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黒い子猫を纏う彼女

作者: 妄想太郎

下校中、僕と彼女は通り雨に見舞われた。

傘を持っていなかったから、僕らは走って彼女の家より近くにある僕の家へと向かった。


玄関の戸を開けて中に入ると、僕らから滴る雨水で土間に小さな水たまりができた。

急いで来たため、靴はまだかろうじて濡れていなかった。


電話機が置かれたチェストの横を通り、階段を上り、僕の部屋へと彼女を案内する。

母との二人暮らし(無論、この時母は家に居なかった)の僕には、同い年の女の子の足音が自分の部屋へと続く廊下に響いているのがとても新鮮で、知らない廊下を歩いているような錯覚に陥った。


部屋の窓から外を見ても相変わらず雨は降り続いていて、天ぷらを揚げている時のような細かな粒立ちのいい音が聞こえた。

太陽はどんよりとした雲に隠れ、部屋の中は薄暗かった。


ベッドの端に腰掛ける彼女に目をやる。

真っ白いシャツはぐっしょりと濡れ、水色の下着が透けて見えた。

ボブカットの髪は水分を吸収し、いくつもの髪の毛の束ができていた。

色褪せたタオルを貸すと、彼女は髪をかき回すように拭き、それらの束をほどいた。


そんな艶やかな彼女を呆然と眺める僕に、彼女は

「ん?」と小動物のように首を傾げた。

昼間の月のように白い肌と、どことなく果実を思わせるピンクの唇とのコントラストが綺麗だった。


その瞬間、僕はそんな彼女を抱きしめたくなった。

しかし男としての威厳を守るため、彼女に風邪予防のための着替えを推奨し、クローゼットから黒い子猫みたいに丸まったTシャツを取り出して、彼女に手渡した。

彼女は「ありがと」とまるで感情のこもっていない声色で言い、そのあと「後ろ向いてて」と頬を赤らめながら、恥ずかしそうに言った。

その言葉通り僕は数秒間後ろを向いた。言うまでもないがその間、僕の頭の中にはあらぬ妄想が駆け巡っていた。


「はい、いいよ」と着替え完了の合図が背後から聞こえ、僕は僕のTシャツを着た彼女と対面し、そして唖然とした。

彼女が着ている黒いTシャツの胸元に、某有名アダルトサイトのロゴがプリントされていたのだ。去年の夏休みに、友達とふざけて購入したことをその時思い出した。

彼女の大きな胸のせいでロゴの形は歪んでいた。


予想外の事態に、僕はなぜか腹を抱えて笑った。久しぶりに本気で笑った。

アダルトサイトのロゴがプリントされたTシャツと、それにまるで気づかず素っ頓狂な顔をしている自分の彼女という相容れない組み合わせが滑稽で、見ていてとても愉快だったのだ。


「なになに?どした?」と怪訝そうに彼女は尋ね、「いや、なんでもない」と笑いすぎて酸欠気味の僕が答えた。

(少なくとも僕の目には、彼女はロゴの意味を理解していないように見えた)


当然こんな応答で彼女が引き下がるわけもなく、そのあとずっと、

「なになになに?」となぞなぞの答えを求める小学生みたいな目をしてにじり寄ってきた。僕は、「なんでもないよ」の一点張りを続けながら、DVDレコーダーに一昨日借りてきた古いアメリカ映画のDVDをセットし、また彼女の横に座り直した。


映画が始まると彼女の詰問ははたと止み、僕の横には、真剣な表情で映画に見入る彼女の姿があった。

僕は、映画が始まるとついつい映画に見入ってしまうという彼女の習性を心得ていたのだ。

ちょろい彼女だ、と僕は心の中でまた少し笑った。

けれど僕は、受験勉強で鬱積した不安や、その不安からくるやり場のない怒りをいとも簡単にかき消してしまう、ちょろくて、少々天然なこの女の子のことが大好きなのだ。

そんな大切な女の子の存在を隣に感じながら、僕も19インチのテレビ画面に視線を移した。

19インチの小さなテレビが、二人だとなぜだか心地よかった。


エンドクレジットが流れ始めた時、僕の肩口からは彼女の寝息が聞こえた。僕の腕に彼女の重みが確かに伝わってくる。

改めて僕のTシャツを着ている彼女を眺める。

彼女に僕のサイズはやはり大きかったようだ。ぶかぶかしている。でもそのぶかぶか具合が彼女の華奢さを際立たせ、結果的に魅力度を増すのに一役買っていた。


彼女を起こさないように、そっとカーテンを開けて外を見てみる。

雨はすっかりあがって、空は淡いピンクとオレンジに染まっていた。

「あと何回こうしてこいつと映画を観たり、笑ったりできるんだろう」

そんな漠然としたことを夕焼け空を見上げながら、僕は考えるともなく考えていた。その時、

「ありがと」

目を閉じた彼女は口を小さく開けて、優しい幽霊みたいな微かな声で言った。今度は確かに、感情か何か、言葉では言い表せない意味を含んでいるような言い方だった。


ちょろい彼女だ、と僕はもう一度心の中で少し笑った。


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