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精神盤エクリプス  作者: 桐谷瑞浪
1 影世界
4/5

4刻 影世界

 ところで、患者の心の中には時折、患者の深層意識にリンクしている異質な通路が開けていることがある。


 ヒトの深層意識はかつて無意識と分類されていた、普通は意識と感じない意識の領域を指す。

 今ではこの深層意識の更に核にあたる領域「グランド・ソウル」は全てのヒトが共有していると言われている。


「グランド・ソウル……、大いなる魂。俺程度のぺーぺーでは立ち入ることが許されない絶対領域」


 すると突然、クマのぬいぐるみがゲートになった。ゲートとは、深層意識への入り口だ。


「ウソだろ。そこまでムカイゾノの意識は病んでるってのか?」


 余程、精神的な重症でない限りはゲートなんて偶然で開くモノではない。

 俺は震えた。俺が担当する患者のほとんどはゲートなんて開かない。それくらい安全な患者でないと、三科の俺ごときに担当することなど認められるはずはないのだ。


 許されるとか、認められるとかいう権限にうるさいのが大病院。


 1人1人の個性を尊重しているような、文化レベルの高いことをやるのが大学病院のやることとは世間には言われがちだ。

 ただ実際には「そんなようなコトを心がけるためにこんなコトから始めています」に如何に上手く落とし込んで大義名分にするかが運営の全てらしい。


 らしい、というのはそんなコトを院長が言っていたのだ。



 いつもなら、ゲートが開いたら応援を必ず呼ぶ。なぜならそれも、医院が定めたルールだからだ。

 だけど俺はふと興味本位で、単身その深層意識に踏み込んでいくことにした。


 もちろん、危険はある。

 でも何度か深層意識での仕事を経験して、「気を付けてれば、なんてコトもないな」と思うようになったのだ。



 ◇◇◇



 深層意識は外周部にあたる薄影世界と、中枢部にあたる影世界に分かれる。

 俺が今までに進んだのは、せいぜいが薄影世界まで。


 だけど、俺はなぜか誰かに呼ばれている気がして、ふらふらと影世界へと歩き出した。


「誰なんだ。俺に何の用がある?」


 虚空に呼びかけるが、返事はない。ただ灰色の床が平に広がるだけの薄影世界とは違い、影世界の地面は凹凸があり、時折俺はつまづいた。


 薄影世界にある危険といえば酸素濃度の薄さだ。まるで高い山に登ったかのような感覚でいないと、一定時間の滞在ですぐに酸欠になる。

 一方、俺が今いる影世界の危険は2つ。このデコボコした地面、それから「住人」だ。


「ウレウレウル、ウレウル、ウル、ウルウル」


 独特の言語が聞こえてくる。医学的には、この言語はコンピュータで言う2進法による情報伝達に近いらしい。

 だから「ウル」と「ウレ」の音のみで言語が構成されており、記号的で暗号的な伝達に適している。


 しかし影世界は視界が暗く、保護色として暗い肌色をしている住人たちは俺の目には見えない。

 聞くところによると見た目は俺たちとそう違わない、人間みたいな姿らしい。そう提唱している学者は何人かいて、師匠であるナンダッスもその1人だ。


 住人たちの、記号言語と呼ばれる2進法的な現在の意味も理想としては知識を押さえておくべきなのだが、俺は伊達に三科に在籍しているわけではない。

 そんな複雑な体系は、他のやるべきことをマスターしてからと順番を決めているという建前で、要は後回しにしている。


「見えてきた。1人でも来れるモンだな」


 遠くからでは見ることも出来ず、近付くと蛍みたいに明るく緑色に輝き出したのがグランド・ソウルなのだと思われた。

 住人たちの姿も、淡い光に照らされて見えた。髪の毛はなく、身長は幼児程度だが肌色と同じような色の外套を着ているようだ。



 ◇◇◇



「こんにちは」


 俺は誰にでもなく呼びかけた。記号言語しか知らないであろう住人が返事をすることはなく、グランド・ソウルらしき発光体もただ静かに光を放っているだけだ。


「こんにちは」


 下手に記号言語を話すのだけは「やめておけ」と大学時代に色んな教授が講義中に口をすっぱくして言っていたので、俺はむしろ迂闊に記号言語を話すまいとして、しかしそれでもコミュニケーションを図っている。



