5. この世界の魔法について
7歳の誕生日会から数ヵ月後。
王立魔法研究所の所長のお弟子さんが、私に魔法を教えてくれることになった。
いままで教えてくれていた先生がご高齢の為、引退することになり、知り合いの王立魔法研究所の所長に後任を頼んでくれて、所長の一番弟子に白羽の矢が立ったのだそうだ。
私よりも10歳年上のお弟子さんの名前はセレス・ラルフィット。
ラルフィット侯爵の次男で、ゆくゆくは王立魔法研究所の所長になるだろうといわれている人だ。
つまり、ゆくゆくは私の上司になるかもしれない人。
私は聖女や王妃にはならずに、魔法研究者になって王立魔法研究所で働きたいと思っているのだから。今日は私にとって第1次就職試験のようなものというわけだ。
私はこの日の為に、王立魔法研究所の制服がどんなスタイルかを調べ、それに似たデザインの服を用意しようと思った。
調べたところ、動きやすいパンツスタイルに、服が汚れたり体に液体がつくのを防止するためのローブスタイルが基本だったが、母とアメリがパンツスタイルに猛反対したため、仕方なく裾が広がっていないワンピースドレスとローブスタイルになった。髪は後れ毛などもピシッとまとめてもらい、ポニーテールにしてもらった。
準備はばっちりだ。私はお弟子さんが来るのを今か今かを待った。が、約束の時間が過ぎてもお弟子さんが来ないし、連絡もない。
「アメリ、お父様が時間を間違えたのかしら?」
私は不安に思い、アメリに確認をする。
「そんなことはないと思います。ですが、もう1時間も遅れていらっしゃいますね。」
1時間も遅れているのに連絡もないなんてと思いながら、私はアメリが入れてくれたお茶を飲む。
それから30分ほどして、ようやくお弟子さんがやってきた。
「遅くなりました。さっそく魔法の授業を始めましょう。」
お弟子さんのセレスは黒に近い深緑色の髪をしていて、身なりはきれいだがどこか不健康そうな雰囲気のある人だった。ぱっと見た感じ研究一筋の根っからの研究者。
遅れてきたのに謝りもしない上に、公爵令嬢の授業など本当はしたくないのに…というオーラをビシビシと感じる。
私はせっかく楽しみにしていた魔法の授業が一気に憂鬱になった。前のおじいちゃん先生は私のことを孫のように可愛がりつつも、厳しく熱心に指導をしてくれたのに…。
大きなため息をつきたい気分だが、公爵令嬢としてあるまじき行為なので、ぐっとこらえて心の中で大きなため息をつく。
「私のような若い先生ではご不満ですか?」
セレスがこちらを見もせずに、授業の準備をしながら聞いてきた。一瞬、心の中の大きなため息を聞かれたのではないかとヒヤリとしたが、おそらくそうではないだろう。
「そんなことはありませんわ。私、レティシア・レイ・シャンデールです。今日からよろしくお願い致します。セレス先生。」
私は、まだセレスときちんと挨拶をしていないことを思い出し、挨拶をした。
「それではこの板の上に立ってください。」
自己紹介もそこそこに授業が始まってしまった。
セレスは大理石のような石の板を私の前に置いた。
まぁいいけどと思いながら、私は言われるがまま板の上に立った。特に何も起こらない。
「あの…セレス先生?」
私が不安になり、セレスの方を見たが、セレスはじっと石の板を見つめて、黙っている。私も黙って今後の展開を見守る。
少しすると、足元がふにゃりとしてバランスを崩しそうになった。大理石のような石の板が、粘土のように柔らかくなっている。足場が不安定になり、動こうしたら、セレスが動かないようにと言ってきた。
そうはいってもバランスが…なんとかバランスを取っていると、セレスがもう動いてもいいですよと声をかけてきたので、ゆっくりと私の重さで形を変えた粘土状の板から降りた。
セレスは粘土状の板を手に取り、こつこつと指で叩く。驚いたことに粘土状の板は形を変えたまま大理石のような硬さの板に戻っていた。私が驚いていることを知ってか知らずか、セレスは何も言わずにさっさと板を布に包み、鞄に入れてしまった。
「あの…先生。今のはいったい何だったのでしょうか。」
私はなんとなくセレスがその答えを教えてくれない気がしつつも、一応尋ねた。
「ここに一枚のカードがあります。魔力を送り込んで色を変えてください。」
案の定、質問の答えに対する返答はなかった。次の課題…課題と言ってもさっきから自分が何をさせられているのかよくわかってはいない。
