はじめに
この物語には、ミエコ姉さんと呼ばれる一人の女性が登場する。ミエコ姉さんは、私の従姉なのだが、実は、彼女との交流はそれほど深いものではなく、その人となりや彼女の背景にある環境や歴史などについて、それほど多くを知っている訳ではない。
私が小さい頃、両親や祖母、そして多くの親戚たちとの関係の中で幾つかのドラマが繰り広げられていていたことをぼんやりと思い出す。冠婚葬祭があって、親戚が集まって食事などをしていると、いつの間にか口論のようになっていた。そこに集まった一人一人の諸事情が一編一編のドラマとなっていたのだろう。
そうしたドラマの中のほんの小さな一編としてミエコ姉さんたち家族の物語は挿入されていた。だから、まだ幼かった私には、その一編の物語の中に登場するミエコ姉さんのことを認識することもできずにいたのである。 だが、人の感じ方とは妙なもので、私は子供心にも、彼女の家族が何だかの心配事を抱えているということをそれとなく感じていたのだ。
そして、私が本当にその物語の渦中に引き込まれていったのはずっと後のことで、私が認識できたのは、つい最近のミエコ姉さん個人の状況に過ぎず、それ以外のことは何も知らずにいたのである。
ミエコ姉さんとその家族が崩壊の危機を迎えていたであろうときも、私は、ただ単にそこに居合わせたシャイな青年であっただけで、他に何の役割を果たすこともできずにいたのだった。
ミエコ姉さんはこれまでに三度私の家を訪れているのだが、彼女はいつも絶妙のタイミングの悪さで登場する。何故か食事時になるとやってくるモップ交換の女性。休日の午後、うたた寝をしていると決まってやってくる置き薬販売員。間の悪さに苦笑してしまう。だが、ミエコ姉さんの登場場面はもっと凄い。何故こんな時に、と思わず首を傾げずにはいられない。私は、そうしたミエコ姉さんの訪問にまつわるエピソードを今も忘れることができない。
ミエコ姉さんが最後に私の家を訪れてから既に十五年の歳月が流れ、私は五十路となった。ミエコ姉さんは、私よりも少なくとも十歳は年上なはずだから、今はとうに還暦を超えている頃だろう。元気なのだろうか。いったい何処でどんな暮らしをしているのだろう。振り返ると、それはつい昨日の出来事のように鮮明に蘇ってくる。
窓の外は雪が降っている。雪道の所々を照らす電球の黄色い灯りのように、頼りなくて、でもどこか温かい、そんなミエコ姉さんの物語。しばらくの間、私のタイムスリップにお付き合いいただきたい。