百屋に勤めていて、近所のおばちゃんたちに絶大な人気を得ていた。人が困っているのを黙って見ていられない性分で、お年寄りの買い物袋をバス停まで運んであげたり、道案内を頼まれれば、目的地まで一緒に行ってあげたりもするものだから、ミエコ姉さんがいる八百屋にはお客が途絶えることなく繁盛が続いた。しかし、そんなミエコ姉さんの頑張りが仇になったのだ。
その八百屋にはミエコ姉さんより二つ年上の息子がいた。彼は八百屋ご夫妻の本当の子供ではなかった。子宝に恵まれなかったご夫妻が、生まれたばかりの赤ちゃんを貰い受けて育てた子供だった。幼稚園・小学校・中学校とその子は順調に育っていったが、高校に進学するとき、書類の中に自分が養子であるという記載を見つけてしまった。その日を境に彼は両親を憎むようになり人が変わったようにグレだしたのである。
学校にも行かずに夜遊びをして歩き、昼間は寝ているという生活をしばらく続けた。やがて、ヤクザな連中と付き合うようになり、警察のお世話になることも度々だった。そして、終いには家を飛び出した切り梨の礫となってしまったのである。
ところが、ミエコ姉さんがその店に勤めるようになってしばらくして、その息子が突然帰ってきたのである。八百屋ご夫妻は腫れ物に触るように彼に接した。しかし、彼の過去を何も知らないミエコ姉さんは、極自然に彼に接した。それが功を奏したのか、彼は少しずつ店の仕事を手伝うようになっていったのである。
息子の変化にご夫妻は喜んだ。そして、ミエコ姉さんに感謝した。後は言うまでもない。ミエコ姉さんはこれまで以上に店のために働き、息子の世話も焼いた。そして二人は八百屋ご夫妻も認める仲になった、ということなのである。
そのことを知った金治氏とフミ伯母さんは黙っていることができなかった。大切な一人娘をそんなヤクザな男に嫁がせる訳にはいかない。ミエコ、お前をそんな店で働かせておく訳にはいかない、と金治氏は八百屋を辞めさせ、今後一切その息子とは会ってはいけないと釘を刺したのである。
ミエコ姉さんは両親の気持ちが分からない訳でもなかった。しかし、自分の気持ちをどうしても整理することができなかった。ミエコ姉さんは、もう一度自分を見つめるためにふいに家を飛び出したのだった。北へ向かう列車に飛び乗って幾つかの街を放浪した末に、母の実家のある清沢を目指したのである。
あの夜、私が成人式の後の同窓会に出かけたとき、ミエコ姉さんは母に全てを打ち明けていたのだ。母はミエコ姉さんに幾ばくかのお金を渡し、福島への帰宅を促したのだった。
お盆が過ぎると、朝夕めっきり涼しくなって過ごしやすくなってくる。家にいると食事の心配をしなくていいのが有り難い。成人式を終えたとはいっても、内面はまだ子供のままの自分がいる。突然の来訪者があったことも私の脳裏からはいつのまにか消えてしまっていた。