セレスから受け取ったカードはトランプぐらいのサイズで、両面真っ白のカードだった。
魔力で色を変えるってどうやってやるの?とりあえず、真っ白のカードに魔力を送り込んでみる。だが、うまくいかない。真っ白のカードを別の色で覆うのを想像して、魔力を送り込んでみたが、何の変化もない。
「あの…先生。どのようにして魔力を送り込めばよろしいのでしょうか。」
セレスはじっと私を見つめた後、「レティシア嬢はいままでどのような魔法を学んでこられましたか?」と言ってきた。
ようやく魔法の授業らしくなってきたと思い、少しテンションが上がる。
「基礎魔法と下級魔法を中心に学んでまいりました。そろそろ中級魔法を学びつつ、『特別な魔法』についてもお勉強していきましょうという方針でしたわ。」
私は少しだけ得意げに答える。というのも、7歳の子供は基礎魔法の半分ぐらいを何とか使える程度が標準らしく、この年で下級魔法まで使いこなせるのは天才的らしい。
聖女にするなんてもったいないとおじいちゃん先生が言っていた。この世界で「聖女なんか…」という発言はかなり危険だと思うが、それだけ私が魔法の才能があるということ。
この世界の魔法のことを簡単に説明すると…
まず、基礎魔法は風、氷、雷、水、炎、土の6種類の魔法だ。
この基礎魔法を応用した魔法を下級魔法といい、炎の魔法を応用すれば熱の魔法になるなど、その分類は発見されているだけでも多岐にわたるらしい。
次に、中級魔法は光、闇、空間の3種類の魔法だ。
私も中級魔法以上はまだ勉強していないので分からないことの方が多い。
平民は下級魔法まで使える人がほとんどで、中級魔法以上の魔法が使える人は少数らしい。とはいっても、普通に生活するだけなら下級魔法まで使えればそれで十分だったりもする。
最後に、上級魔法は中級魔法以上の魔法と基礎魔法か下級魔法を組み合わせて使う魔法だ。
例えばエドモンドとしているチャットのような文通ができる紙は熱と水と空間の魔法でできているので、紙を作成するには上級魔法が必要だ。ただし、使う側は基礎魔法が使えればいいらしい。
私がこの世界の魔法について考えていると、セレスが「何でもいいので魔法を使ってください。」と言った。
何でもいいので魔法を使えって言われたけど、何の魔法にする?
氷の魔法で部屋を涼しくするぐらいだと簡単すぎるかな。かといって、この人はどんなにすごい魔法を使っても驚きそうにないから、ここで頑張りすぎてすごい魔法を使うのもなんだか馬鹿らしい気がする。
……よし、簡単すぎるかもしれないけど、この部屋の温度を下げてみよう。
この1年と数カ月間、魔力を枯渇させては寝込むということを繰り返しながら、自分なりに魔法を使うコツはつかんでいる。
まず、魔法を使う前に自分の細胞一つ一つに話しかけるような気持ちで神経を研ぎ澄ませる。次に、どうしたいかを想像する。なんとなく部屋の温度を下げて涼しくしたい。ではなくて、今よりも10度下げる。一気にではなくて、ゆっくりと1度ずつ。そういう風に具体的に想像するのだ。
基礎魔法の氷の魔法を使い、徐々に部屋の温度が下がってくる。涼しいぐらいに保たれていた部屋の温度が下がり、肌寒く、やがて震えるぐらい寒くなった。
このぐらいでいいかなと思い、今度は部屋の温度を元に戻すために、下級魔法の熱の魔法を使う。同じように部屋の温度を10度上げるように想像する。今度も一気に温度を上げるのではなく、ゆっくりと1度ずつ上げていく。
部屋の温度が元に戻ったところで、私は魔法を使うのをやめた。
「いかがでしょうか?」
私はセレスに感想を求める。きっとまたノーリアクションだと思うけど。
「なぜ今の魔法をお使いになられたのですか?」
セレスから予想外な質問が返ってきた。
なぜ部屋の温度を変えたのか?簡単すぎて真面目に取り組んでないと思われた?確かに頑張りすぎても馬鹿らしいとは思ったけど。
「そうですね。氷の魔法と熱の魔法はそれぞれ基礎魔法と下級魔法です。いままで学んだことをお見せするのなら、それが一番適していると思いました。」
私は「簡単だからです。」とは答えず、それらしく聞こえるように答えた。模範解答ではないだろうか。
私はセレスの反応を待った。
「なるほど。では、取引をしましょう。」
セレスは貴族らしくにっこりと微笑んで私を見下ろした。
攻略対象の二人目、話を聞かない男セレスでした。