 先ほども言ったが、住人は危険因子なのだ。


 まあ、実際には彼らにとって深層意識にはいないはずの俺たち人間こそが異分子なだけで、向こうからしたら正当防衛というか、体内における免疫応答みたいなコトでしかない。


「ウルウレウレウルウルウレウル、ウレ、ウルウレウルウルウル、ウレ」


 複雑な記号言語が聞き慣れた声で聞こえてきた。


「えっ……、ツマクか?」


 グランド・ソウルという弱い光源しかないのでシルエットしか分からないけど、声からしてツマクらしい人影がそこにあった。


「バカなの? なんで勝手にこんなトコにいるの」


 涙声で、ヒステリックにツマクは叫んだ。ツマクは天才だが、今に限らず、医療行為に関わり始めた途端に激情家としての性格が強まるのだ。


「ツマク……」


 確かに俺は無断で勝手な行動をしているわけで、ツマクが言うことが正しい。

 だから俺はただ名前を呼ぶくらいしか出来ないのだ。



 ツマクが言うには、影世界は外の世界、つまり患者の精神世界を出た普通の世界よりも時間が早く進むらしい。


「大学で習ったよね。どうして無茶な真似をするの」


 ツマクは怒ると、「~するの」と疑問文を下がり口調で、まるで子供を叱るように言う癖がある。

 それからツマクは、外の世界では既に午後の診療が始まっているらしいことを告げた。



 つまり、俺は午前中サボっていたと見なされてしまったのだ。



 ◇◇◇



 それで済めばマシだな、と俺は思った。

 酷ければ謹慎、クビ、果ては何らかの罪に問われて逮捕や裁判も可能性としてはある。


 日頃からハード・ワーク気味に熱心に働きすぎて、脳がオーバーヒートを起こしていたのかもしれない。


 そうでもないと、幾ら三科の俺でも好奇心に負けただけで影世界に軽率に入ったりなんてしない。

 その辺りは、日頃の俺は自他共に認める慎重派なのだ。


「俺、どうしちゃったんだろう」


 茫然と俺が放った言葉に、ツマクは何も言わず、その薄ら見えるだけのシルエットからはどんな感情も読み取ることは出来ない。


「ツマク、外に案内してくれ。恥ずかしながら、出口が分からないんだ」


 ツマクはただ頷き、俺の手を引いて歩いていった。


 グランド・ソウルの気配は収まっていき、やがて完全なる暗闇の世界に戻った。

 そして更に進み続けるとようやく灰色の床と正常な明るさの視野が戻ってきた。


「まあ、説明すれば分かってもらえるとは思うわ。こうなっちゃうまではどんなに真っ当な医師にも伝えられないだけで、実は良くあることよ、こんなの」


 疲れが溜まるなどでグランド・ソウルが治療行為に従事する人間を引き寄せることは、実は珍しいことではないらしい。

 一度でも経験すれば精神に免疫が出来て大丈夫になるらしいが、言われてみれば俺は今回が初めてだ。


「だったら言ってくれよな。何のために俺をストーキングしてるんだ、一科の天才?」


 皮肉たっぷりに俺は言ってやった。


 いわゆる犯罪行為に相当する悪質ではないというだけで、知った仲でもないのに自宅に迎えに来る。

 そんなのは俺がたまたま許してなかったら、単なるトラブル以外の何物でもない。


「決まってるでしょ、マコちゃと幸せな結婚をするためよ」


 薄影世界の仄かな明かりの下で、ツマクは下手くそなウィンクをしてみせた。


 全く、これでもう二回りくらい健気で常識を備えているだけで誰とでも幸せになれそうな容姿なだけに、その二回りほどが絶望的な二回りだ。


 そしてゲートをくぐり、クマのぬいぐるみの口から出てきた俺たちは大切な事に気付いた。


「大変だ。ゲートが開いたってのに、患者の病の原因を何も見つけてない」


 俺がそう嘆くと、なぜかツマクはニヤリと笑い、白衣から一枚の写真を取り出した。

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